イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

奈良公園2008夏

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若草山の先は山の緑が急に深くなる。
赤い鳥居が見えたと思ったら、
そこはもう春日大社の敷地内だった。

参道には信者たちが寄進した石灯籠がずらりと並ぶ。
あちこちに小さな祠があり、
祈願の絵馬がびっしり、カキやムール貝のように密集している。

小祈祷5千円、中祈祷1万円、大祈祷5万円という、
祈祷所に掲げられた露骨なメニューが、
信者たちの幸せに生きたいという思いの強さを物語っている。

たしか春日大社は元々藤原氏の氏神を祀った神社だが、
藤原氏が京都へ移り、様々な姓に分かれ、
歴史の舞台から消え去った後も、
こうして信仰の装置として存続しているというのはすごい。

仏教寺院とちがって、神社には願い事を叶えるというシステムがある。
庶民の欲望が線数百年続くこの信仰装置を今も支えているのだ。

その仕組みがすごい。

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二月堂の長い階段を下り、山沿いの道を南下する。

墨と硯の店があったので、小さな特売の墨を買った。
家に硯がないのだから、墨だけ買っても使えないのだが、
小物として眺めているだけでも気分が落ち着く。

そういえば墨は何から作るんだろう?
こんなに黒い色を出すには木か何かを焼くんだろうか?
それにしては焦げ臭い匂いがしない。

曲がりくねった道を少し行くと、左手に緑の丘が広がっていた。
たしか毎年春先にこの山を焼くのだ。
恒例の行事らしいが、なぜ山を焼くのか理由がいまひとつわからない。

もともと民間信仰で、このあたりに棲む神々だか霊だかを鎮めるためだとか、
寺同士の争いが行事化したのだとかいう話を聞くが、あまり釈然としない。

神々や霊を身近に感じなくなったせいだろうか。
神々や霊が見えれば、夏の大文字焼きも、お盆の迎え火・送り火も、
もっとわくわくするだろうか。

ここにも鹿がたくさんいる。
神々が見えない人は、鹿から神々の気配を感じるしかないのかもしれない。

もしかしたら、火を焚きたがる人たちも、
神々が見えないから、火でその気配を感じようとするのだろうか?

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大仏殿を出て東側の丘に登る。

大仏殿の中は極楽浄土だと感じたのだが、
そこから出てきた目で見ると、
このあたり一体が極楽浄土のように造られているのだとわかる。

国家統治の下心が見えるところはなんとなくいやな感じだが、
それでも、争わず慈悲の心を持って平和に日々を過ごそうという、
仏教の提案のすばらしさは伝わってくる。

極楽浄土とは死後の世界ではなく、
慈悲の心で生きるこの世のことなのだと仏陀は説いたのだが、
インドでも中国でも日本でも、民衆の大半にはわかりにくかった。

だから国家権力は建造物や彫刻、美術で極楽浄土を再現し、
見るものにそれを疑似体験させようとしたのだろう。

その努力をまやかしと責めるのはたやすいが、
こうして擬似極楽浄土を体験して、
心が安らぐ思いがするのも悪いことじゃない気がする。

丘の上にはお水取りで有名な二月堂があった。
ふりかえれば緑の海に大仏殿の優雅な屋根が浮かんでいる。

天平時代の建物は平安末期の源平合戦で焼失し、
鎌倉時代に再建された建物も江戸時代に家事で焼け、
今ここから見えるのはその後再建された江戸の甍で、
大仏殿展示してあった図解によると、
そのデザインもかなり違うのだが、
それでもそこには紛れもない天平の甍の雄大さ、優雅さがある。

構成に再建されようが、
背景の奈良市内にビルが並んでいようが、
そんなことはものともしない天平時代の美意識が、
茫漠とした風景の中からはっきりと伝わってくる。

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回廊から大仏殿にいたる道は、異国からさらにあの世へ向かう道だ。
仏教という異国のシステムによって導かれる天国。

大仏との再会はたぶん40年ぶりくらいだろう。
巨大な金属製の仏さまと金属製の蓮の花。

モノトーンの世界を想像していたのだが、
大仏殿の中は意外にも華やかだった。
様々な色が心の中へ侵入してくる。

奈良時代、全国の政治拠点に寺が建てられた。
仏教は朝廷による全国支配体系の骨格だった。

その中心である奈良・平城京の寺院の中でも、
この東大寺大仏殿は国家の仏教支配システムの象徴だった。

外国から輸入された思想・文化をそんなに真面目に受け入れていいのかと、
今さらのように思う。

ローマ帝国がヨーロッパを創ったように、
中国という帝国がアジアを創ったということか。

帝国となる国のシステムは優れているから帝国を創り出したのだということなら、
周辺諸国にそのシステムが伝播していくのも自然なことなのかもしれないが、
輸入文化は様々な軋轢・葛藤を生む。

帝国の本国でも、システムは繁栄・膨張によってゆがむ。
だから帝国は崩壊するのだ。

それでも仏教は生き残った。
なぜ人間は宗教にすがるんだろう?

宗教が生み出した建築や美術など、様々な美しいものを
いくら眺めてもわからない。

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記憶では南大門をくぐるとすぐ大仏殿があったはずなのだが、
参道を進むと長い回廊が行く手をふさいでいた。

左手の端の料金所でチケットを買い、回廊の中に入る。

かつては日本の伝統文化だと感じていたものが、
今は紛れもなく異国の文化、中国文化の輸入系だとわかる。

明治以降の日本が欧米文化の輸入に血道を上げてきたように、
この時代の日本も中国文化の輸入に必死だったのだ。

その輸入は古墳時代にさかのぼるのかもしれないが、
仏教文化の輸入は6世紀に始まる。

聖徳太子と蘇我氏によってそれは国家事業になった。
ところが中大兄皇子の大化の改新で、その仏教文化輸入は一時中断する。

オフィシャルな歴史では中大兄皇子は聖徳太子の甥で、
その意志の継承者と教わったのだが、
仏教文化・中国文化の輸入戦略は大きく違う。

裏日本史では聖徳太子も中大兄皇子もモンゴル系高句麗王朝の一族、
そこから百済を征服したプヨ族出身と言われる。
当時の大和朝廷とはこのプヨ族の植民地政府だった。

だから、聖徳太子が天皇に即位しなかったのも、
中大兄皇子が権力を握りながら唐・新羅連合軍に百済が滅ぼされるまで即位できなかったのも、
プヨ族が大和朝廷の傀儡政権を立てて支配していたからだ。

唐・新羅連合軍に勝ち目がないにもかかわらず、
中大兄皇子が白村江の戦いに大軍を送ったのも、
百済が本国だったからだ。

オフィシャルな日本史では、白村江の戦いに負けて、
中大兄皇子は北九州の太宰府に水城を築いて唐の侵略に備えたとされている。

しかし、裏日本史では唐の大軍によって西日本は占領され、
中大兄皇子は大和から近江へ逃げて天智天皇に即位する。

オフィシャルな日本史では、
やがて天智天皇が死ぬと、弟の大海人皇子が近江王朝を滅ぼし、
天武天皇に即位して大和に都を戻す。
それが壬申の乱だ。

しかし、裏日本史では大海人皇子は中大兄皇子より年上であり、
血縁関係はないとされる

壬申の乱は唐の占領軍にバックアップされて起こされた内乱であり、
天武天皇の即位以後、日本は急速に中国化していく。

藤原京・平城京は中国の首都・長安をモデルに造営され、
続々と仏教寺院が建立されていく。

オフィシャルな日本史の原典である日本書紀でさえ、
天智天皇はある日馬に乗って散策に出かけ、
馬だけが帰ってきたと、彼の死について曖昧な記述をしている。

裏日本史では唐・大海人皇子勢力によって暗殺・謀殺されたとされる。
大化の改新からの盟友だった中臣鎌足でさえ、
天智天皇を見限り、唐・大海人皇子側についていた。
そのため、天智は鎌足に死を賜ったとされる。

以前もこのブログに書いたことだが、
この時期に日本書紀と古事記の2種類の歴史書が存在するのは、
日本書紀が中国側に提出した正史であり、
古事記はその原典であり、日本側のために書かれた歴史書だからだ。

どちらもこの時期に書かれなければならなかったのは、
百済を滅亡させた唐の手前、それまでの百済支配をなかったことにして、
日本には独自の王朝が存在してきたことを証明するためだった。

それ以前の大和朝廷の正史は、蘇我氏と共に焼けたとされる。
なぜ正史を蘇我氏が持っていたかというと、
蘇我馬子・蝦夷・入鹿が天皇に即位していたからだと裏日本史は語る。

天智以前の大和朝廷の歴史を改竄し、
万世一系のフィクションで一貫した物語を構成することで、
現在の朝廷の歴史は再スタートを切った。

この敗戦と外国支配・外国文化の受け入れによる再スタートは、
なんだか太平洋戦争の敗戦と、戦後日本の経済的繁栄に通じるものがある。

今回奈良を改めて訪ねてみたくなったのも、
歳をとってそういう裏日本史から、日本を眺めるようになったその目で、
もう一度かつての日本の再スタートを見てみたくなったからだ。

回廊の大仏殿の正面には香を焚く炉が置かれていた。
すぐ前のカップルが2人で香を焚くのを眺めていると、
自然と敬虔な祈りの気持がわいてくる。

これも子供時代にここを訪れたときにはなかったことだ。

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