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朱色の荘厳な門をくぐると、奥には茶色の世界が待っていた。
熊野神社を思い出させる焦げ茶色の神々の住まい。
この神々は太古からここにいるのだろうか?
それともよそからやってきたのだろうか?
朱色の門や橋の唐風のデザインは、
白鳳・天平から平安初期のグローバリゼーションの産物だとすると、
この茶色のデザインはいつの時代の産物なのだろう?
唐風より古いからといって、原初から大和/日本に鎮座しているとはかぎらない。
伊勢神宮は神武天皇に連なる、天から降臨した神々の社のはずだから、
もともとは九州・宮崎の高千穂あたりから移ってきたのだろうが、
なぜか「元伊勢」と称される神社は丹波山地にあったりする。
天孫降臨に象徴される、大陸・朝鮮半島からの民族渡来は、
たぶん長い年月のあいだに、様々な部族によって継続的または断続的に行われたのだろう。
ある時期のある部族は北九州に拠点を造り、そこから南下して宮崎に拠点を移し、
さらに東征して、河内や大和を征服したのだろうが、
それ以外にも、出雲や因幡、丹後、越など日本海沿岸に、
様々な部族の拠点が築かれ、そこから植民活動が広がっていったのだろう。
神武天皇が征服したと言われる大和盆地の先住民も、
別に原始時代からの土着民とはかぎらない。
青森県の縄文遺跡から大陸の漆や工芸品が発見されて、
大陸と日本の交易や往来は稲作以前までさかのぼることが明らかになった。
交易や平和的な植民から武力制圧まで、
色々なかたちの文物・人の移動が繰り返されて、
この国は形成されてきたのだ。
白山をご神体として祀る白山神社/白山信仰は、
北陸から甲信越あたりを中心に、広い地域に広がっているが、
この信仰をもたらしたのは、馬と養蚕/絹織物を主力産業とする民族だと言われている。
もともとは朝鮮半島の白頭山を神として祀っていた人々が、
日本に渡ってきて、白頭山同様雪で真っ白になる白山を発見して、
これを祀るようになったのだと。
八幡神社の八幡神も、もともとは新羅系部族の神だと、
裏日本史の世界で言う人もいる。
菅原道真を祀る天満宮/天神さまは、
唐・新羅に滅ぼされた高句麗系の騎馬民族が、
沿海州に逃れて建国した渤海からの渡来神だと言う人もいる。
天神信仰が全国に広まったのは、ただ個人としての菅原道真に対する信仰だからではなく、
梅や牛をモチーフとする渤海系移民たちの信仰だったからである云々。
白山信仰も、八幡信仰も、天神信仰も、
渡来したのは伊勢信仰や熊野信仰、この賀茂神社の信仰よりかなり新しい。
平安時代くらいだろうか。
より新しい時代に新しい勢力が新しい信仰をたずさえて渡来すると、
それ以前からいる勢力は、まるで日本古来の民族であるかのように振る舞う。
天/大陸・朝鮮半島からやってきて、
出雲系の大物主を滅ぼした天孫系の天照大神/素戔嗚尊も、
白山・八幡・天神などのニューカマーに対しては、
日本古来の正統性を主張する。
この重層構造にこそ、「日本人」の正体が隠れている。
それはわれわれが自分たちの正体を直視しなくてすむような構造になっている。
日本史を疑うときに胸がおどるのは、それがこの隠蔽構造をときほぐす行為だからだろう。
お参りをすませて朱色の門から出ると、ほの暗い山道の入り口に立てられた看板を見つけた。
大和・三輪山で見たのと同じような、山をご神体とする信仰の解説が書かれている。
石器時代からの信仰の地だったここに、
神武天皇の侵略/征服を先導した賀茂一族の祖先が住み着き、
大和朝廷の秩序にかなう信仰の様式を作り上げた。
それがこの賀茂神社なのだろう。
重層的で奥深い美しさと、
そこここに見え隠れする胡散臭さの融合こそ、
この賀茂神社の真髄なのだ。
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