イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4

イメージ 4

国分尼寺跡から吉備路サイクリングロードを東へ少し走ると、

小さな丘がいくつも見えるようになってきた。

これらはすべて古墳らしい。



日本で4番目に大きな造山古墳もこのあたりにあるのだが、

「造山古墳」の標識が立っていた角を曲がってみたものの、

小さな古墳たちに出くわすばかりで、一向に巨大古墳にたどりつかない。



何度もサイクリングロードに戻りながら、やっと見つけた造山古墳は、

でかすぎて一部しか見えず、

全体が見える小型古墳にくらべてあまりに普通の山に似ているので、

案内板がなかったら見落として行き過ぎてしまうところだった。

イメージ 1

今年は猛暑の分だけ強烈な陽射しを浴びて、

夏野菜・夏の果物が豊作とのこと。



一方、レタスとかキャベツとかほうれん草は、

夏の陽射しが苦手なのと、

大雨にやられたりして、不作らしいですが、

トマト、ピーマン、ナスとかは見事なのが店頭に並んでます。



夏の桃、スイカ、ブドウなんかはかなり甘いということなので、

ためしにスイカを買ってみました。

写真だと大きさがいまいち伝わりませんが、小玉スイカです。



スーパーで698円。

大玉にくらべて軽いから、持って帰るのが楽で助かります。



まあ、大玉でも半分に切ったのを買えばいいじゃねえかって話ですけど、

小玉だと、リュックサックなんかの底に放り込んで、

その上からほかの食品を入れて、

せかせか歩いて帰っても実がいたむ心配もないのでいいですよね。



小玉スイカって甘みが薄いイメージがあるんですが、

今年のはなるほど甘いですね。

ただ、大玉より上品な甘さかな。

品種によるのかもしれないけど。



スイカのおいしさを思い出してしまうと、

今度は猛暑の真夏らしく、

ドカーンとバカでかい大玉スイカを買ってきて、

水を飲む変わりにガシャガシャ食いまくりたくなってきました。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5 イメージ 6

イメージ 6

国分寺から南側に吉備路サイクリングロードというのが走っているのが見えた。

総社駅の方から岡山市方面まで、

吉備路の史跡を結びながら続いているらしい。



あざやかな菜の花畑を眺めながら、サイクリング再開……と思ったら、

もう次の史跡である国分尼寺に着いてしまった。



国分寺とペアで建てられた尼寺だが、

国分寺の方が火災で崩れた建物を再建したりしながら、

今日まで残っているのに対して、

国分尼寺の方は森の中に礎石が残っているだけの完全な廃墟。



尼さんのなり手が少なかったからだろうか?



国分尼寺跡はあちこちで目にするから、

奈良時代、全国に国分寺が創られたときは、

尼寺も必ずペアで創ることという方針が貫かれたのかもしれない。



そう考えると、奈良時代は女性がけっこう重んじられていたのかなという気がする。

庶民はともかく、古代にはやたらと女帝が多い。

聖徳太子の時代の推古天皇とか、

天武天皇のあとに皇后から天皇に即位した持統天皇とか、

奈良時代にも孝謙天皇がいる。

聖武天皇の妃・光明皇后は、

天皇に即位してはいないものの、

夫の聖武天皇と並んで、奈良時代の仏教普及運動の中心人物だったという。



国分寺+尼寺というペア構想は、

光明皇后の影響が反映されているのかもしれない。

ついに満杯

イメージ 1

ついにこのブログ、写真の容量が限界に達したようです。

昨日、吉備路紀行の写真をアップしていて、

途中からエラーが出るようになり、

よくよく画面を見たら、

よくある、一度にアップできる容量をオーバーしているとかではなく、

ブログ全体の容量が一杯とのこと。



2Gバイトの容量で、どこまでアップできるのかなと思いながら、

けっこうでかい画像をたくさんのせてきた5年間でしたが、

定められた終わりというのは、

なかなか来ないと感じているうちに突然やってくるもんなんですね。



なんだか人の寿命に似ているような気もします。



さて、この先どうするか……



せっかくアップした記事・写真を消すのももったいないので、

新しいアカウントを取得して、

新しいブログを始めるつもりですが、



今連載中の吉備路紀行くらいはここで完結させたいので、

とりあえず初期の食い物に関する記事をいくつか消して、

あきを作ってみました。



記事を消すとき思ったんですが、

5年前はそこそこ収入があったせいか、

かなりいいものを食ってますね。



記事としても消すのは惜しい気もしますが、

まあいいか……。



というわけで、

吉備路紀行が終わったら、

新しいブログを開設しますので、あしからず。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5 イメージ 6 イメージ 7 イメージ 8 イメージ 9
イメージ 10 イメージ 11 イメージ 12 イメージ 13 イメージ 14 イメージ 15 イメージ 16 イメージ 17 イメージ 18
イメージ 19 イメージ 20

イメージ 20

作山古墳から東へちょっと走ると、遠くに美しい五重塔が見えた。

奈良にやってきたような錯覚に陥る。

これが備中国分寺だ。



寺の前に自転車を停めて敷地内に入る。

国分寺は聖武天皇の命令で全国の国ごとに造られた寺だ。

ただ行政で地方をおさめるだけでなく、

仏教の力を借りようとしたところに、

信仰心の厚い聖武天皇の志があらわれていると、

歴史で教わったような気がする。



しかし、当時の仏教は単なる宗教ではなく、

中国の先端技術と不可分であり、

日本にとってはグローバリゼーション/近代化政策の一環でもあった。



これより前、聖徳太子/蘇我氏などによる仏教導入が、

高句麗/百済系豪族による朝鮮半島経由だったのに対して、

天武/聖武天皇の白鳳/天平時代のそれは、

唐大帝国から直接、人・モノ・技術を受け入れている。



たとえば天平時代の仏像が、

飛鳥時代のものにくらべて急にリアルになり、

素人が見ても技術的レベルが格段アップしているのがわかるのは、

やはり唐から優れた職人たちがやってきたからだろう。



唐には中東やインド、中央アジアなどから様々な人や文化が入っていたため、

日本にも国際色豊かな文物が入ってきた。



これが白村江の戦い〜壬申の乱を契機とした日本の大政変によるものだとすると、

さっき見てきた異様な山城と、見た目にあまりにも大きな落差があるこの国分寺は、

ひとつながりの歴史の産物なのだ。



ただ、残念なことに奈良時代の国分寺は、

建物がすべてなくなっていて、

現在残っているのはすべて江戸時代に再建されたものだという。



現在の境内の外には、奈良時代の建物の礎石が残っている。

ということは、創建当初の方が規模ははるかに大きかったのだろう。



歴史というのは時の流れにしたがって、

ものごとが進歩/進化していく過程だと考えがちだが、

こういう例を見ると、かならずしもそうではないことがわかる。



イタリアや南フランスやスペインを旅していると、

あちこちでローマ帝国時代の巨大で高度な建造物の遺跡に出くわし、

ヨーロッパの建築とか社会インフラみたいなものは、

古代に達したピークから一度衰退したのであって、

中世から近世を経てそれを再び超えるようになったのは、

産業革命以降のことなんじゃないかと感じたりもするのだが、

この国分寺/国分寺跡を見ていると、

それと似たようなことを感じてしまう。


奈良時代のあとも、日本は何度か活発に中国との交流をおこない、

そのたびに新しい文物と仏教の流派を取り入れて社会を変革しては、

その後、国内の政情不安や中国側の戦乱などでそれが途絶え、

鎖国状態の中で輸入文化の消化と独自な文化の創造を

くりかえしていくことになる。



幕末の開国から明治維新、第二次大戦の敗戦と戦後のアメリカ化など、

日本近代の歴史も、このパターンからそんなにはずれていないのかもしれない。


.
shu*i*ha*a
shu*i*ha*a
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事