イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

失われた時探訪

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電動アシスト付きレンタサイクルで紀州街道に出ると、
大阪と堺・浜寺を結ぶ阪堺線にぶつかった。

路面電車なのだが、場所によってはこんなふうに専用のスペースを確保して、
ふつうの電車の線路のようになっている。

地図によると、すぐそばを紀州街道の旧道が通っているらしいのでそちらへ移動。

線路を横切ると、そこはめちゃくちゃ小さい商店街で、
しかもすでにかなり前につぶれていた。

歳を食ったせいか、
こういう廃墟を見ると胸が締めつけられる。

春に堺の鍛冶町を訪ねたときも、
阪堺線の横に小さな商店街があって、
ほんの数軒だけ営業していた。

あれもかなりもの悲しかったが、
こういう完全につぶれて人の気配が消えた商店街は、
人の亡きがらを見るより悲しい。

(写真は1枚目のみ春に訪ねた鍛冶町近くの商店街。あとは8月の写真です。)

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慣れない電動アシスト付きママチャリでふらつきながら走っていると、
ものすごく腹がへってきたので昼食をとることにした。

たまたま通りかかった、ファミレス風外観の大衆食堂。

カフェテリア的システムで、
まずトレーをとり、
自分で好きなおかずをのせていき、
最後にごはんとみそ汁をもらってお会計。

これだと栄養のバランスがとりやすい。

焼きシャケとコロッケ、ほうれん草のおひたしをチョイス。
これにごはんとみそ汁で702円。

なかなか安い。

おかずは熱々ではないが、まあまあのおいしさ。

何より価格のわりにごはんがちゃんとしているのがいい。

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堺市博物館がある公園のはずれに、
「自転車博物館/サイクルセンター」という施設があった。

堺は自転車の町であり、
自転車部品メーカー・シマノがある町だ。

部品といっても、シマノは
ギアやブレーキ、変速機、ホイールなど、
フレーム以外のほぼすべてのパーツを作っている。

ロードバイクからマウンテンバイク、クロスバイクなど、
日本で売られているスポーツ用自転車のほとんどは、
このシマノ製部品を使っているといっていいだろう。

海外でもシマノは有名らしく、
ヨーロッパを旅すると、
シマノ製パーツを使った自転車、
シマノ製品を扱うバイクショップをよく見かける。

堺でどうして自転車部品製造が発達したのかよく知らないが、
古代からこの地で発達した鉄の加工技術が、
ギアなど金属加工に活かされた結果だろうか。

「自転車博物館/サイクルセンター」には、
昔の自転車が展示してあるようだが、
そこはパスして受付で自転車を借りた。

自転車の町・堺には、
あちこちにレンタサイクルの拠点があり、
どこで借りて、どこで返してもいいとのこと。

ただし、別の場所で返すと200円だか割増料金を取られる。

レンタサイクルはなんと電動アシスト付きだった。

初めてなのでちょっと戸惑う。

そもそもスポーツサイクルに慣れている人間にとって、
ママチャリはハンドルとサドルが近すぎて、
スムーズに力が入らない。

しかも、ものすごく重い。

ママチャリ自体が重いのだが、
電池やモーターを積んでいるからなおさら重い。

ほとんど原チャリの重さだ。

ハンドルを握ると手がかなり脇腹に近くなるので、
ペダルを踏むたびにぐらついてしまう。

ペダルも電動アシストが効くまでのほんの一瞬はけっこう重い。

こうした諸々の戸惑いを克服するのに数分かかった。

慣れてくると、たしかに電動アシストはすごく楽だ。

原チャリのように重い車体が軽くスイスイ進む。

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7月下旬に常滑・岐阜を歩いた後、
兵庫県宝塚の親の家に行って2週間ほどすごした。

その間、8月初頭に堺を訪ねてみた。

3月に戦国時代小説の取材に行ったときは月曜日で、
堺市立博物館が閉まっていたので、今回は博物館だけ見るつもりだった。

博物館の目玉は戦国時代の貿易都市・堺の様子を、
地図や出土品だけでなく、
映画のセットみたいなもので再現してあるコーナーだ。

新しい発見はそれほどなかったが、
戦国末期の街は一度完全に破壊され、
掘り割りや都市の区割りだけでなく、
都市全体の向きまで、江戸時代以降とは違っていたことがわかった。

ただ、小説にはこうした考証よりも、
物語自体のパワーが大切なのだと改めて感じた。

あの時代に沸き返っていた人々の活力は、
いくら街や建物を正確に再現しても、よみがえってこないのだ。

取材の合間に湯島散歩

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金曜日の話だが、
午前と午後の取材のあいだに時間があいたので、
午前の取材地・飯田橋からお茶の水に移動し、
昼食の後、湯島を歩いてみた。

東京・文京区湯島はぼくが生まれた土地だ。
今は湯島二丁目だか三丁目だかになっているが、
1953年当時は湯島新花町と呼ばれていた。

湯島といえば湯島聖堂や湯島天神が有名だが、
江戸時代は待合い茶屋という、
今で言えばラブホテルのようなものが集まった歓楽街でもあったという。

今でもその名残なのか、ラブホテルがけっこうある。

まず御茶ノ水駅から聖橋を渡って、湯島聖堂をちょこっとのぞき、
知り合いの写真家がやっている個展に顔を出し、
ラブホテルが並ぶ坂を登っていくと、
湯島天神に突き当たる。

その手前を左の方に行くと、
ぼくが生まれた家のあった場所があるのだが、
かなり前に訪れたとき、建物はなくなって駐車場になっていたので今回はパス。

あまり時間がないので、
1年だけ通った湯島幼稚園や、
兄が滑り台から転落して頭を切った湯島小学校もパスして、
湯島天神だけのぞいてみた。

鳥居をくぐると左手に、寄進された額を飾ってある建物があり、
その下がなぜか喫煙所になっている。

昔はたしかここにたくさん穴があいた建物があって、
その穴が鳩のになっていたのだが、
あの鳩たちはどこにいったんだろう?

右手に大きな銀杏の木があり、
上野広小路方面へ下る急な石段がある。

昔は湯島天神まで海の入り江になっていて、
この銀杏を目印に船が航行していたという話をどこかで読んだ記憶がある。

室町時代だか、鎌倉時代の話だから、
銀杏の木もこれではなく、その先代、先々代の木だったのだろう。

この急な石段は男坂と呼ばれていて、
左手にはもっとなだらかな女坂という石段もある。

男坂の真ん中の手すりは、なんだかモダンな感じのものに付け替えられているが、
昔はもっと無骨な鉄パイプだか太い鎖だったような気がする。

宝塚の親の家には当時の写真が何枚かあって、
たしか兄とこの手すりにまたがっておどけている写真があったはずだ。

石段の下をまっすぐ広小路へ歩くと、松坂屋デパートがある。

昔、散歩がてら広小路まで歩いて、
松坂屋でおもちゃを買ってもらったことがある。

後楽園も歩いて行けた。

考えてみればずいぶん都会に住んでいたんだなあと感心する。

当時はまだ近所にずいぶん空き地があって、
子供たちの遊び場になっていた。

そのせいか、のどかな田園地帯のような印象が記憶に残っているのだが、
もしかしたらそうした空き地は戦争の焼け跡だったのかもしれない。

聖橋には白装束に偽足の傷痍軍人たちが並んでいて、
アコーディオンを弾きながら物乞いをしていた。

戦争はまだつい昨日のことだったのだ。


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