合掌造りの民家の中に、少し変わった感じの建物があるなと思ったら、お寺だった。
鐘楼を兼ねた山門みたいな建物は、
なんだか戦国時代の村の物見櫓のようでもあり、
吉野ヶ里遺跡のイメージイラストだか模型だかで見た櫓のようにも見える。
日本ではいつから藁葺き屋根の建物を使い始めたんだろう?
弥生時代どころか、八ヶ岳の縄文時代の遺跡で見た竪穴式住居の復元モデルも、
たしか藁でできていた。
藁葺き屋根を持つ木造建築は、竪穴式住居を木の柱と壁でもちあげただけなのだ。
三内丸山遺跡で太い柱が見つかったことからもわかるように、
縄文時代でも、公共建築は竪穴式ではなく、ちゃんと木の柱と壁を持っていた。
こうした木造建築のルーツはものすごく古いのだ。
このお寺の木造建築を見ていると、
なんだか仏教伝来よりはるか以前からここに建っているんじゃないかという錯覚に陥る。
素朴な白木の建築だからだろうか、
奈良の古いお寺より古いはずはないのに、
その何倍も時を経てきたように見えるのだ。
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