
夢殿のすぐ裏手に別料金で入る中宮寺があった。
元々はもっと東に離れたところにあった尼寺で、
聖徳太子の母・穴穂部間人皇后の宮殿を改装したものと言われている。
中宮寺といえば誰でも知っているあの国宝・菩薩半か思惟像(情けないことに、片足だけあぐらをかいている姿勢を意味する「半か」の漢字が変換できない)、別名如意輪観音像がある寺だ。
いくら腹が減っていようと、別料金で腹が立とうと、見逃すのはもったいない。
細長い豆のさやが無数に垂れ下がっている藤棚や、赤い実のなる美しい木などを眺めながら、奥へ入っていくと、池の上に真新しい本堂があり、めざす菩薩が坐っていた。
つややかな漆黒の木造。
優雅に目を閉じた、ちょっと女性的な顔立ちがなんとも優雅で上品な慈悲深さを感じさせる。
今まで写真でしか見ていなかったのだが、世界で一番美しい彫刻のひとつだろうと感じていた。
もちろん実物はもっと美しい。
救世観音像のスキャンダラスな生々しさがない分、衝撃もそんなに強くないのだが、いつまでも眺めていたくなるようなやさしさに満ちている。
なんとなく「アメイジング・グレース」という歌のタイトルを思い出した。
驚嘆すべき優雅さ、慈悲深さ。
仏教の真髄を一言であらわすと、「慈悲」ということになるらしい。
「悲」という言葉が現代人にはちょっと違って受け取られるかもしれないが、
それは悲惨とか悲劇の悲というより、いくつしみ、愛おしく思うこと、
love,peace,freedomのlove、
All You Need Is LoveのLove、
キリスト教的な言葉で言うと慈愛に近い。
自分より人を大切にする心と言ったらいいだろうか。
こういう慈愛に満ちた仏像を見ていると、そんな境地にいたるのはたやすいと思えるのだが、
自分の日常や過去を振り返ると、慈悲や慈愛にはほど遠い。
世界には慈愛を説きながら人を殺す組織や国家のリーダーたちもいる。
日暮れて道遠し。
革命いまだならず。
ワールドクラスの偉人たちが志半ばで、あるいは挫折を味わいながら死んでいったのだから、
ぼくなんかに悔しがる資格はないのかもしれないが。
菩薩像の写真撮影は不可だったが、
帰りがけに券売所でポスターが貼ってあるのを見つけたのでパチリ。
これでも十分ワールドクラスの美しさが伝わってくるからすごい。
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