イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

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いつも材料をあれこれ入れすぎて、

結局同じような料理を作ってしまうクセがあるんですが、

昨日は珍しくシンプルにねぎとナスと豚ヒレ肉のさっぱり炒め。

味付けもニンニクしょうゆであっさりめに。



長ねぎは上の青いところをたっぷり使いました。

ちょっと硬いですけど、

夏は長ねぎが高いですから無駄にはできません。



九条ねぎとか、

関西で主流の

全体が緑色した長ねぎにくらべると

うまみがいまいちですが、

歯応えを楽しむと割り切れば、

関東の長ねぎの葉の部分も、

それなりにおいしくいただけます。

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鬼退治についてなおもあれこれ考えながら鬼ノ城をあとにした。

さっき自転車をガードレールにチェーンで固定したところまで、急坂を歩いて下り、

今度は自転車に乗って一気に山を下る。

1時間近くかかった登りが下りは数分。

つくづく重力というのはすごいなと感じる。



平地に戻ってまっすぐ道路を南下すると、

右手に大きな古墳が見えた。

地図によると、これは日本で9番目、岡山で2番目に大きい作山古墳。

このあたりは日本でも有数の古墳密集地域だ。


近くには日本で4番目に大きい造山古墳というのもある。



4〜5世紀の古墳時代に、

大和王権に対抗するような王権がこの吉備の国にあったという説と、

大和によって吉備が平定されてから、

大和王権によって築かれたという説があるとのこと。



どっちにしても、吉備は大和王権によって征服されたと見られるのだが、

その征服は、時系列的にいうと、

白村江の戦い〜壬申の乱があった7世紀より数百年前のことだ。



とすると、このときの征服は、

「鬼退治」伝説を生まなかっただろうか?



ここにもうひとつの大きな謎がある。

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大岡山「ヒルママーケットプレイス」には、

よくノルウェー産のサバの塩漬けを売っていて、

ときどき買います。


昨日はノルウェー産アジのみりん干し2尾200円というのがあったので、

買ってみました。



安い!



冷凍/解凍してあるけど、品質はまあまあ。


日本のみりん干しと味は変わらないです。

ちなみにサバの塩漬けも塩分控え目。



それから、このノルウェー産の干物シリーズは、

骨がとってあるので食べやすいです。



日本向けに現地で加工してるんでしょうけど、

どうしてそこまでていねいな仕事ができるんでしょうね。



日本産の干物はまず骨をとってないから、

ちょっと不思議な気がします。



どちらかというと、魚は欧米人の方が骨付きのままを嫌うと思うんですが。



日本側からそういう面倒な注文をしてるんでしょうか。



ノルウェーの作業員たちはその作業をどう感じてるんだろう?

「日本人め、めんどくせえ仕事させやがって」と思ってるでしょうか?

それとも、自分たちが骨をとりながら魚を食べるのは面倒だと感じているから、

めんどうでも納得してやってくれてるんでしょうか?



とまあ、そんなことを考えながら、

ノルウェー産アジのみりん干し、おいしくいただきました。



ラタトゥイユと冷や奴とアジのみりん干しという、

ちょっとミスマッチな夕食でしたが、

ビールにはなかなかよく合います。

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ひさしぶりの大岡山スーパー「ヒルママーケットプレイス」日曜朝市で、

ズッキーニ98円、大きめナス3本98円、巨大トマト3個398円など、

夏野菜を格安で手に入れたので、ラタトゥイユをつくってみました。


オリーブ油で炒めて、

塩コショー、白ワインで味付けしただけですが。


もうちょいお金があれば、

黒オリーヴとか南仏っぽい材料を入れるんですけど、

まあ、こういうシンプルなのもわるくないですね。


いかにも夏真っ盛りの夏野菜という味がします。

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この山城が、白村江の敗戦後に中大兄皇子が築かせたものだとすると、

そして彼が百済と深い関係にあり、

白村江の戦いの2年前に新羅・唐によって滅ぼされた百済から、

大量の難民を受け入れ、

こうした山城にも百済の建設・土木技術が使われているということになると、

一体「鬼の城」というのは何なのだろう?



この吉備路紀行の最初に書いたように、

この岡山県南部には、

百済からやってきて製鉄技術を伝えた「温羅(うら)」という鬼がいて、

大和の英雄に退治されたという伝説が伝わっている。



とすると、この鬼は661年に滅んだ百済からやってきた技術者たち、

あるいはそういう技術集団を抱えた部族だったのだろうか?



とすると、この百済系部族はいつ、誰に退治されたのだろう?



一番ありそうなのは、前回も書いた672年の壬申の乱のときだ。



前回でも触れたが、この動乱は天智天皇(中大兄皇子)の弟・大海人皇子(天武天皇)が、

天智の死後まもなくその後継者である大友皇子を破った、

いわば大和朝廷内の相続争いであると歴史では教えている。



しかし、天智が当時の大帝国である唐に反逆して敗れたのに対して、

天武は権力奪取の直後から積極的に唐の政治制度や文化を取り入れている。

天智がアンチグローバル派だったのに対して、

天武はグローバル派。



これは単に個人的な政治思想の違いということではない。

そもそも天智(当時はまだ中大兄皇子)はなぜ、

大帝国・唐に滅ぼされてしまった百済に義理立てして朝鮮半島に大軍を送り、

勝ち目のない戦いを挑んだのか?



裏日本史の世界では、

天智(中大兄皇子)とその一族が百済系の王族であり、

当時の大和/日本は百済の植民地国家だったからだという見方がある。



百済がただの同盟国だったら、

すでに滅んでしまった国のために、

大帝国・唐と朝鮮半島の覇権を確立した新羅に

わざわざ戦いを挑んだりしないだろう。


しかし、百済が彼らの母国だったとしたら?



壬申の乱は、大海人皇子が大友皇子のいる近江の大津に攻め込んで制圧したという部分だけが、

一般によく知られているが、

全国(今で言う西日本だけど)各地で戦いがあったと言われている。



とすると、それは天智と大海人皇子という兄弟の私兵による戦いというより、

百済人による反唐・新羅、アンチグローバル派と、

親唐・新羅、グローバル派の戦いだったはずだ。


唐・新羅が軍を派遣していたという説もある。



北九州から瀬戸内海沿岸にかけて築かれた防衛拠点が、

唐・新羅軍の侵攻に備えたものであり、

壬申の乱で百済人および親百済派が敗れたとすると、

当然、こうした防衛拠点をめぐる攻防戦はあったと考えるのが自然だ。



昨日はとりあえず、

こうした防衛施設をめぐる戦いはなかったと書いたが、

それは「日本書紀」など、

歴史的資料にそうした記録がないから、

オフィシャルな歴史としてはそういうことになるという意味にすぎない。



しかし、裏日本史的観点から見えてくる現実は、

そうした戦いがあったはずだと教えている。



それがうやむやにされているのは、

大和朝廷が朝鮮半島からの移民による政権であり、

敗れた親百済派・アンチグローバル派も、

勝った親唐・新羅派・グローバル派も、

百済系の王族・豪族連合体だったからだろう。



白村江の敗戦から壬申の乱という内乱を経て、

敵だった唐大帝国の支配を受け入れながら、

なんとか独立国としてのかたちを維持した大和/日本は、

太平洋戦争に敗れたあとの日本とどこか似ている。



唐の制度・文化を受け入れて再スタートした藤原京・平城京時代の大和/日本は、

鬼畜米英のスローガンのもと挙国一致で遂行された戦争を

一部の「軍国主義者」のせいにして、

手のひらを返したような親米路線で戦後の経済復興に邁進した日本を思わせる。



とすると、退治された「鬼」とは、

敗戦の責任を背負わされた当時の「軍国主義者」、

百済系・反唐勢力のことなのだろうか?


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