「みかん発祥の地」のみかん畑からさらに南下すると、
檜原(ひばら)神社という小さな神社があった。
社殿はなく、大小3つの鳥居があるだけ。
背後の三輪山の中にある岩をご神体としているのだという。
石器時代には大きな岩を、神が宿る場所として信仰していた。
というより、そこに降りてくる神様を信仰していたのだろうが。
この檜原神社は、今日の目的地である大神(おおみわ)神社の摂社(支社みたいなもの)だという。
大きな神社にはたくさんの摂社があるが、すでにここは大神神社の聖域なのだ。
社殿がない分、この簡素な空間が一層神聖に感じられる。
境内に立てられている由緒書きには、
ここは「元伊勢」つまり伊勢神宮の前身で、
天照大神を最初に祀ったのがここだったみたいなことが書かれているが、
これは神話時代のことなので、どこまで事実なのかはちょっとあやしい。
三輪山に鎮座するのは、天照大神の天孫系の神々ではなく、
先住民の神である大物主の神だ。
その聖域に外来の神を祀るというのは、信仰の侵犯になる。
もちろん天孫系の民族は先住民を征服したのだろうから、
中南米のアステカやインカの神殿を破壊して、
その跡地にキリスト教の大聖堂を建設し、先住民をキリスト教化したスペイン人のように、
先住民文化の徹底した破壊、完全な信仰の征服があっても不思議はない。
しかし、結局伊勢神宮が大和の地から遠く離れた伊勢に落ち着き、
大和には大神神社やさっきお参りした大和神社のように、
先住民の神/大物主神・大国主神を祀る神社が残されたところを見ると、
信仰の征服はうまくいかなかったのかもしれない。
「元伊勢」と呼ばれる神社はここのほかに、
京都の丹波などのあちこちにあるが、
どこも小さな神社だ。
そこに日本の征服民族のためらいが感じられる。
それはたぶんスペイン人による中南米の征服みたいに、
ひとつの民族が一気に徹底した征服をおこなったのではなく、
何世紀にもわたって大陸・朝鮮半島から移民・植民がおこなわれ、
日本の各所でそれぞれが先住民と混血し、戦いを繰り返しながら勢力を蓄え、
国家統一に向かっていったからなのだろう。
日本人という民族の繊細さ、神経質さ、お互いを配慮し合う性格/風習も、
そういう民族や国家の成り立ちから生まれてきたのかもしれないという気がする。
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