イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

失われた時探訪

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全12ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3

イメージ 3

蔵づくりの街並みからちょっと離れたところにある駄菓子屋横丁に寄ってみた。
どうしてこんな町外れに駄菓子屋が集まっているのか不思議だ。

昔からあるのか、それとも蔵づくりの街並みが人気なので、
プラスαの魅力を出そうと企画されたものなのか……。

川越は昔から芋を使った和菓子が名物だというが、
そういう老舗のお菓子屋は蔵づくりの街並みや喜多院の方に点在している。

こちらの駄菓子屋も芋や栗を使ったお菓子があって、
普通の駄菓子屋とはかなり品揃えが違う。
昔の駄菓子を再現しているということだろうか。

プラスチック/ビニール系のパッケージを使っているので、
いまいち昔ながらという感じはしないのだが、
これをほんとの昔ながらのやりかたで店頭にさらして量り売りしたり、
和紙でくるんで持ち帰ってもらうようにしたら、
こんな華やかな店にはならないだろうし、お菓子の傷みも早いだろう。
たぶんこうした観光客相手の、楽しげな横丁もビジネスとして成り立たないだろう。

石油化学製品を環境破壊の元凶あつかいするのはたやすいことだが、
われわれはその便利さから容易に決別できなくなってしまっているのだ。

そんなことを考えていると、上空に大気を切り裂くような音が響いたので、
見上げると戦闘機が三機飛んでいくのが見えた。

ジェット機が燃やす化石燃料と、
ジェット機を造るために費やすエネルギーや必要な資源なども、
考えてみればかなりの無駄と言えなくもない。

武器なしの平和などありえないと言ってしまえばそれまでだが。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5 イメージ 6 イメージ 7 イメージ 8 イメージ 9

イメージ 9

蔵づくりの町屋が並ぶふ昔のメインストリートを歩く。

もともと防火対策で生まれた建築だというが、
分厚い壁、ごつごつした瓦、金庫の扉みたいな窓など、
独特の造形美が見ていて飽きない。

古い家並みのむこうに明治以降の洋風建築が、
ちらっと頭をのぞかせていたりするのがまた面白い。

通りの中程に時の鐘の鐘楼がある。
毎日係の人が街に時間を知らせていたのだろう。
その基準になる時間はどうやって計っていたのだろうか?

時代劇にも時計が登場するから、
町にひとつくらい時計があってもおかしくはないが、
日本全国の街にそんな時計があったとも思えない。

日時計では曇りの日に困るだろうし……。

この通りはたしか20年くらい前に歩いたことがあるのだが、
まったく記憶に残ってないのはなぜだろう?

まだ30代だったから、こういう建築に何も感じなかったのだろうか?
その後いろんなことがあったので、
感じたことを忘れてしまったのだろうか?

古い街並みを造りだした過去以上に、
自分の中に蘇らせるべき時間が隠れているのかもしれない。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3

イメージ 3

順序が前後してしまうが、うなぎを食べる前に、
喜多院の境内にある五百羅漢を見たんだった。

羅漢は修行して悟りを開いた仏教の聖人たちのことらしい。
寝てる人やらむにゃむにゃ言ってる人やら、1人1人が違っていて、見ていて飽きない。

秋の澄んだ空気に差し込む陽射しが、
五百羅漢たちを深い陰と光の中に浮かび上がらせ、
どことなくアンコールワットの石仏像を連想させる。
写真でしか見たことがないので、根拠のない連想でしかないが。

みんなじいさんのようでもあるが、
共通しているのはあまり生真面目でも堅苦しくもなく、
自然体でリラックスしていること。

もちろんこれが造られた江戸時代の羅漢のイメージ、聖人のイメージであって、
ほんとに仏教の悟りの境地がこういう感じなのかどうかはわからないのだが、
それでもなんとなく「悟るってことはこういうことなんだろうな」と思わせてくれる。

神々しくもあり、ユーモラスでもあり、ちょっと下品でもあり、
とにかくリラックスしていて楽しげである。
そういう境地に達してみたいものだ。

イメージ 1

イメージ 2

喜多院から蔵づくりの街並みに向かう途中、腹が減ったので「いちのや」といううなぎ屋に入った。
天保年間創業だからけっこうな老舗だ。

値段はちょっと高めだが、まあ都心の老舗ならもっと高いだろうから、
おすすめのうな重3600円を注文。

うなぎが三枚びっしりならんでいる。
そんなに身はぶあつくないが、ふわふわした食感、適度な脂の風味。

大きな店が平日なのに満席で、
あとからあとから客がやってくる。

出てきた時間からすると、下焼きはまとめてしてあるのだろうが、
注文を受けてから割いていては客をさばききれないのだろう。

こちらは待ってもいいから割きたてが食べたいのだが。

うなぎ屋は空いてるときに行くに限る。
まあ、まずくて空いてる店は論外だが。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4

イメージ 4

午前中、川越の企業を取材したついでに、蔵が並ぶ川越旧市街に寄ってみた。

まずは春日局ゆかりの喜多院へ。
手前にあるお寺の境内で骨董市というかのみの市みたいなのをやっていて、かなりのにぎわい。
焼き物などいわゆる骨董品だけでなく、着物や雑貨なども売っている。

喜多院はひっそりしていた。

元々、江戸開府の頃に、上野の寛永寺や東照宮の創建に関わった、
天海僧正が建立した天台宗の寺だ。

徳川家康が駿府で死んだ翌年、遺骸を日光東照宮に移すとき、
途中でこの喜多院で大規模な法要を行ったという。

家康が全幅の信頼を寄せていた天海を、
三代将軍家光も崇拝していて、
喜多院が火災で焼失した際、
江戸城にあった家光誕生の間や乳母の春日局の化粧部屋などを寄贈/移築した。

江戸城はその後火災で焼失したので、
この喜多院の建物は江戸城を知る上でも貴重な存在である云々。

とまあ、これがオフィシャルな記録だが、
天海と春日局、家康と家光の関係は歴史的にもなかなか面白い謎をたくさん秘めている。

まず、最近テレビで取り上げているように、
春日局は家康とできていて、家光は2人の間の子供だったという説がある。

さらに、もっと怪しい裏日本史の説としては、
そもそも春日局は明智光秀と共に織田信長を殺した光秀の家臣/従兄弟・斉藤利三の娘なのだが、
実は信長殺しの黒幕は家康で、
光秀側との間に密約を交わしていて、
その密約というのが、自分たちの一族の血を将来の徳川政権に入れるというものだった。
家康はその密約を果たすために春日局とのあいだに子を設け、将軍を継がせたというのだ。

さらに怪しい裏日本史の説には、
天海僧正が実は密かに生き延びた明智光秀その人で、
家康が密約を果たすのを見張っていたので、
家康は裏切るわけにはいかなかったというのもある。

かなり荒唐無稽だが、家康-光秀側に密約があったとしたとしても、
天下を取った後の家康ならしらばっくれることもできたはずなので、
そういう意味ではちょっとそそられる説ではある。

それはともかく、喜多院は江戸城内の御殿らしい雄大さで、
建物の中を歩いているだけで気持が軽やかになってくる。

建物内写真撮影禁止なのが惜しいところだが、
とりあえず庭と渡り廊下をパチパチ。

全12ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
shu*i*ha*a
shu*i*ha*a
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事