イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

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今年はみかんもりんごも甘い。
スーパーで安売りしているりんごでさえ、蜜が入っていて、ものすごく甘かったりする。
昨日買った伊予柑もみずみずしくて甘かった。

もしかしたら、去年の夏が猛暑だったせいだろうか。
夏に日照りが続くと、木がしっかり光合成をして、糖分をたくさん果実に蓄えるという。

去年の猛暑では体調を崩したが、こういういいこともあるのだ。

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念仏寺からさっきの土産物屋が並んでいた道に降りる。

このまま戻ろうかとも思ったのだが、目の前にわらぶき屋根の家があったので、ちょっとびっくり。この通りはもしかしたらただの土産物屋が並ぶ参道ではないのかもしれない。

来た方向と逆へ少し歩いてみる。
何軒かわらぶき屋根の家が並んでいる。農家ではなく街道沿いの町屋なのだが、わらぶき屋根なので、ものすごく田舎に来たような錯覚に陥る。京都というより、山梨から長野あたりの旧街道みたいな風情だ。
屋根の藁にはびっしりと苔がむしている。いかにも山あいの陽があまり当たらない昔の街道らしい屋根だ。

道標には、この先車道を行けば3キロほど、山越えをすれば1.4キロで清滝に出るとある。この道はたぶん地図にある清滝街道なのだろう。京と丹波を結ぶ昔の幹線道路のひとつだ。
清滝の先はたしか愛宕山で、明智光秀が織田信長を本能寺で急襲する前に、連句の会に出席した神社があるはずだ。

ときはいま あめがしたしる さつきかな

この句は光秀が天下を狙う気持をこめたものとして伝えられている。これから謀反を起こして政権を奪おうというときに、そんな証拠を残すわけがないような気もするが。
この句は政権への野心というより、時代は混沌としているけれども、そろそろ「あめ」つまり天の神様が正しい政治へと導いてくれるだろうというような意味だったという解釈も成り立つ。

去年読んだ小説「信長の棺」では、実は光秀がこの句会に出たのは、近くの豪商茶屋四郎次郎の別荘で朝廷の実力者・近衛なんとかと密会し、信長追討の公式命令が出たことを確認するためだったということになっている。天皇の公式な追討命令が出たと信じた光秀は、_柴秀吉の中国攻めに加わるはずだった大群を率いて本能寺を襲う。光秀は朝廷に政権を返す正義の味方のつもりだったのかもしれない。

そのとき軍勢はこの狭い街道を通ったのだろうか? 大群が通るには狭すぎる気もするが、昔の幹線道路というのはどれもものすごく狭いものだ。

信長暗殺に成功した光秀は、見事に裏切られることになる。朝廷も公家たちも知らん顔をする。信長討伐を命じた天皇の公式などなかったのかもしれない。孤立した光秀がまごまごしているうちに、秀吉は中国地方で戦っていた毛利と和睦して京に急遽引き返してくる。天王山の戦いで敗れた光秀は近在の土豪の手にかかって殺される。

光秀の誤算は、サポートを期待していた朝廷・公家・町衆に裏切られたことと、毛利とにらみあって中国地方から動けないと思っていた秀吉があまりにも早く和睦して京に戻ってきたことだと言われる。そこから本能寺の変は秀吉があらかじめ朝廷・公家と組んでいたという陰謀説が生まれた。徳川家康も一枚かんでいた、あるいは真の首謀者は家康だったという説もある。まあ、朝廷・公家・町衆・武将たちなど、誰にとっても絶対君主・信長は危険な存在だったのかもしれない。

信長が生きていたら、日本は地方分権の封建制からフランスのような絶対君主制に移行していただろうか? 科学技術や産業も発達しただろうか? あるいはいずれスペイン・ポルトガルの侵略を許し、中南米のように植民地になってしまっただろうか? 

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