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『MANIAC』は1983年、僕が30歳の頃に書いた小説です。
当時読んだジョン・バースの『山羊少年ジャイルズ』に触発されて思いついた習作的な作品ですが、今読み返してみると、多少幼稚ではあっても、今の年取った僕にはない勢いとみずみずしさがあると感じます。
当時はまだ普及してなかったコンピュータのことが得意げに描かれていることや、エスニックブームにのってレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』などの言葉が多用されているのが鼻につくかもしれませんが、
その後のグローバル化した国際社会とそのひずみ、中東・北アフリカのイスラム革命、イスラム原理主義の動きなどが予言的に描かれているのはけっこう悪くないなと我ながら思います。
ユダヤ教や原始キリスト教、古代中東の多神教のパロディも、現代社会、近未来社会を描くのに、わりと効果的に使われていますが、人によってはいやみな衒学趣味と感じるかもしれません。
インドネシアの農村の様子が言葉だけで強引に接ぎ木されていたりするのも、同様の無神経、傲慢さを感じる人もいるかもしれません。
文中やたらと(●●●)による補足が出てきますが、これは元々の原稿ではルビとして振られている言葉です。漢字で表記されている言葉がルビによって中東や古代インド、東南アジアなどの世界に接続されるという仕組みになっているんですが、これも人によっては煩わしいと感じるかも。
当時講談社の『群像』という文芸雑誌の新人賞に応募したら予選落ちしたので、もっとわかりやすく書いたのが『出楽園』の第一部『ファミリー・キャンプ』です。
こちらは最終選考まで残りましたが、選考委員の仲で圧倒的な権力を持っていた柄谷行人に「村上春樹の露骨な模倣」とけなされて落とされました。
僕としては初期の村上春樹もパクっていたリチャード・ブローティガンがピストル自殺したので、その哀悼のために書いただけで、ほかの選考委員にはそれを理解してくれた人もいましたが、文学業界・文芸雑誌にも政治権力的なものが存在し、権力者ににらまれるとその賞はとれないということのようでした。
ほかにも文学賞の最終選考に残ったことがありましたが、そちらでもSM的なことが権力者の編集長と、委員の一人に嫌われて受賞にはいたりませんでした。
まあ今となってはどうでもいいことですが、それ以後僕は文学業界と関係ないところで書きたいこと、書くべきことを書いています。
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