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ドゥオーモの外へ出て、回廊のある中庭に回った。ビザンチン様式のようでもあり、イスラム様式でもあるような美しい柱が並んでいる。
回廊をゆっくり巡りながらキリストのことを考える。
彼は法律・戒律を守るだけのユダヤ教を非難し、ユダヤ教会の中で物売りをする商人たちに襲いかかって店をぶちこわした。反抗的人間だったのだ。
ユダヤ教の指導者たちは彼を捕らえて処刑したいと考えたが、当時のユダヤ王国はローマの属州となっていたため、自前の警察・司法システムを持っていなかった。そこで彼らはイエスをローマ総督ポンティウス・ピラトに告発する。
ピラトはイエスを召還して尋問するが、その非難がユダヤ社会に向けられたものであって、ローマ法にとっては特に問題にならないと判断し逮捕しない。
「カエサルのものはカエサルへ」というイエスの有名な言葉は、「ローマ帝国の支配については別にどうでもいい」という意味だ。
ただしこのカエサルはあのユリウス・カエサルではなく、ローマ皇帝の位を意味する。この事件があったとされる紀元30年前後は、第2代皇帝ティベリウスの治世の末期にあたる。
しかしユダヤの指導者たちは執拗に告発を続け、イエスも反ユダヤ社会的行為をやめなかったため、ついにピラトも「そんなにユダヤ社会にとって有害ならしかたないか」という気になり、イエスの逮捕・処刑を命ずる。
もしかしたら、イエスの側にもこういう弾圧を挑発する意図があったのかもしれない。処刑されることで自分の教えは完結されると考えていたふしがあるからだ。それは単なるユダヤ王国の反社会分子として処刑されることにすぎないのだが、彼はそれをすべての人の罪を背負った生け贄としての死に意味を転換する。キリスト教はそこから始まったのだ。
しかし、福音書の終わり近くに描かれているイエスは、警察の捜査から逃げ回っているようにも見える。自ら望んでの死というのは後世のキリスト教指導者たちがイエスを神格化するために考え出したフィクションであり、本当は逮捕・処刑を恐れて逃げていたのかもしれない。
面白いのは当時のユダヤ社会でイエスの顔が知られていなかったことだ。側近のイスカリオテのユダが裏切って「あれがイエスだ」と教えなければローマ帝国の警察はどれがイエスかわからなかった。ということは逃亡先のユダヤ社会の住民たちも、ごく一部のシンパをのぞいてイエスの顔を知らなかったわけだ。
テレビも新聞も写真もない時代だからあたりまえかもしれないが、観衆の前で様々な奇跡をおこなってきたはずのイエスとしては意外な気もする。福音書に語られている奇跡のパフォーマンスが誇張されているのかもしれないし、もしかしたらユダはイエスが隠れている場所を密告しただけなのかもしれない。
もうひとつ不思議なのは、ローマ帝国の公式記録に、このイエスの処刑が記載されていないことだ。司法制度は帝国の重要な柱だったから、記載漏れは考えられない。ふたりの泥棒と一緒に処刑されたというから、もしかしたらユダヤ社会のリンチ、ローマがユダヤ社会に許していた警察制度の範囲内での逮捕・処刑を黙認しただけだったのかもしれない。
のちにキリスト教がユダヤ社会から出てローマ帝国全土に広がっていったとき、イエスの処刑の意味を拡大するために、福音書には帝国による処刑と記されたのではないだろうか。
とにかくイエスが生きていたときのキリスト教は、ユダヤ国内の一宗派であり、ユダヤ教の過激な改革派のひとつだった。
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