
檜原神社からさらに南下すると、いよいよ神々の山が迫ってくるのを感じる。
狭井(さい)という、これも大神神社の摂社らしい神社があった。
弁天様を祀った池のほとりには、
三島由紀夫の「清明」という文字を刻んだ石碑と、
遺作「豊饒の海」の第2巻「奔馬」を書くにあたってこの地を訪れ、
三輪山に登った三島のことを紹介した銘文がある。
三島由紀夫が「楯の会」という右翼団体を率いて、自衛隊市ヶ谷駐屯地に軍服姿で現れ、
自衛隊幹部を人質に立てこもり、
自衛隊員相手に時代錯誤の演説をして割腹自殺したのは、たしか1970年の11月だった。
その日の夕刊の第1面には、
三島ともう1人腹を切った若者の首が床に並んで置かれている写真が掲載された。
そのときぼくは高校2年。
その年の9月にジミ・ヘンドリクスが死に、10月にジャニス・ジョプリンが死んで、
アメリカでひとつの時代が終わろうとしていたときだ。
フラワー・チルドレンやヒッピー、ロックミュージック、反戦運動、左翼運動など、
色々なかたちはあったものの、
人間を抑圧する社会のシステムに様々な人たちが疑問を感じ、
異議申し立てのために行動した時代だった。
その時代の流れの中で、
三島由紀夫の昭和初期みたいな右翼ファッションとハリキリは、
とても滑稽でグロテスクな感じがしたのを覚えている。
当時「豊饒の海」は第3巻まで出ていて、
ぼくはちょうど1週間ほど前に、その第3巻「暁の寺」を読んだばかりだった。
「豊饒の海」は第4巻で完結することがすでに予告されていたので、
「この第4巻はどうしたんだろう?」と思ったら、
自殺の直前に原稿を出版社に届けていたらしく、
まもなく第4巻「天人五衰」は出版された。
しかし、なんとなく三島に幻滅していたぼくは、
その後、長いことこの「天人五衰」を読まなかった。
第3巻までの時代錯誤的なワクワク感に、
ちょっと魅力を感じていた自分が恥ずかしかったのかもしれない。
読んだのはほんの数年前のことだ。
第3巻までのワクワク感にくらべて、
第4巻は衰えと幻滅の感覚に満ちている。
とても頭がよく、感性豊かだった三島は、
単なるアナクロニズムの人ではなく、
ほとんどの日本人が近代化のために目をそむけている自分たちのアイデンティティーを、
彼らの目の前に突きつけるために、
ひねくれた、インパクトの強い表現を選んだのだ。
自分も50歳を越え、生命の衰えを感じるようになり、
日本人とは何かをリアルに考えられるようになって、
三島の気持が少しはわかるようになった。
文学として評価するということとはまた違うのだが。
狭井神社の境内に入ると、三輪山の登山口があった。
社務所に届出をすれば、誰でも登れるらしい。
ただ、時間制限があって、この日はすでにその時刻を過ぎていた。
社殿の左側奥には水汲み場があった。
名水らしく、きれいに整備されている。
そばには殺菌装置の中にならんだコップ。
「ポリタンク、ペットボトルに汲んで持ち帰らないでください」という看板が掲げてあるのだが、
老夫婦がポリタンクにせっせと水を汲んでいた。
たくましいなあ。
殺菌ボックスからコップをとりだして一杯飲んでみた。
日本のどこにでもある軟水だが、
たしかに清らかで甘い。
砂糖に甘さではないのだが、不思議と「甘い」という表現を使いたくなるようなうまさなのだ。
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