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ワインの心地よい酔いにふらつきながら、夜のローマ通りをホテルへ戻る。
旅が終わった。
なんだか人生が終わってしまったような解放感と閉塞感。人間はイメージする機械なのだ。常にイメージする努力を続けていなければ死んでしまう。
いつから人間は人間として生きる権利を生まれながらに持っていると勘違いしてしまったのだろう? それは近代国家が国民をなだめ、暴動を起こさせないために記した法律の理念に過ぎないのに。
現実の人間は常に戦い続けなければならない。人間であることを人間同士確認しあいながら、人間である自分をイメージし続けなければならない。
その戦いを怠り、国家や親が人間としての権利を自分に与え、自分を守ってくれるという根拠のない幻想に甘えているかぎり、人間はただの肉の塊でしかない。
ミシェル・フーコーの『言葉と物』の有名な一節を思い出した。
「奇妙なことに人間は−−−素朴な眼に、それにかかわる認識はソクラテス以来もっとも古い探求の課題だったと映っているのであるが−−−おそらくは、物の秩序のなかのあるひとつの裂け目、ともかくも、物の秩序が知のなかで最近取った新しい配置によって描きだされた、ひとつの布置以外の何ものでもない。新しい人間主義(ユマニズム)のすべての幻想も、人間に関する、なかば実証的でなかば哲学的な一般的反省と見なされる「人間学」のあらゆる安易さも、そこから生まれてきている。それにしても、人間は最近の発明にかかわるものであり、二世紀とたっていない一形象、われわれの知のたんなる折り目にすぎず、知がさらに新しい形態を見いだしさえすれば、早晩消えさるものだと考えることは、何とふかい慰めであり、力づけであろうか」
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