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「ファミリー/シャロン・テート殺人事件」エド・サンダース著/小鷹信光訳 草思社刊
このブログで何度か触れた、チャールズ・マンソンとその「ファミリー」の話。
マンソンは少年時代から犯罪と投獄を繰り返してきたが、
60年代後半のサンフランシスコに現れると、
巧みな弁舌と異常な性的能力でフラワー・チルドレンたちを惹きつけ、
「ファミリー」と称する教団を組織した。
しばらマンソンは次第に攻撃的な行動をあおるようになり、
やがてファミリーのメンバーたちに、女優シャロン・テート宅に侵入させ、
テートとその友達を残忍な方法で殺させた。
シャロン・テートは映画監督ロマン・ポランスキーの妻で、
当時は彼の子供を妊娠していた。
犯人たちはただ彼女を殺しただけでなく、
彼女のふくらんだお腹にフォークを突き立てるなどの残虐行為をした。
マンソンとファミリーは逮捕された。
1969年のことだ。
マンソンのことは知らなくても、
オウム真理教の原型がここにあると感じた人は多いだろう。
これをただの気違い集団の話と片づけてしまうのは危険だ。
そこには社会に疑問を抱く人間がはまりこんでいく罠がある。
フラワー・チルドレン、ヒッピーとは、
1960年代に、経済主導の文明社会に疑問を抱き、
そこから抜け出して自由に、人間的に生きることをめざした人たちだった。
その彼らの中からなぜ、マンソンのように凶悪な支配者に操られる奴隷が生まれたのか……。
そこに「人間」というもののメカニズムのダークサイドがある。
たまたまマンソンや麻原のように凶悪な人間に、
うぶな若者たちがひっかかったというだけで問題を片づけてはいけない。
マンソンも麻原も、最初から凶悪な殺人をめざして教団を組織したわけではない。
カルトにおいては教祖自身もカルトに操られる存在なのだ。
教祖は自分の権威を維持し、信徒をつなぎとめるために、彼らの危機感をあおらなければならない。
世の中がまちがっていて、それと戦わなければならないと信じ込ませなければならない。
世の中が平穏であっては困るのだ。
だから教祖は世の中がいかに腐っているかを説き、信徒たちに社会を攻撃させる。
信徒たちは自分たちが反社会的になればなるほど、世の中とのあつれきを経験する。
そうなると、教祖のいうことが正しいと感じるようになり、ますます教祖なしで生きられなくなる。
彼らを馬鹿よばわりしても始まらない。
人間は世の中になんらかの矛盾や疑問を感じながら生きているかぎり、潜在的なカルトの信徒予備軍なのだ。
そうでないとしたら、世の中になんの疑問も持たない馬鹿でしかない。
生きるということは、どちらに足をすべらせても地獄に堕ちかねない、刃物の上を歩くことなのだ。
この本はそうした生きることの危険を教えてくれる。
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