イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

大和路紀行2008秋

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「みかん発祥の地」のみかん畑からさらに南下すると、
檜原(ひばら)神社という小さな神社があった。

社殿はなく、大小3つの鳥居があるだけ。

背後の三輪山の中にある岩をご神体としているのだという。

石器時代には大きな岩を、神が宿る場所として信仰していた。
というより、そこに降りてくる神様を信仰していたのだろうが。

この檜原神社は、今日の目的地である大神(おおみわ)神社の摂社(支社みたいなもの)だという。
大きな神社にはたくさんの摂社があるが、すでにここは大神神社の聖域なのだ。

社殿がない分、この簡素な空間が一層神聖に感じられる。

境内に立てられている由緒書きには、
ここは「元伊勢」つまり伊勢神宮の前身で、
天照大神を最初に祀ったのがここだったみたいなことが書かれているが、
これは神話時代のことなので、どこまで事実なのかはちょっとあやしい。

三輪山に鎮座するのは、天照大神の天孫系の神々ではなく、
先住民の神である大物主の神だ。
その聖域に外来の神を祀るというのは、信仰の侵犯になる。

もちろん天孫系の民族は先住民を征服したのだろうから、
中南米のアステカやインカの神殿を破壊して、
その跡地にキリスト教の大聖堂を建設し、先住民をキリスト教化したスペイン人のように、
先住民文化の徹底した破壊、完全な信仰の征服があっても不思議はない。

しかし、結局伊勢神宮が大和の地から遠く離れた伊勢に落ち着き、
大和には大神神社やさっきお参りした大和神社のように、
先住民の神/大物主神・大国主神を祀る神社が残されたところを見ると、
信仰の征服はうまくいかなかったのかもしれない。

「元伊勢」と呼ばれる神社はここのほかに、
京都の丹波などのあちこちにあるが、
どこも小さな神社だ。

そこに日本の征服民族のためらいが感じられる。

それはたぶんスペイン人による中南米の征服みたいに、
ひとつの民族が一気に徹底した征服をおこなったのではなく、
何世紀にもわたって大陸・朝鮮半島から移民・植民がおこなわれ、
日本の各所でそれぞれが先住民と混血し、戦いを繰り返しながら勢力を蓄え、
国家統一に向かっていったからなのだろう。

日本人という民族の繊細さ、神経質さ、お互いを配慮し合う性格/風習も、
そういう民族や国家の成り立ちから生まれてきたのかもしれないという気がする。

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相撲神社から山辺の道に戻って少し南下すると、
美しい花を植えた小さなみかん畑に、
「相撲発祥の地」「みかん発祥の地」という汚い木の看板が立っていた。

日本のみかん栽培がここから始まったというのはほんとだろうか?

まあ、大和が日本統一政権の拠点であり、
古代文化の拠点でもあったことは事実だから、
みかん栽培がここから始まったとしても不思議はないのだが、

相撲神社のみすぼらしさと、このこぢんまりしたみかん畑を見ていると、
なんとなく胡散臭いものを感じてしまう。

この胡散臭さがまた本物らしくもあるのだが。

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相撲神社をめざして、杉木立の緩い坂を上っていくと、
大兵主(だいひょうず)神社といういかにも古そうな神社に出た。

ガイドブックには穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)とある。

元は大神神社に匹敵する規模を持つ神社だったとのこと。
相撲神社はその一部らしい。

ガイドブックの地図ではここまで来る途中にあったはずなのだが、
見逃してしまったようだ。

坂を下りながら杉木立の中を注意深く見ていると、
落ち葉に被われた地面にかすかに道の跡があった。
それをたどっていくと、子供が造った秘密基地みたいな小さい祠(ほこら)に出た。

横には紙につたない字で手書きした相撲神社の由来が板に貼り付けてある。

たしかにここが古代の相撲発祥の地だというのだが、
今日の大相撲の隆盛にくらべてこの貧相な祠は一体何だろう?
ここまで貧弱だと、地元の老人が何の根拠もないのに勝手に主張しているみたいに見える。

坂道に戻ると、相撲神社の由来を記した金属の看板が出ていた。

第1代垂仁天皇の時代、出雲から出てきた野見宿禰(のみのすくね)という相撲取りが、
当麻蹶速(たいまのけはや)という大和の相撲チャンピオンとこの地で対戦して、
野見宿禰が勝ち、天皇から領地を拝領した。

それが相撲の起源となったというのだが、
この説明はそれ自体矛盾している。
すでに大和や地方に相撲のチャンピオンいたということは、
それ以前から相撲が広く行われていたということで、
大和対出雲のチャンピオン戦がおこなわれたこの地が、
相撲発祥の地ということにはならないはずだからだ。

世間から相手にされないいかがわしい主張にはたいていこの手の論理的な矛盾がある。
大金持ちの日本相撲協会や相撲部屋、関取たちが、
この相撲神社に何の寄進もしていない(調べたわけじゃないが、このみすぼらしさからすると、そんな気がする)のも、そういういかがわしさのせいだろうか?

ただ、この相撲の起源物語で面白いのは、
大和と出雲の対戦になっていることだ。

古事記の神話では、もともと大和/日本にいた大物主の神が、
天照系/天孫降臨系の神々に大和/日本をゆずり、
出雲の海に入っていったということになっている。

つまり、あとから来た民族が先住民を征服し、
その支配階級を出雲の地に追いやり、
最後に滅ぼしたという史実があったことがうかがわれる。

大和朝廷はそこに出雲大社という大きな神社を建てて、先住民の神を祀った。
滅ぼした神の祟りを恐れたからだ。

長野の諏訪大社や愛知の熱田神宮、茨城の鹿島神宮など、
征服した先住民の拠点があったと思われるところには、
大きな神社、格式の高い神社があるが、
これも征服された民族とその神々の鎮魂のためだと思われる。

相撲伝説でも出雲の野見宿禰は当麻蹶速にただ勝っただけでなく、
この対戦で殺してしまったとある。

当時の相撲はそんなに激しい真剣勝負だったのかということにも驚くが、
もしかしたらこれは出雲に沈んだ先住民の神の祟りを、
相撲というかたちに表現した伝説なのかもしれないという気もする。

先住民を征服した征服者というのは、
そういう後ろめたさからくる不安を抱えながら政権を維持していかなければならない。

その不安を打ち消すためには、
先住民の神の祟り、その鎮魂の儀式を継続していかなければならない。

モンゴルや朝鮮半島に残る相撲なども合わせて考えると、
相撲のそもそもの起源は、騎馬民族の兵士の鍛錬を目的とした競技であり、
大会は彼らの神々へに捧げられる儀式だったと考えられるのだが、
日本の相撲には、先住民の神の鎮魂という、ちょっとデリケートな要素が加わっている。

最近の大相撲のいかがわしいスキャンダル騒動を見ていると、
このいかがわしさは、日本の相撲に本質的なもの、
誰もが薄々感じていながら触れようとしないタブーみたいなものにつながっているように思える。

そのタブーは、外国からやってきたのに日本古来からここにいると主張する嘘のいかがわしさ、
先住民を征服し、その神を殺してしまったうしろめたさにつながっているのかもしれない。

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ちなみに当麻蹶速の「蹶」の字をぼくはずっと「蹴」という字の異体字だと思い込んでいた。

20年くらい前、奈良の当麻寺を訪れて当麻蹶速と野見宿禰の話を知ったとき、
相手を殺してしまうくらいだから、
当時の相撲はキックボクシングやK-1みたいなものだったのかなと思ったのだが、

さっき漢和辞典を引いてみたら、「蹶」とは「つまづく」という意味だった。
たぶん「蹶速」とは、足のかけ技がすばやい力士という意味なのだろう。

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神籬の極小遺跡から山辺の道ルートに戻って少し南下すると、やや大きな十字路に出た。
山の方に相撲神社があるというので、またまた緩い坂を上る。

途中で纏向(まきむく)遺跡の大きな案内板を見つけた。

邪馬台国の時代、紀元3世紀頃に栄えた弥生時代の都市遺跡だ。

さっきそばを通ってきた崇神天皇・景行天皇陵から、
卑弥呼の墓とも言われる日本最古の古墳・箸墓古墳のあたりまで、
広い範囲に大型建築群と大規模な集落跡が見つかっている。

発掘された土器が関東・東海から北陸・山陰・山陽まで広い地域で作られたものであることから、
このエリアを統治する国家が、大和を中心として成立していたと推測されるという。

時代的にも「魏志倭人伝」に出てくる邪馬台国と合致するとのこと。

邪馬台国は畿内説と九州説が古くからあって、まだ決着はついていないのだが、
畿内説をとるとすると、この纏向遺跡あたりが邪馬台国の中心ということのなるらしい。

「魏志倭人伝」は日本史専攻の学生時代に授業で読まされて以来読んでないのだが、
ずっと気になっているのは、邪馬台国に「牛馬なし」と書かれていることだ。

馬がいないということは、騎馬民族ではないということだ。

漁民は全身に入れ墨をしているとか、
男は小さな船で命がけで漁に出て、女は磯に潜ってアワビなどをとるとか、
採集民がいる一方で、

都市が築かれ、大きな建物があり、
平民は「大人」と呼ばれる支配階級に遭うと土下座するとか、
すでに階級が形成されていた様子もうかがわれる。

階級が、農業の発達→資産の蓄積→階級の形成という感じで生まれてきたものなのか、
それとも強力な武器を持つ民族が外からやってきて、征服が行われた結果生まれたものなのかは、
いまひとつはっきりしない。

馬がいなかったということは、少なくとも騎馬民族の征服王朝ではなかったということだろう。

あちこちの古墳からは馬の埴輪が発見されているから、
魏志倭人伝でレポートされている邪馬台国以降に伝わってきたことになる。

それは騎馬民族の征服によってもたらされたのか、
それとも交易によってもたらされたのか。

馬は古代では戦車に匹敵する強力な武器だ。
騎馬民族が本気で民族移動してきたら、
馬を持たない民族を征服するのは簡単だったのではないか。

ぼくが騎馬民族征服説を支持するのは、
ロシア南部の古代スキュタイ族からモンゴル、満州、朝鮮、日本まで、
同じ様式の古墳があり、そこから同じ様式の金細工が発見されるなど、
考古学的に騎馬民族が東へ移動した形跡が見られるからだ。

魏志倭人伝の邪馬台国の謎は、馬がまだ伝わっていないのに、
卑弥呼の死のあとに「塚を造る」とあることだ。

「塚」は古墳なのか?
少なくとも馬の埴輪が出土する古墳ではない。
ロシア南部から騎馬民族の移動と共に築かれた古墳群の系列に属する古墳ではないということだ。

騎馬民族による征服の前なら、
邪馬台国が九州にあろうと、近畿にあろうと、どちらでもありえただろうし、
どちらにも似たような国家はあったのかもしれない。

纏向遺跡から出土する土器の産地を見ると、関東・東海・近畿・北陸・山陰・山陽(岡山あたりまで)ということは、もっと中国・朝鮮に近い九州が入っていない。
細かく言えば山口・広島あたりも入っていない。
とすると、九州にも国家があった可能性はある。

ぼくの若い頃は、邪馬台国九州説の方が有力で、
畿内説には無理があるとされていたのだが、
近年の考古学調査では、畿内説を裏づける発見が出てきているようだ。

しかし、邪馬台国=日本最古の統一国家から大和朝廷の国家へという流れだけで古代史を語るのはどうしても無理がある。

ひとつは天孫降臨神話と神武天皇の東征の説明がつかないことだ。
この神話は、大和朝廷の始祖が外国からやってきて九州に国家を築き、
やがて大和を征服したことを伝えているはずだからだ。

もうひとつ、馬と鉄器という強力な武器/農耕機具が、外国から伝わったとすると、
それによって国力を増大させた国家がいきなり内陸の大和に形成されるとは考えにくい。

2〜3世紀の大規模な製鉄工場跡は九州北部・山陰(出雲)・山陽(岡山)に圧倒的に多い。
最近、淡路島・徳島など近畿に近いところでも発見されてはいるが、
鉄器が西から伝わってきたことは疑いようがない。

鉄の原料は、日本にはわずかな砂鉄しかとれないので、
朝鮮・中国から輸入されていたという。
たしか日本には鉄鉱石を大量に溶かす設備も技術もないので、
一度鉄鉱石から鉄をとりだしたものを原料として輸入していたはずだ。

これはぼくの想像だが、
日本の王権は、まず朝鮮半島・中国から先進技術・武器・器具が入ってくる九州北部や山陰で生まれ、
全国(たぶん関東まで)を征服したのだが、
次のもっとすごい技術・武器・器具を持った勢力が九州に生まれ(あるいは外国からやってきてそこに上陸し)、勢力を蓄え、東へ攻めてくるので、
安全な内陸の大和に拠点を移した。
そういう流れが何度か繰り返されたのではないだろうか。

纏向遺跡の案内板を見ていると、
この内陸の大和に石器時代から弥生時代にかけて、
ピュアな日本民族国家の原型が生まれ、
それがそのまま大和朝廷になり、
現在の日本という国家につながっていると信じたがっている人たちがいることをひしひしと感じる。

ぼくの若い頃は邪馬台国九州説の方が優勢で、
畿内説は大日本帝国万歳系の右翼的なやつらの妄想ではないかと思われていたように記憶しているが、
しかし、最近はまた考古学的な発見で畿内説が勢いを盛り返してきた観がある。

それはそれで面白いのだが、
だからといって、朝鮮・中国からの侵略が全くなかったと考えるのは、
やはり無理があると思う。

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ミカン畑の中を行くと、「神籬(ひもろぎ)→」という表示があったので、ちょっと寄り道。

石がひとつ墓石のように祀ってある。

神籬とは古代の宗教儀礼で神の魂が降臨するよりしろだという。

この墓みたいな場所自体は真新しいのだが、
石はもしかしたらものすごく古いのかもしれない。

たぶん石をよりしろとするのは、縄文時代か、それよりもっと古い石器時代からの風習だろう。

これから向かおうとしている大神神社も三輪山をご神体とする、日本でも最も神社で、
もともとは山にある石を神が降臨する神座(みくら)として宗教儀礼をおこなっていた場所だ。

いよいよ山辺の道は古代宗教エリアに入ってきた。


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