奥の講堂では何かイベントが行われているらしい。
さっきからしきりに派手な衣装の坊さんたちが出入りしている。
坊さんたちはちょっと和風のダライ・ラマのようにも見えるし、
作家で僧侶だった今東光のようにも見える。
清廉な信仰の徒なのか、階段を上り詰めた権力者なのか、ただの生臭坊主なのか、
いずれとも判断できない。
つまりいずれにも見える。
1400年も法隆寺を維持してきた原動力は何なのだろう?
仏教徒の信仰心か?
古代の聖人・スーパースター聖徳太子への畏敬の念か?
虐殺されたこのスーパースターの祟りへの恐れか?
そのいずれもだというのが真相に近いかもしれない。
信徒たちの寄進がなければ寺の財政は破綻する。
しかし、法隆寺が伏見稲荷みたいに現世利益の集金装置を持っているとも思えない。
各時代の権力者や政権によるサポートがなければ維持できなかっただろう。
明治以降は文化財として国の財政サポートがあるのだろうか?
法隆寺の会計資料が公開されているなら見てみたいものだ。
しかし、大切なのはカネだけではない。
どんな人や組織がこの寺を維持してきたのか。
そこには鎌倉信仏教とも天理教や創価学会とも違う、
信仰心や価値基準があるのだろうが、それがなかなか見えてこない。
それは高野山金剛峯寺や比叡山延暦寺のように、歴史と伝統の雲の中に隠れている。
講堂の中は真っ暗だったが、入り口近くの売店では数珠やらお札やらを売っていた。
暗闇の中に護摩のようなものが焚かれているのか、オレンジ色の明かりが見える。
阿弥陀仏みたいな巨大な仏像が三体、闇に浮かんで美しい。
お経は意外にも現代風の日本語だ。
飛鳥時代のお経の読み方が伝わっていたらすごいと思うのだが。
もしかして、それは一般の観光客には聞かせないということだったりして。
観光客たちがたむろして、そのお経を聞いている。
中の暗がりの写真をパチパチ撮っている女性がいるので、
ぼくも仏像の写真を1枚撮ろうとしたら、
「おい、こら」みたいな感じで、後ろから係のおじさんに止められた。
よく見ると、写真を撮っている女性は「法隆寺」の腕章を巻いている。
広報担当か何かなのだろう。
おじさんがほんとに「おい、こら」と言ったのか、
一瞬のことなので記憶がさだかでないが、
法隆寺のスタッフは大体みんな無愛想でえらそうな感じのおっさんだ。
坊さんというより、老舗企業の係長みたいに見える。
彼らもちゃんと修行を積んでいる僧侶なのか、
それとも役所に勤める感覚でお寺に勤めている地元民なのか、
見た目には判断が付かない。
そんなことはどうでもいいじゃないかと言われるかもしれないが、
どんな人たちが法隆寺を支えているのかはわりと大事なことじゃないかと思う。
彼らの原動力が伝統文化の義務的な維持でしかないとしたら、
法隆寺はただの文化財、遺跡でしかない。
もし我々部外者には理解できないような信仰心や情熱が存在するなら、
法隆寺には今でも生命が宿っていることになる。
えらそうなおじさんの顔を、何度も盗み見たが、結論は出なかった。
おじさんに信仰心や歴史・伝統を守る情熱やプライドがあるとしたら、
おびただしい観光客を受け入れなければならないことに苦々しい思いがあるだろうし、
ぼくみたいに不心得な観光客に対する軽蔑も感じているだろう。
それが「おい、こら」というえらそうな態度になって表れても不思議はない。
しかし、京都や奈良では神社でもお寺でも、店でも、交通機関でも、
いたるところでこういう無愛想な人に出くわす。
そこには伝統ある土地に暮らしている人の優越感のようなものはあるのかもしれないが、
人として意味のあるものを、何かしら感じさせてくれたりはしない。
少なくとも、人間や社会がどういうもので、どうすればよりよくなるかといったことについて、
ぼくみたいな一般人ほども考えてない気がする。
こういう人に出会うたびに、
「奈良は別におまえらのもんじゃないんだよ」と言ってやりたくなる。
出入り口の外には、白装束の男たちが立っていた。
中世の絵巻物に出てきそうな人たち。
そばには白い布が巻かれた棒が何本か立てかけられている。
彼らも今日のイベントで何か役割を果たすように、しきたりで決められているのだろう。
彼らの衣装も棒も、飛鳥時代そのままのデザインというより、
長い歴史の中で変化してきたのだろう。
あれこれ雑談している話の内容は聞き取れないが、
あまり神聖な儀式の最中という感じではない。
お寺の伝統文化の中では、こうした侍人たちの身分はかなり低いので、
別に儀式の神聖さに感情移入する義務はないのかもしれない。
お寺が広大な領地を持っていた昔は、こういう侍人たちを無数に囲っていることもできただろうが、
今はどうなんだろう?
彼らは宗教法人・法隆寺のスタッフなんだろうか?
それとも伝統に則って、イベントの時だけボランティアで参加する地元の人たちなんだろうか?
彼らの姿越しに見る法隆寺西院伽藍がとても美しいので、
そんなことを考えながら、何枚も写真を撮った。
誰も「おい、こら」とは言わなかった。
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