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2009年9月30日 | 2009年10月2日
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岐阜を離れる前に、駅ビルで夕食。 あれこれ迷った結果、客がひとりもいない中華料理店で、 2000円の弁当的なお手軽コースと生ビール。 津島・岐阜歴史探訪のしめくくりが、 お手軽中華というのも気が引けるが、 旅ではそのときの疲れ具合や気分によって、 食べたいものがちがってくる。 このときは、列車の時間もあるから、のんびり食事をしているヒマもないし、 それでもあれこれつまみたいし、 ビールもちょっと飲みたいという気分だったのだ。 こういうときにこういう中華の格安コースというのはありがたい。 ビールのつまみにもなればごはんのおかずにもなる料理があれこれあって、 栄養のバランスもいい。 和食や洋食にこういうのがあるかというと、 意外とないものだ。 手軽に満足して、 適度にアルコールがまわったところで、 新幹線に乗るのもめんどうなので、 在来線に乗ってのんびり関西方面へ向かった。 新幹線に乗るより2500円ほど安いから、 これで夕食代がまかなえた計算だ。
金曜日の話だが、 午前と午後の取材のあいだに時間があいたので、 午前の取材地・飯田橋からお茶の水に移動し、 昼食の後、湯島を歩いてみた。 東京・文京区湯島はぼくが生まれた土地だ。 今は湯島二丁目だか三丁目だかになっているが、 1953年当時は湯島新花町と呼ばれていた。 湯島といえば湯島聖堂や湯島天神が有名だが、 江戸時代は待合い茶屋という、 今で言えばラブホテルのようなものが集まった歓楽街でもあったという。 今でもその名残なのか、ラブホテルがけっこうある。 まず御茶ノ水駅から聖橋を渡って、湯島聖堂をちょこっとのぞき、 知り合いの写真家がやっている個展に顔を出し、 ラブホテルが並ぶ坂を登っていくと、 湯島天神に突き当たる。 その手前を左の方に行くと、 ぼくが生まれた家のあった場所があるのだが、 かなり前に訪れたとき、建物はなくなって駐車場になっていたので今回はパス。 あまり時間がないので、 1年だけ通った湯島幼稚園や、 兄が滑り台から転落して頭を切った湯島小学校もパスして、 湯島天神だけのぞいてみた。 鳥居をくぐると左手に、寄進された額を飾ってある建物があり、 その下がなぜか喫煙所になっている。 昔はたしかここにたくさん穴があいた建物があって、 その穴が鳩のになっていたのだが、 あの鳩たちはどこにいったんだろう? 右手に大きな銀杏の木があり、 上野広小路方面へ下る急な石段がある。 昔は湯島天神まで海の入り江になっていて、 この銀杏を目印に船が航行していたという話をどこかで読んだ記憶がある。 室町時代だか、鎌倉時代の話だから、 銀杏の木もこれではなく、その先代、先々代の木だったのだろう。 この急な石段は男坂と呼ばれていて、 左手にはもっとなだらかな女坂という石段もある。 男坂の真ん中の手すりは、なんだかモダンな感じのものに付け替えられているが、 昔はもっと無骨な鉄パイプだか太い鎖だったような気がする。 宝塚の親の家には当時の写真が何枚かあって、 たしか兄とこの手すりにまたがっておどけている写真があったはずだ。 石段の下をまっすぐ広小路へ歩くと、松坂屋デパートがある。 昔、散歩がてら広小路まで歩いて、 松坂屋でおもちゃを買ってもらったことがある。 後楽園も歩いて行けた。 考えてみればずいぶん都会に住んでいたんだなあと感心する。 当時はまだ近所にずいぶん空き地があって、 子供たちの遊び場になっていた。 そのせいか、のどかな田園地帯のような印象が記憶に残っているのだが、 もしかしたらそうした空き地は戦争の焼け跡だったのかもしれない。 聖橋には白装束に偽足の傷痍軍人たちが並んでいて、 アコーディオンを弾きながら物乞いをしていた。 戦争はまだつい昨日のことだったのだ。
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