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4 . セ ル フ レ ス
アフリカの夏が終わった。それがどんな風に終わったのか、ぼくはもう正確に覚えていないが、とにかくいつのまにか少しずつ夏の色が褪せていき、ある日突然、秋が六甲山を覆っていることに気づいたのだ。地面を焼き続けた黄色い日差しも、闇のような影も消えてなくなっていた。絵の具を溶かしたような濃い空の青やヒマワリの黄色も⋯⋯。そうした色が褪めていく間、ぼくはずっと他のことを考えていて、まわりの変化にまるで注意を払わなかったのだ。
アフリカの夏が終わったことを最初に強く感じさせたのは、アルパインが拳銃で撃たれたときだった。夏休みが終わり、学校が始まった最初の週だった。ぼくと八重山は放課後ノイマン屋敷に遊びに行っていた。オレンジ色の大きな太陽が摩耶山の西に傾き、屋敷と庭のプールを橙色に染めていた。日差しはまだきつくて、ぼくはミチコやアーティストたちと一緒に水浴びをしていた。八重山は大きな居間でアップライトピアノを弾き、アルパインは助手たちとシルク・スクリーンで何か刷っていた。
ボンという大きな音がしたので居間のほうを見ると、大きく開いたフランス窓の前に、ベージュのコートを着た髪の長い女の子が立っていた。ぼくの位置からは彼女が握っている拳銃は見えなかったが、肩のあたりに青みがかった煙が見え、火薬の臭いがした。部屋の中から「ノー、ノー」と言う声が聞こえたが、そのときはアルパインが撃たれたということはわからなかった。たいして意味のない冗談が何かのはずみで実行されてしまったといった感じだった。女の子は一歩部屋の中に入ってさらに二発拳銃を撃った。それからプールのほうを振り向いて、
「みんなブタよ」と叫んだ。「夏は終わったのよ。アルパインはわたしに影響を与え過ぎたわ。こんなおふざけはもうやめにすべきなのよ」
彼女はそれだけ言うと、さっさと坂を降りていってしまった。誰も止めようとしなかった。拳銃が恐かったというより、何がなんだかわからなかったのだ。
居間の中は血の海だった。弾はアルパインの腹と胸と首に大きな穴を開けていた。彼は壊れた人形みたいに手足をバラバラに広げて床の上に倒れていた。まるでシュテルマッハー校長に仕留められた鹿みたいだった。
彼がぴくりとも動かないので、ぼくらは彼が即死したものと思っていた。ところが病院に運ばれた彼は、十八時間の手術の末に一命をとりとめた。しかし、ぼくらにとってはそれが彼を見た最後になった。彼はそのまま一か月間神戸の病院に入院し、それから東京の病院に移り、一九六八年の暮れにはニューヨークに帰ってしまったのだ。ノイマン屋敷には二度とやってこなかった。作りかけの作品や道具類は側近の助手たちがさっさとアメリカに持っていってしまった。そしてアルパインがいなくなると、若いアーティストたちもだんだんノイマン屋敷に寄りつかなくなり、九月の半ばには、ミチコと八重山とぼくだけが残った。
アルパインを撃ったのは、ノイマン屋敷によく出入りしていたヒッピーの女の子だった。彼女はセックスしようとしない唯一のヒッピーだった。男をすべて抹殺し、女だけの社会を造るべきだというのが彼女の思想だった。彼女は《カス》という政治結社に属していると言っていたが、この《カス》というのは完全に彼女の空想の産物だった。彼女はアルパインの映画の中でこんなことを言っている。
「ブタを皆殺しにしなきゃいけないわ。ブタはママのおっぱいにかじりついたまま、ズボンの中に糞を垂れながら死ぬべきなのよ」
ブタというのはつまり男のことだ。
こんな危険な女の子をどうして野放しにしておいたのか、不思議に思われるかもしれないが、一九六八年にはこの手の意味不明の思想を掲げる連中はそんなに珍しくなかったし、思想として主張されたことはどんな思想にせよ、一応敬意を払うべきだという雰囲気があったのだ。
彼女がどうしてこんな考えを持つようになったのか誰も知らない。彼女は摩耶山を降りたその足で警察に自首したが、取り調べのときも意味のあることは一切言わなかった。
「ブタを撃ったのよ」と彼女は堂々と言った。「あなたたちだって知ってるでしょ? アルパインはママのあそこに首を埋めながらオナニーしてる子ブタだって」
警察を戸惑わせたのは、彼女がアルパインに恨みや憎しみを感じなければならない必然性がどこにも見当たらないことだった。確かに彼女は男全般を憎んでいて、誰とも口をきこうとしなかったが、アルパインだけは例外で、ときどき話をしたり、映画の撮影を見にきたりしていた。彼が男性でも女性でもない特殊な存在だったからだ。アルパインも彼女の考えを面白いと思っていたらしい。だから『ビースト』にも出演させたのだ。警察から事情聴取を受けたヒッピーやアーティストたちはみんな一様にそんなようなことを証言した。結局、彼女がどうして突然ほかの男たちではなくアルパインを撃つ気になったのかはわからないままになった。彼女自身もわかっていなかっただろう。それは今でもわからない。それは謎のまま時がたち、どうでもよくなってしまった無数の事柄の一つになってしまった。
それだけのことだ。
彼女は警察でも政治結社《カス》の活動方針について長々と弁じ立て、おかげで不起訴になり、刑務所ではなく精神病院に送られることになった。
急にがらんとしてしまったノイマン屋敷でぼくらは呆然とまわりを見渡した。ヒマワリの花に埋め尽くされて、目に痛いほど黄色に輝いていた山がいつのまにか茶色に変色していた。アフリカの夏の終わりだった。
「やれやれ、せいせいした」と八重山が言った。「彼女が撃たなくても、いずれは誰かがやるべきだったんだよ」
「そうかしら?」とミチコが言った。
彼女はふさぎこんでいた。彼女にとってアルパインはある意味で大切な男だったからだ。自分の作品を作らない彼女は、いつも生産し続けている人間を必要としていた。それに、彼を撃った女の子と同じように、ミチコもアルパインの男とも女ともつかない特殊な性格に親近感を覚えてもいた。たぶんアルパインは彼女とセックスしなかった数少ない男の一人だろう。彼女はそういうタイプの男を何人も必要とする女だった。
「ヒマワリが枯れたわ」と彼女は山を見渡しながらさみしそうに言った。
★
アフリカの夏が終わったとたん、八重山の様子がずいぶん変わってしまったことにぼくは気づいた。いつのまにか彼はひどくやつれていた。頬の肉がナイフで削ぎ落としたみたいにこけて、白桃みたいだった肌の色が黒ずんでいた。ときどき上目使いにぼくを見ながら、
「もうだめだ」と言ったりした。
「何が?」とぼくはきいた。
「何もかもがさ」と言って八重山は笑った。「もうぼくにはこれ以上曲は書けないよ」
「まさか」とぼくは言った。
ぼくらはまだ十五歳だった。自分の作品を作り始めて一年しかたっていなかった。彼の演奏は神戸中を熱狂させていたし、レコードを出す話だってきていた。
「まだ始まったばかりじゃないか」とぼくは言った。「ぼくらの収穫はこれからなんだ。こんなところで引き返しちゃいけないよ」
「クライマックスっていうのは始まったと思ったときには終わってるものなんだよ」と彼は言った。「滅茶苦茶な生活をしていた芸術家が急に真面目に仕事をしだす。まわりの人は、『ああ、よかった。これで彼もまともな作品を作るだろう』といって喜ぶ。ところがそいつは次の作品を完成させる前に死んでしまうのさ」
「何それ?」とぼくは言った。
「人間は機械なんだ」と彼は言った。
「そうだね」とぼくは言った。
「機械には寿命があるんだよ」と彼は言った。
学校が始まってから、八重山はもう何週間もジャズ喫茶で演奏していなかった。当然、夜中にトラックで神戸の街を流して回ったり、店を襲撃して酒や金を盗んだり、女の子を襲ったりすることもなくなっていた。酒も薬もやめ、夜は早く寝て、朝は早く起き、ほとんど一日中ピアノに向かっていた。学校には毎日やってきたが、授業にはほとんど出てこなかった。教師たちの目を盗んで講堂のグランドピアノを弾くか、地下広場で自分のアップライトピアノを弾いていた。ぼくは彼が盗みや食い逃げや婦女暴行をやめてピアノに専念しだしたことを喜んでいた。これからいよいよたくさんの曲が書かれ、レコードが発売されて、日本中をびっくりさせることになるだろう。成功はすぐ目の前まできていた。
「きみらしくないよ」とぼくは言った。「そんな弱気になるなんて」
「そうだね」と彼は言い、弱々しく笑った。
ぼくはそれを同意のしるしだと思って安心した。一九六八年のぼくは、八重山が何者なのか本当には知らなかったのだ。彼は自分が干からびかけていることを知っていた。そしてすぐそばにいるぼくがそのことを理解してくれないので思わず苦笑したのだ。
「疲れたら少し休めばいいんだ」とぼくはさらに言った。「機械にも休みは必要だよ」
「そうだね」と八重山は言い、弱々しく笑った。
ぼくらはそのとき講堂にいた。常設灯だけをつけた薄暗いステージで、八重山はピアノを少し弾いては急に中断してぼくに話しかけようとした。
「機械の休憩だ」と言って彼は笑った。
「どうして途中で演奏をやめるの?」とぼくはそのたびに言った。「続けなきゃだめだよ。芸術は持続と反復なんだ」
「そうだね」と彼は言った。「でも、きみこそ小説を書かなきゃいけないよ。こんなところでぼくみたいなミイラにつきあって、時間を潰してるべきじゃないんだ」
「小説のほうは順調だよ」とぼくは言った。「今はきみが心配なんだ」
「ありがとう」と彼は言った。
「どうしてきみは曲を書こうとしないの?」
「書いたよ」
「なんて曲? ぼくは聴いてないよ」とぼくは言った。「絵はあるの?」
絵というのは、『世界同時革命』のとき八重山が楽譜代わりだと言って見せてくれた、『鳥獣戯画』みたいなやつのことだ。波の上に千鳥が飛んだり、兎や猿や蛙が跳ねているやつ⋯⋯。八重山はぼくを見上げながらしばらくぼんやりしていた。まるでぼくが何を言ったのかわからなかったみたいだった。それからまた弱々しく笑った。
「『セルフレス』っていうんだ」と彼は言った。
「どんな曲?」とぼくはきいた。
彼はまた病人みたいな顔で笑った。両手を広げて、肩をすくめながら⋯⋯。まるで何も持ってないのが恥ずかしいみたいに⋯⋯。
「この曲はすごく難しいんだ」と彼は言った。
「そう?」とぼくは言った。
「『ヒマラヤ』や『世界同時革命』のときみたいに絵で曲のイメージを表現する事さえできないんだ」
「そう?」とぼくは言った。「それじゃ合奏できないの?」
「わからない」と彼は言った。「でも、この曲は一人じゃできないんだ」
「困ったね」とぼくは言った。
そう言いながらなんとなく後ろめたい気がした。弱ってる八重山をわざと追い詰めようとしていたからだ。ぼくは『セルフレス』という曲が本当に存在するかどうか疑わしいと思っていた。八重山は疲れ切っていた。とても曲なんて書けそうに見えなかった。今のぼくなら彼を休ませようとしただろう。ところがそのときのぼくは彼をさらに駆り立てることばかり考えていた。一九六八年はそういう時代だったのだ。
「手伝ってくれるかい?」と八重山が言ったとき、ぼくはしばらく何のことかわからなかった。八重山は今や人間の脳みそが露出したみたいに膨らんでいる頭の傷をぼくに見せながら、上目使いにぼくを見つめていた。
「いいよ」とぼくはとりあえず言った。何にせよ頼まれたらいやと言わないのが一九六八年のぼくらの流儀だったからだ。
「『セルフレス』は正確に言うと、曲じゃないんだ」と彼は言った。
「曲じゃない?」とぼくは馬鹿みたいに繰り返した。
「『セルフレス』はすべての曲なんだ」
「すべての曲?」
「今まで世界中で書かれたすべての曲を含んでいるんだ」と彼は言った。「これから書かれるすべての曲もね」
「これから書かれる?」
「『セルフレス』は一人じゃできないんだ」と彼はまた言った。「『セルフレス』はコミュニケーションの実践なんだよ」
「コミュニケーション」とぼくは言った。
「手伝ってくれるかい?」
「いいとも」
彼は椅子に座ったままつま先でリズムを取り始めた。それから左手の指先でピアノの上を軽く叩き出した。初めて耳にするリズムだった。ずっと一定のリズムを刻んでいるように聴こえるのに、いつのまにか違うリズムに移っていたり、また元に戻ったりした。彼はぼくにも手と足でリズムを取れと眼で合図した。ぼくは言われた通りにした。とても難しそうなリズムなのに、不思議と最初から八重山の手と足の動きにぴったり合わせることができた。それから八重山は鍵盤から三つの音を拾い出した。今ではよく覚えていないが、たぶんCとEとGといった単純な組み合わせだったと思う。彼はこれを延々と繰り返した。ぼくは頭の中でこの音を反復した。音はぼくの中で弾け出し、勝手に上がったり下がったりし出した。ぼくは不安になって変化していくその音を声に出してみた。すると八重山のピアノがそれと同じ音を出し始めた。というより、ピアノがぼくの中の音の変化を先取りして、一瞬早く音を変えていくような感じだった。ぼくは不安から解放され、音の変化にからだを任せた。まるで自分の中に別の生き物が入ってるみたいだった。無数の音楽がぼくの中から弾け出してきた。中には有名な曲の断片もあったし、全く聴いたことのない新しいフレーズもたくさんあった。ぼくは自分がすごい作曲家になったような気分になり、自分の中から飛び出してくるフレーズを書き留めておきたいと思ったが、実際にはそんな余裕はなかった。音がぼくを引きずっていき、どこでもない、何もない空間に解き放ってしまったような感じだった。強い歓喜がどこからともなく沸き上がってきた。
「ああ⋯⋯」とぼくは心のどこかで言った。「なんていい気持ちなんだろう」
『セルフレス』が終わったとき、ぼくらは校舎の屋上にいた。明け方の最初の光が鏡みたいに滑らかな大阪湾の海の上で金色に輝いていた。
「なんてこった」とぼくは言った。
『セルフレス』を始めたとき、ぼくらは放課後の講堂にいたのだ。いつのまにそこを出たのか、そのあいだ何をしていたのか、まるで記憶がなかった。
「一体、何をしてたんだろう?」とぼくは呟いた。
「決まってるさ」と八重山が言った。「『セルフレス』を演奏してたんだよ」
「そうか」とぼくは言った。「一晩中続けられるなんてすごい曲だね」
八重山は海に背を向け、ぼくの横で石の手摺にもたれてしゃがみ込んでいた。背中を丸めて銀縁眼鏡を膝に押し当てながらぐったりしていた。
「この曲は一度始まったら二度と終わらないんだ」と彼は言った。
「終わらない?」とぼくは言った。
「きみの中でずっと鳴り続けるよ」と彼は言った。
「そうかなあ」とぼくは言った。
ぼくは自分の中の音に耳を澄ましてみた。何も聞こえなかった。
「そのうちわかるよ」と八重山は言った。「いろんな音が地下水脈みたいにきみの中を流れて、ある日突然溢れ出してくるから。これからはどんな曲がきみの中で鳴っても、それは『セルフレス』なんだ」
「そうか」とぼくは言った。
ぼくは自分が完全に解放されているのを感じた。『セルフレス』を演奏していたときの快感は消えることがなかった。小説はますます快調に書くことができたし、勉強は授業をぼんやり聴いてるだけで何もかも理解できた。一度読んだり見たり聴いたりしたことは二度と忘れなかった。それは一九六八年の始めから少しずつ表れていた兆候だったが、ここにきてはっきりひとつの力のかたちをとり始めていた。すべては八重山との出会いから始まったことだ。ぼくはそれを改めて強く感じた。ぼくを解放したのは彼だったのだ。
ぼくはときどき急に三つの音が頭の中で鳴っているのに気づくようになった。それは『セルフレス』を演奏したとき、八重山が最初にくれた音の組み合わせに似ていた。授業中、ぼくは小さく声に出してみた。
「フンフンフン」
「何か言った?」と隣のやつがぼくにきいた。
「フンフンフン」とぼくは歌った。
「フンフンフン」と彼も歌った。
その日一日、彼はぼくの顔を見るたびに、「フンフンフン」と歌った。そのたびに三つの音の組み合わせは変わっていた。彼の頭の中で音が鳴り続け、勝手に変化しているのだった。
放課後、別のやつが擦れ違いざまに「フンフンフン」と歌うのを聴いた。どこに行っても誰かが「フンフンフン」と歌っていた。
「なんてこった」とぼくは言った。それから心の中で「フンフンフン」と歌った。
ぼくは校庭で、別のクラスのやつが下級生を前にして「フンフンフン」と歌っているのを見掛けた。気がつくとそこら中で、いろんなやつが「フンフンフン」と合唱していた。
ぼくはちょっと不安になって八重山を探した。彼は校舎の裏で何人かの上級生を集めて「フンフンフン」と歌っていた。
「これでいいのかな?」とぼくは言った。
「わからない」と彼は言った。「でも、もう止められないよ」
その週の終わりには、どの教室でも「フンフンフン」の合唱が聴こえた。授業中に全員
が立ち上がって「フンフンフン」と歌い出すクラスもあった。教師たちは朝礼で、「変な鼻歌はやめるように」と注意した。
みんなはすぐに授業中「フンフンフン」と歌うことをやめた。総愛学院の生徒は全般的に従順だったからだ。それでも休み時間や放課後にはどの教室でも「フンフンフン」がかすかな地鳴りみたいに響いていた。神経を尖らせた神父たちは校舎を絶えず見回るようになった。彼らは授業中だけ「フンフンフン」が止めばいいと考えていたわけじゃなかった。自分たちの知らないところで生徒が「フンフンフン」とやっていることさえ許せなかったのだ。彼らは漠然と不安を感じていた。ローマ・カトリック教会の伝統を受け継ぐ彼らは、人間を解放するものに対してとても敏感だった。
「やめさせてくれないかな?」と神崎神父が言った。
「何を?」とぼくはきき返した。
彼はニヤッと笑って黒い皮の手袋を外した。懐かしい彼の鉄の手が現れた。訓育室の壁には何十もの義手が並んでいた。黒っぽいのや青みがかったのやら、素材の金属によって微妙に色が違っているのが変にきれいだった。
「とぼけるなよ」と彼は言い、ぼくの首を鉄の手で掴んだ。「おまえと八重山がからんでることはわかってるんだ」
「ウップ」
とぼくは言い、素直にそれが『セルフレス』という八重山の新曲で、特に決まったメロディもリズムもなく、絶えず変化しながら人から人へ伝わっていく性質を持っていることを話した。神崎神父の鉄の手が恐かったからだ。
「詳しいことは八重山にきかないとわからないけど」とぼくは言った。
言いながら、自分が八重山を裏切ってるような気がした。
「あの化け物は逃げちゃったよ」と神父は言った。「すばしこいやつだからな」
「あいつは病気なんです」とぼくは言った。
「そりゃそうだろう」と神父は言った。「今度やつを退学処分にするつもりだよ」
そんなわけで、八重山は退学になった。表向きの理由は『セルフレス』を学校中に広めたからではなく、未成年のくせにジャズ喫茶で金を稼いだり、酒を飲んだりしたことだった。万引きや無銭飲食やつり銭泥棒や婦女暴行やトルコ風呂通いはまったくとがめられなかった。
なぜだろう?
知らなかったからだろうか? そんなことはない。八重山がそういうことをしているのは、神戸中の誰もが知っていた。
たぶん神父たちは彼のそういう大胆さを恐れていたのだ。彼らにはあんまり大胆な罪からは反射的に目をそらす癖があった。
シュテルマッハー校長は、処分が発表される前に彼を校長室に呼び出して引き止めようとした。八重山みたいなピアニストを簡単に手放すのは惜しいような気がしたからだ。
「変てこな音楽をやめて、クラシックのピアノに専念すると誓ってくれたら、退学は取り消してもいいんだけどね」と校長は言った。
「あんたこそうちの姉貴に変なことするのはやめてくれないかな」と八重山は言った。
「変なことなんてしてないよ」と校長は笑いながら言った。
「おれだって変なことはしてないよ」と言って八重山も笑った。
「惜しいね」と校長は言った。「こんなに早く人生を踏み外すなんて」
「余計なお世話だよ」と八重山は言った。「おれはあんたの抑圧を発見したんだ。安っぽいいかさまの手口もね」
八重山はだだっ広い校長室を見回した。壁という壁からたくさんの鹿の首が突き出していた。校長の大きな仕事机の後ろには、十メートル四方もある巨大な彼の肖像が掛かっていた。それはシルクスクリーンで刷られた絵で、もちろんアルパイン作だった。
「きみは自由について勘違いしてるんだ」と校長は言った。「自由はとても恐いものなんだ。ほとんど病気と言っていいほどね。ときには死ぬことだってある」
「ああそうかい」と八重山は言った。
それだけ言うと、彼はさっさと部屋から出ていった。
「つらくなったら戻っておいでよ」と校長が彼の背中に声をかけた。「いつでも温かく迎えてあげるからね」
八重山が学校に来たのはそれが最後になった。
「これからどうするの?」とぼくはきいた。
「別に」と八重山は言った。「今まで通りさ。また神戸でピアノを弾くよ」
「ぼくはきみを裏切らなかったよね?」
「もちろん」彼はちょっと笑い、眼鏡の奥でウインクして見せた。「おれたちはいつでもいいコンビだったよ」
「これからもだろ?」とぼくは言った。
「これからもさ」と彼は言い、またちょっと笑った。心をなごませてくれるような、いい笑顔だった。
「『セルフレス』を神戸で弾くの?」とぼくはきいた。
「正確に言うと、『セルフレス』を神戸にばらまくってことになるね」
「いつやるの?」
「まだ日程は決まってないんだ」
「決まったら教えてくれよ」とぼくは言った。「きっと行くから」
彼はちょっと悲しそうな顔をしてぼくを見た。それから、
「きみはもうどこにいても『セルフレス』に参加してるんだ」と言った。「でも、決まったらきっと教えるよ」
それは嘘だった。
彼はぼくに日程を隠していた。そのときすでに彼は十月八日に例のジャズ喫茶で『セルフレス』を発表することになっていたのだ。ぼくはそのことを後から知った。どうして彼は嘘をついたんだろう? やっぱりぼくが『セルフレス』のことを神崎神父に喋ってしまったからだろうか?
いや違う。もっと別の理由があったはずだ。彼はすでにそのとき様子が変だった。
「ぼくはもうすぐ死ぬんだ」と彼は言った。
「おやおや」とぼくは言った。冗談だと思ったのだ。
ぼくらはそのとき地下広場にいた。彼は小さな自分のアップライト・ピアノで静かなバラードを弾きながらぼくに病人じみた笑顔を見せていた。冷凍鹿たちがぼくらを見ていた。アフリカの夏の間にアルパインが作った冷凍鹿は、彼が入院してしまってからもそのまま地下広場に置かれていた。彼らは八重山のピアノを取り巻くように、何重にも並んでいた。一番奥には元祖冷凍鹿がいた。彼は無表情な目でぼくらを見つめていた。
「きみに一度話しておこうと思ったんだけど」と彼は言った。「もう姉貴とやっていいよ」
「なんだって?」とぼくは言った。
「もうぼくに遠慮しないで姉貴とやっていいよ」彼は一言一言はっきり区切りながら言った。まるで日本語がよくわからない外国人に話しかけるみたいに。
「姉貴とやりたくない?」と彼は言った。
「やりたいよ」とぼくは答えた。ほんとはやりたいかやりたくないかよくわからなかったのだが、そのときはやりたいと答えなきゃいけないような雰囲気だったのだ。
「ぼくに遠慮してたんだろ?」と八重山は言った。
「まあね」とぼくは言った。そう口に出してみると、ほんとにそんな気がした。
「ぼくもほんとは姉貴とやりたくてしょうがなかったんだ」と彼は言った。
「おやおや」とぼくは言った。
「つまりぼくは死神に取り憑かれたわけさ」
「きみは欲望とタブーを取り違えてるよ」とぼくは言った。「人間は気が弱くなると禁止されてることを欲望の対象と勘違いするんだ。ぼくはそれがやりたいんだ、でも、それは禁止されてるんだ、なんて具合に悩み出して、結局人間を縛ろうとする卑怯者の手に落ちていくんだよ。そんなことはきみだってわかってたはずじゃないか」
「ああ、わかってたよ」と彼は言った。「でも彼女は特別なんだ。ミチコはぼくにとって特別な女なんだよ」
彼の眼から涙がこぼれたかと思うと、頬のあたりで凍って小さな真珠になった。真珠は凍った床に落ちて跳ねながら軽い音を立てた。それはぼくの頭の中で鳴っていた三つの音によく似ていた。
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校誌に掲載される予定だった『菜の花の家』が、突然掲載拒否にあったのも同じ週だった。
「これはおまえが書いたのか?」と、国語の教師でもあり新聞部の顧問でもある河原神父が新聞部のルームでぼくにきいた。新聞部というのは学校新聞と校誌を編集しているクラブのことだ。
「ええ」とぼくは言った。
「もう誰かに読ませたのか?」
「いえ、まだ」とぼくは言った。
ほんとはミチコや八重山や結城に読ませていたのだが、そういうことはなんとなく言いづらい雰囲気だった。河原神父がなんだか汚らわしいものでも見るような目でぼくと原稿を代わる代わる見ていたからだ。
「この小説のことは忘れろ」神父はそう言って、原稿を一枚一枚細かく破っては屑箱に捨て始めた。
「あああ」とぼくは言った。
頭の中では河原神父を殴り倒して原稿を奪い返すところを想像していたが、実際にはただ呆然と突っ立って、次々と紙吹雪になっていく原稿用紙を見つめているだけだった。
なぜだろう?
たぶんその頃の総愛学院では、神父を殴るなんて考えられないことだったからだろう。それにぼくは "A Tale of A Little Thief" があまりにもやすやすと成功をおさめたので、第二作がこんなひどい目に遭うとは予想もしていなかった。だから、目の前で行われてることがどんなことなのか、すぐにはピンとこなかったのだ。ぼくは空想癖が強くて、目の前の現実には敏捷に対応できないたちの子供だった。
そんなわけで『菜の花の家』の原稿はあっさり紙吹雪になってしまった。もっともそれはこの作品のほんの書き出しの部分で、病気の兄が死んで、兄嫁と弟がセックスしようとして失敗するところで終わっていた。しかも、河原神父に見せるために清書した原稿だったから、元原稿のほうはまだノイマン屋敷に保管されていた。つまり、紙吹雪になってしまっても、原稿の内容が失われたわけではなかったのだ。しかし、ぼくは作品が否定され、拒絶されたことにショックを受けていた。それは初めての経験だった。
「どうしてこんなものを書いたんだ?」と河原神父はひどい悪戯をした生徒を叱るような口調で言った。「こんなもので一体何が言いたかったんだ」
「書きたかったのは自由と抑圧の問題です」とぼくは言った。
河原神父の眉毛が片方だけ大きく吊り上がった。
「なんだって?」
「自由と抑圧の⋯⋯」
「馬鹿を言うな」神父は突然立ち上がって怒鳴った。「子供に自由と抑圧がわかってたまるか」
ぼくは黙って神父の顔を見上げていた。たやすく反論できそうな気もしたが、何から話していいかわからなかった。話が通じるという自信もなかった。ぼくは架空の読者を想定しながら書く作家だった。話の通じない相手に語りかけるのは苦手だった。
「元気を出せ」最後に河原神父は急ににっこり笑ってぼくの肩を叩いた。「おまえは才能があるんだ。またいいものが書けるさ。ちょっと何を書いていいかわからなくなっただけだよ。子供だから仕方ないさ。なんて言ったかな、あの英語の小説みたいなのを書けよ。
ああいう美しい物語を」
「ええ、まあ、そのうち」とぼくは言った。ぼくの頭の中には、どうして "A Tale of A Little Thief" が美しくて、『菜の花の家』が美しくないのかという疑問が渦を巻いていた。しかし疑問は一言も口から出てこなかった。
「ひどいな」とヒューストンが言った。
ヒューストンというのは新聞部の部長だ。別に外国人じゃない。ヒューストンというのはあだ名だ。本来、歳から言えば高等部の三年になっているはずだったが、二度留年しているのでまだ一年だった。それでも年齢のせいで生徒たちからも教師からも一目置かれていた。勉強はできなかったが、文学に関しては学校の誰よりも詳しいという噂だった。《ヒューストン》というあだ名がどうしてつけられたのかはよくわからない。みんながそう呼んでいたのだ。もしかしたら落第するときの音を表現した言葉なのかもしれない。当時はアメリカの人工衛星の打ち上げ基地もヒューストンにあった。
「ひどいじゃないですか」とヒューストンは河原神父に言った。神父が原稿を紙吹雪にし終わったときだ。
「そうかい」と河原神父が言った。
「これは画期的な作品ですよ」とヒューストンはごみ箱の中を指差しながら言った。「この作品に比べたら、今まで校誌に載せてきた小説は子供の作文です」
「画期的ねえ」と河原神父は言った。
「こういう時代ですからね」とヒューストンは得意げに言った。「うちの校誌も画期的な小説を載せるべきなんですよ」
「画期的⋯⋯」と河原神父は繰り返した。
ぼくは横で聞いていて首のあたりが痒くなるのを感じた。なぜだろう? たぶんヒューストンの喋り方が変だったからだ。彼はしきりに画期的という言葉を使ったが、それを「ガキテキ」と発音した。神父はそのたびに「カッキテキ」と訂正したが、ヒューストンは構わず「ガキテキ」と繰り返した。きっと彼は子供のうちにこの言葉を間違って覚えてしまい、そのまま「ガキテキ」と発音するものだと思い込んだまま高校まできてしまったのだろう。ぼくにはそれがなんとなく悲劇的なことのように思われた。
なぜだろう?
「まかせとけ」とヒューストンは河原神父が行ってしまってからぼくに言った。「きみの小説はちゃんと校誌に載せてやるからな」
「大丈夫ですか?」とぼくは言った。
「まかせとけ」とヒューストンは言った。彼は浅黒い顔に焦げ茶色の縁のすごく高そうな眼鏡をかけていたし、表情はとても知的で大人びていた。彼に「まかせとけ」と言われると、なんとなくもう安心という気がした。なにしろ彼はもう三年も新聞部の部長を務めていたのだ。
「見てろよ。河原を大衆団交で吊るし上げてやるからな」ヒューストンは楽しそうに笑った。
「タイシュウダンコウ」とぼくは呟いた。
そのときぼくは大衆団交がどういうものなのか知らなかったのだ。
「今夜、大衆団交をやるんだ」とヒューストンは言いい、愉快そうに笑った。「教師を全員集めてな。もう校庭三十周とか便所掃除とか海軍兵学校みたいな制服とはおさらばさ。明日からビートルズみたいな恰好で登校できるんだ」
「ふうん」とぼくは言った。
《ビートルズみたいな恰好》という表現からぼくが連想したのは、アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットに写っている彼らの恰好、黄色とか赤とか青のけばけばしい軍服みたいな服装だった。
ぼくはその夜、大衆団交を見にいった。校舎の最上階にある大教室に高等部のほとんどの生徒が集まっていた。
一九六八年の高校生の間では、大衆団交が流行っていた。ロングヘアの禁止とか、制服制帽の着用とか、学校帰りの飲食の禁止とか、当時の総愛学院は生徒を規則でがんじがらめに縛っていたのだが、高校生たちはこうした規則を廃止して、生徒の自治を学校に認めさせようとしていた。もっとも、そういうことがわかったのはもっと後のことだ。そのときのぼくはただぼんやり大教室の中を覗いていただけだった。高等部の連中は中等部を子供扱いしていたので、ぼくらは中に入れてもらえなかったのだ。
中等部の生徒が他にも数人、窓の隙間から覗いていた。彼らは中等部の中でもわりとませた連中で、大衆団交で何かが変わることを期待していた。
大教室の中は眩しい光が溢れていた。中の高校生はみんな立ち上がって腕を振り回しながら何か叫んでいた。
ぼくには彼らが「ガーガーガーガー」と言ってるように聞こえた。
「ガーガーガーガーガーガー」
高さ一メートルほどの大きな教壇の上には神崎神父と訓育生たちが立っていた。ほかに神父たちはいなかった。神崎神父は片目をくすぐったそうにつぶりながらにやにや笑っていた。訓育生たちは神父の後ろで腕を後ろに組み、脚を少し開き、真っすぐ前を向いたまま動かなかった。彼らはいつもの服装、つまり白いトレーニング・パンツに白い襟なしのワイシャツ、白い運動靴といった白ずくめの恰好をしていた。頭は特に念入りに刈り上げて、ほとんど禿げ頭みたいになっていた。
高校生たちは一時間ほど「ガーガーガーガー」と叫んでいた。
「ガーガーガーガーガーガーガーガーガーガー」
それから気の短い連中が一人二人と教壇の上に飛び上がり出した。彼らは神崎神父に掴みかかりながら、「ガーガーガーガーガー」と叫んだ。すぐに後ろに並んでいた訓育生たちが彼らを神父から引き離し、おなかを蹴ったり後頭部を殴ったりしておとなしくさせた。席にいる生徒たちは相変わらず手を振り上げて「ガーガーガーガー」と言っていた。教壇に上がろうとする生徒はあとを断たなかったが、みんな一人か二人ずつ上がっていくので、簡単に訓育生に押さえられてしまった。春からの訓練が訓育生を鍛えていた。彼らは一発のパンチや膝蹴りで、簡単に相手を気絶させることができた。
「ばかだなあ」とぼくの横で中を覗いていた中等部の生徒が言った。「もっと大勢で一度にかかっていけばいいのに」
彼は廊下の窓を大きく開けて、教壇に向かって「ガーガーガーガー」と叫んだ。
「よせよ」と彼の横にいた別の中学生が言った。「見つかっちゃうじゃないか」
「かまうもんか」と最初の生徒が言った。「あんなやつら、恐くないよ」
ぼくは大教室の真ん中あたりにヒューストンがいるのを見つけた。彼は他の生徒と同じように立ち上がって腕を振り上げながら「ガーガーガーガー」と叫んでいた。ぼくは騒音の中で、彼がぼくの作品を擁護し、校誌か学校新聞に連載するよう求める言葉を聞き取ろうとした。しかし、ぼくの耳には「ガーガーガーガー」という声しか聞こえなかった。
そのうち神崎神父と訓育生たちは、教壇から降りて廊下に出てきた。高校生たちの何人かが彼らを行かせまいとして出口に立ちふさがったが、あっさり腹を蹴られて廊下にはじき出された。
「やあ、来てたのかい」と神崎神父がぼくを見つけて声をかけてきた。同時に鉄の義手が伸びてきて、ぼくの首を掴んだ。とたんに金属の冷たい感触がぼくの全身にしみわたった。
「今晩は」とぼくは言った。
「きっと来てると思ったよ」
神父はそう言いながらちょっとうれしそうに笑うと、あっさりぼくの首から手を離して行ってしまった。ぼくは呆然と彼と訓育生たちを見送った。ふと気がつくと、ぼくの足元にはさっき教室の中に向かって「ガーガーガー」と叫んでいた中等部の生徒が蹲っていた。訓育生に殴られたのだろう。教室の中では高校生たちがまだ「ガーガーガーガー」と叫んでいた。
その晩の大衆団交はそれでおしまいだった。
一九六八年の総愛学院で開かれた大衆団交もそれが最後になった。
大衆団交が行われたのは土曜日の夜だった。そして月曜日の朝、ぼくが登校すると、高等部の生徒たちが運動場を走らされていた。頭は訓育生と同じようにツルツルに剃られていた。全員が素っ裸で、四列従隊を組み、おちんちんをブラブラさせながら走っていた。大衆団交に参加した連中だった。ヒューストンも列の後ろのほうで、頭から湯気を立て、息を切らしながら走っていた。校舎の前で、大衆団交に加わらなかった高校生たちが、やや蒼ざめた顔で笑いながら見物していた。彼らはその日夕方まで運動場を走らされていた。多分百周以上しただろう。
それが大衆団交の結末だった。
「大丈夫ですか?」とぼくはヒューストンに声をかけた。
夕方の新聞部の部室で、彼は椅子を三つ並べてその上に死んだように横たわっていた。頭を剃った彼はなんとなく壇家の奥さんとセックスした後の坊さんみたいに見えた。
「心配するな」彼はぼくの声を聞くと、バネ仕掛けのおもちゃみたいに元気よく起き上がった。
「一体あれから何があったんです?」
「まあ、色々さ」彼は悪びれずに言った。
「色々⋯⋯」とぼくは呟いた。
彼が案外ケロッとしてるので、ぼくは安心すると同時にちょっとがっかりした。なんとなく真剣みが足りないような気がしたからだ。
土曜日の大衆団交の後、学校は高等部の生徒の親に電話をかけ、日曜日に全員を学校に呼びだした。神崎神父は彼らに、息子たちの頭を丸坊主にしろ、さもないと退学にするぞと脅した。親たちはびっくりして飛んで帰り、息子たちを丸坊主にしてしまった。そして息子たちは月曜日の朝、一時間早く登校させられ、素っ裸で走らされるはめになったというわけだ。
「心配するな」とヒューストンはまた力強く言った。「それよりきみは小説を書けよ。こんなことくらいで挫けちゃだめだ」
「ええ」とぼくは言った。「でも、校誌に乗せるのはもう無理でしょうね?」
「そんなことはないよ。この次はやつらをねじ伏せてやる」
「大丈夫ですか?」
「まかせとけ」ヒューストンは軽く胸を叩いて笑い、また椅子の上に横になった。
「もっと大勢で一度に飛び掛かれば訓育生なんて簡単にやっつけられたのに」とぼくは言った。
「そうか」と言いながら、ヒューストンはまた勢いよく起き上がった。「それは気づかなかったな」
「そうでしょう」とぼくは言った。「一度に飛び掛かるにかぎりますよ」
「そうだな」とヒューストンは言った。
しかし、すべてはそれでおしまいだった。
結局、高校生は二度と大衆団交を開こうとしなかったし、『菜の花の家』は校誌に掲載されなかった。
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