天気予報は曇りだったのに、多聞山/若草中学をあとにした頃からポツポツ雨が降ってきた。
さっき通った転害門(てがいもん)にもう一度寄ってみる。
天皇が平城宮から東大寺に行幸する際に通る門だったとのこと。
平安末期や戦国時代に大仏殿など東大寺の伽藍が焼き討ちされたときも戦火を免れ、
解体修理はされているようだが、
基本的に天平時代の建物が保存されているらしい。
ということで、街中にポツンと立っているにもかかわらず、
正倉院と並ぶ貴重な建築なわけで、国宝に指定されている。
仏教寺院なのに神社みたいなしめ縄が張られているのが、
ここより内側のエリアが、
天皇/神の居場所=神域であるという意思表示みたいに思えておもしろい。
太い柱の一部には節が荒々しく飛び出したままの木が使われていたりして、
これが天平時代の素朴さを物語っているのか、
それとも鎌倉時代かそこらに補修したとき、
あんまりコストをかけられなくて、こんな木材で間に合わせたのか……
なんてことを考えながら、門のまわりをグルグル回っているうちに、
雨はいよいよ激しくなり、
そのうちバケツの水をぶちまけるような豪雨が襲ってきた。
しかたなく、わかの小さな通用門みたいな部分の軒下で雨宿りする。
老人たち5〜6人のグループが東大寺の方からやってきて、
ひとりの歴史マニアっぽい人が資料を取り出しながら説明を始めたが、
傘をさしていられないくらいの豪雨なので、
すぐに見学をあきらめ、狭い軒下にかたまって雨がおさまるのを待ち始めた。
しかし、雨はますます激しくなり、
傘をさした小学生たちがずぶぬれの姿で通過していく。
それでもぼくら大人を見ると、「こんにちは」と礼儀正しく挨拶する。
東京ではこういう子供を見かけなくなったが、
地方に行くと、今でもときどき出会う。
精神的に豊かな生活を送っている地域なのだろうなとそのたびに感じる。
そのうち東大寺からなだらかに下っている斜面の通路全体が川のようになってきた。
側溝を流れてきた水は、クランク状に曲がっている場所にぶつかって、
竜みたいに暴れながら氾濫している。
西の方、市街地から鹿が数頭やってきた。
転害門で雨宿りしようと考えたのかもしれないが、
あいにく人間たちに占領されてしまっているので、
そのまま豪雨の中を走り去っていった。
さらに洪水は激しさを増し、
足元にも水が迫ってきたので、
肩の高さくらいある転害門の土台によじ登った。
土台には柵がめぐらしてあり、
「柵の中に入らないでください」という看板が立っているのだが、
柵の外に立っている分にはいいだろうと考えたのだ。
老人グループもほぼ同時に土台によじ登った。
時刻はまだ3時くらいだが、あたりはもう夕暮れどきのように暗い。
そのうち近くの鉄柱の照明がついて、門全体を明るく照らし出した。
どこかで何かスピーカーの声が聞こえる。
小学校かどこかで「早く下校しなさい」あるいは
「どこそこに避難しなさい」みたいなことを言っているのかなと思っていたら、
声がだんだん大きくなり、
「こらあ、早くおりんかあ」みたいなことを叫んでいるのが聞き取れた。
よく見ると、照明がついている鉄柱の上に監視カメラとスピーカーがあり、
我々をどやしつけているらしい。
「柵の中に入ってるわけやなし、べつにええやんけ」などとつぶやきながら、
そのまましばらく突っ立っていたが、
老人たちが「あ、おこってはるわ」と大人しく降りたので、
ぼくも先輩方に敬意を表して土台から降りた。
すぐに雨は小降りになり、
参道の洪水もおさまってきたので、
監視カメラに向かって
「そんなに国宝が心配やったら、監視カメラでのぞいてないで駆けつけてこんかい」
と毒づきながら転害門をあとにした。
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