イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

シチリア紀行2006

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帰りは丘の下の町まで徒歩で坂を下る。途中、何度もモンレアーレを振り返った。そのたびにドゥオーモが少しずつ小さくなっていく。

町が遠ざかるにつれて、丘から見下ろす広大な谷が眼下に広がり出す。谷はパレルモのある海岸線まで広がりながら続いている。

下の町のバス停 Caltafimi Rocca でバスに乗り、パレルモに戻る。行きと違ってなぜかバスはがら空きだ。一緒に来た観光客たちはどこへ行ってしまったんだろう? まだモンレアーレをうろついているのだろうか?

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キリストについて考え事を続けながら中庭を出て、モンレアーレの町をうろつく。丘の上に細長く伸びた町は、イタリアやスペインの丘によくある城塞都市ではなく、ただ眺めがいいからという理由で建設された町のように見える。

城塞都市ならこんなふうに丘を背にしていることはありえない。敵が丘のむこうから攻めてきたらひとたまりもないからだ。

たぶんこの町はノルマン人の王が、圧倒的な武力でシチリアを征服したあと、このドゥオーモを造るために建設したのだろう。シチリア全土の支配者になったノルマン人は小さな城塞都市など必要としていなかった。

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組織や教義を嫌うぼくの感覚には、たぶんぼくが物心ついた時代が反映されているのだろう。

1960年代後半は人間が組織に起こした最後の反乱の時代だった。ベトナム人民対アメリカ帝国軍、ヒッピー対欧米国家、黒人解放運動対アメリカ帝国、全学連・全共闘対日本政府、学生・労働者対フランス政府等々……。面白いのは西側諸国で左翼が担った運動を、チェコのような東欧諸国では反左翼・自由主義グループが担っていたことだ。

様々な主義による教義のぶつかりあいはあったものの、そうした運動の原動力となっていたのは教義ではなく、組織や国家からの解放や人間としての自由を求める衝動だった。フランス革命の「自由・平等・博愛」のように、そこには「愛・平和・自由」のスローガンが掲げられていた。

運動は数年の絶頂期を迎え、そこから衰退し敗北していった。ベトナム人民軍はアメリカ帝国軍には勝利したが、権力を握った労働者党は新しい社会主義国家を創っただけに終わった。その他の国々の反乱は過激化し、単なる犯罪と化し、警察によって取り締まりを受け、消滅した。

そうした流れを見ながらぼくは愛がいかに尊く、しかも腐りやすく壊れやすいものであるかを学んだのだった。

1970年代以降、愛の戦線は限りなく後退している。他人のことを考える人々は沈黙し、自分のこと、自分の快楽だけを考える人々が声高に自己主張を始めた。愛の衝動は性的なものに限定され、ときどき暴力に姿を変えて社会的事件を引き起こしては警察に弾圧され、さらに戦線を後退させた。暴走族から校内暴力、家庭内暴力、そして内面への引きこもりへ退嬰していく意識は、もう自殺以外に行動の余地を残していない。

ぼくが歴史、特にローマ帝国とキリスト教の歴史を執拗に追いかけるのは、現代社会の自滅的意識を一瞬でも俯瞰的に眺めるための視点を確保したいからだ。すでに終わってしまった出来事の中に、貴重なモデルが隠されているような気がする。

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たぶん釈迦の慈悲や孔子の仁もイエスの愛と同じようなポリシーだったのだろう。どんな世界においても、そうしたポリシーは人間的であり、反社会的であり、ある種革命的ですらある。そして例外なく多くの共感者を生み、時代や国境を超えて伝播する。

しかし惜しいことに、そうしたポリシーは伝播の過程で変質してしまう。無数の伝言ゲームが行われるからだ。ポリシーは次第に硬直化し、教条主義化し、強制的になっていく。ポリシーは巨大な組織によって守られ強制される義務になる。誰でもただ自分を犠牲にして、他者を、世界を愛するのは恐いからだ。組織に守られ、神に守られているという安心感がなければできることじゃない。

こうしてイエスや釈迦は神になり、礼拝の対象に祭り上げられていった。孔子は神にはならなかったが、儒教という硬直した価値体系の中で神格化された。

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イエスがキリスト、神、救世主だったかどうかはどうでもいい。彼の生き方、考え方で最も刺激的なのは「右の頬を打たれたら左の頬を出す」ことであり、自分ではなく隣人を愛することだ。

口先だけで言うならただのきれいごとかもしれないが、イエスはこれを実践しながら生きることの素晴らしさに気づき、人々に教えたのだ。実践してみると、それは世界が逆転するようなパワーを生み、幸福を生み出す。少なくとも実践者たちには……。そうでなければあれほどの迫害を受けながら帝国内に広まったことを説明できない。

もちろん帝国の繁栄に潜む危うさ、不安が、キリスト教の末法思想と響き合ったとか、衰退する帝国が力の論理に変わる新たなシステムを必要としていて、キリスト教がそのシステムとして採用されたといった事情もあっただろう。おかげでキリスト教はローマ的に変質し、イエスの教えに反する巨大組織を構築していくことになった。

しかしそれでも自己犠牲、他者への愛は多くの人々を魅了し、信徒たちの原動力であり続けた。エジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマの古代宗教にはない新しい価値観だったからだ。国家という力の論理による制服・支配のマシーンも、キリスト教以後はこの倫理的価値観によって社会をコントロールしていかざるをえなくなった。それは人類が、国民・民族としての集団的意識以外に、人としての自意識を持ったからだ。そこにキリスト教の革命的な役割がある。


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