イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

シチリア紀行2006

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ドゥオーモの外へ出て、回廊のある中庭に回った。ビザンチン様式のようでもあり、イスラム様式でもあるような美しい柱が並んでいる。

回廊をゆっくり巡りながらキリストのことを考える。
彼は法律・戒律を守るだけのユダヤ教を非難し、ユダヤ教会の中で物売りをする商人たちに襲いかかって店をぶちこわした。反抗的人間だったのだ。

ユダヤ教の指導者たちは彼を捕らえて処刑したいと考えたが、当時のユダヤ王国はローマの属州となっていたため、自前の警察・司法システムを持っていなかった。そこで彼らはイエスをローマ総督ポンティウス・ピラトに告発する。

ピラトはイエスを召還して尋問するが、その非難がユダヤ社会に向けられたものであって、ローマ法にとっては特に問題にならないと判断し逮捕しない。
「カエサルのものはカエサルへ」というイエスの有名な言葉は、「ローマ帝国の支配については別にどうでもいい」という意味だ。

ただしこのカエサルはあのユリウス・カエサルではなく、ローマ皇帝の位を意味する。この事件があったとされる紀元30年前後は、第2代皇帝ティベリウスの治世の末期にあたる。

しかしユダヤの指導者たちは執拗に告発を続け、イエスも反ユダヤ社会的行為をやめなかったため、ついにピラトも「そんなにユダヤ社会にとって有害ならしかたないか」という気になり、イエスの逮捕・処刑を命ずる。

もしかしたら、イエスの側にもこういう弾圧を挑発する意図があったのかもしれない。処刑されることで自分の教えは完結されると考えていたふしがあるからだ。それは単なるユダヤ王国の反社会分子として処刑されることにすぎないのだが、彼はそれをすべての人の罪を背負った生け贄としての死に意味を転換する。キリスト教はそこから始まったのだ。

しかし、福音書の終わり近くに描かれているイエスは、警察の捜査から逃げ回っているようにも見える。自ら望んでの死というのは後世のキリスト教指導者たちがイエスを神格化するために考え出したフィクションであり、本当は逮捕・処刑を恐れて逃げていたのかもしれない。

面白いのは当時のユダヤ社会でイエスの顔が知られていなかったことだ。側近のイスカリオテのユダが裏切って「あれがイエスだ」と教えなければローマ帝国の警察はどれがイエスかわからなかった。ということは逃亡先のユダヤ社会の住民たちも、ごく一部のシンパをのぞいてイエスの顔を知らなかったわけだ。

テレビも新聞も写真もない時代だからあたりまえかもしれないが、観衆の前で様々な奇跡をおこなってきたはずのイエスとしては意外な気もする。福音書に語られている奇跡のパフォーマンスが誇張されているのかもしれないし、もしかしたらユダはイエスが隠れている場所を密告しただけなのかもしれない。

もうひとつ不思議なのは、ローマ帝国の公式記録に、このイエスの処刑が記載されていないことだ。司法制度は帝国の重要な柱だったから、記載漏れは考えられない。ふたりの泥棒と一緒に処刑されたというから、もしかしたらユダヤ社会のリンチ、ローマがユダヤ社会に許していた警察制度の範囲内での逮捕・処刑を黙認しただけだったのかもしれない。

のちにキリスト教がユダヤ社会から出てローマ帝国全土に広がっていったとき、イエスの処刑の意味を拡大するために、福音書には帝国による処刑と記されたのではないだろうか。

とにかくイエスが生きていたときのキリスト教は、ユダヤ国内の一宗派であり、ユダヤ教の過激な改革派のひとつだった。

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祭壇に近づき、キリスト像を見上げる。
「おれはほんとはこんなふうじゃなかったんだけどな」と言っているように見えた。

中学時代からいろんな教会で無数のキリスト像を見てきたが、いつも思うのは我々が知っているキリストという存在が、後世の信徒たちによって作られたイメージなのではないかということだ。

新約聖書に出てくるイエスという人物が本当に実在したのかどうか異論をはさむ人たちもいるが、ぼくはそういうことにはあまり興味がない。実際に会えないかぎり、「実在」ということ自体にあまり意味がないと思うからだ。

2000年後の人間は、いや彼の死後に生きる人間はすべて、キリストを思い描くしかない。ぼくは新約聖書やらいろいろな文献から、教会が掲げるキリスト像とは違う彼を思い描くのが好きだ。

ぼくはカトリック系の中学・高校で育ったので、キリスト教の信者たちをたくさん知っているのだが、10代の頃から「もしキリストが目の前に現れたら、こいつらよりもぼくのことをほめてくれるんじゃないか」という気がしている。

別に洗礼を受けたこともないし、教会の活動に加わったこともないのだが、新約聖書を読むかぎり、イエスとその信徒たちはぼくが知っている神父たちや信徒たちとは似ても似つかない人たち、もっと反社会的で硬直した秩序を憎む人たちだと思うからだ。

そうでなければ教祖が処刑されるはずがない。

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ドゥオーモの中はかなり暗い。有名なモザイクの壁画は肉眼なら十分見えるが、写真に撮るとかなり暗くなってしまう。

12世紀に建てられたこのドゥオーモの内装は、パレルモのマルトラーナ教会や王宮のパラティーナ礼拝堂をしのぐほどの見事さだ。

祭壇の奥で大きく手を広げているキリスト像は、古代がなぜ終わりを告げ、なぜキリスト教の支配による時代が始まったのかを我々に告げている。

キリスト教の時代とは、古代のように無邪気な武力による侵略や征服ではなく、倫理によって秩序を保つ時代のことだった。もちろん武力は国家や社会を動かす重要な要素であり続けたが、どれだけ偽善的であろうと教会の倫理、大義名分がなければ王たちも力を行使できなくなった。

古代の社会は国々の中にあるものだったが、キリスト教の時代には国々もヨーロッパという社会の中に組み込まれたのだ。

ローマ帝国は古代の国々を平定して連合体を形成し、国際社会を生み出した。それは必然的に古代の国家の原理を超えるものであり、古代という時代を終焉へと導くものだった。つまり帝国は古代国家の最終形であると同時に、中世という時代の母体でもあったのだ。

キリスト教はその歴史的転換を自ら創りだしたのではなく、変化の原理として採用されただけなのかもしれない。

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モンレアーレはドゥオーモの華麗な内装で有名だが、
まず建物の裏手に回って外壁を眺める。

細かな装飾が美しい。
美術的であると同時に、巨大なサンゴのようでもある。
ぼくはこういう化け物の肉体を連想させる建物が好きだ。

今まで見た中で一番美しいのはやはりフィレンツェのドゥオーモだが、このモンレアーレのちょっとイスラム/ビザンチン的なドゥオーモも、それに負けていない。

ただ、路地裏からしかこの外壁を眺められないのが惜しい。
建物はいろんな角度、いろんな距離から眺めることで美しさを堪能できるものだ。
フィレンツェみたいにもっと開けた空間に建てられていればいいのにと思う。

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モンレアーレに行くにはまず駅前からの路線バスでインディペンデンツァ広場に行き、そこでバスを乗り換える。インディペンデンツァ広場は初日に徒歩で行ったノルマン王宮の裏手の広場だった。バスを待ってるあいだに歩けば同じくらいの時間に着いたかもしれない。

広場で20分ほど待っているとモンレアーレ行きのバスが来た。パレルモから南のなだらかな坂を30分足らず登ると、バスは丘の下の町に着き、客はそこで降ろされた。

最初はモンレアーレに到着したのかと思ったが、そこはどう見ても見晴らしの悪い丘の下の街道沿いだ。観光客たちと一緒に50mほど坂を歩くと、小さなバスが待っていて、みんなそれに乗り込んでいる。どうやら丘の上にはこのバスで行くらしい。人の流れに乗ってそのまま乗り込む。中が狭いのでバスはすぐに満員になった。料金は取られなかった。

つづら折れの道を10分ほど登ると、ドゥオーモ広場に着いた。背の高い棕櫚や椰子の並木がある、いかにも南欧風の街だ。


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