大和神社のお参りをすませて、山辺の道に戻る。
このあたり、やたらときれいな球形・台形の小山が目につく。
ガイドブックによると、どうもこれらはすべて古墳らしい。
フザギ塚古墳、波多子塚古墳、西山塚古墳、下池山古墳、西殿塚古墳、中山大塚古墳と、
ガイドブックの地図に出ているだけでも6つあるが、
それ以外のきれいなかたちをした小山も、実は古墳なのかもしれない。
台形をしている小山が、最初から台形の方墳だったのか、
あるいは前方後円墳の前半分だけ残ったのか、
もとは円墳だったのが、削られてしまったのか、
今ひとつはっきりしないのだが、
段々畑になっているところも多い。
全国的に古墳は昔から地元民の崇拝の対象で、
古墳の山自体を神として祀った神社も少なくないのだが、
こうしてきっぱり割り切って畑にしてしまっているのも悪くない。
このあたり、あんまり古墳が多いので、
いちいち神社を造ったり、崇拝の対象にしていては、
畑にする土地が足りなくなってしまうのだろう。
もしかしたらもともと大和盆地の住民は古墳を築いた外来の騎馬民族を、
ちっとも尊敬していなかったのかもしれない。
よそ者に滅ぼされた自分たちの神々を祭る神社は大切にする風習は残ったが、
よそ者の墓は、大和朝廷の威光が衰えた中世くらいになって、
新しい農耕地を開墾したときに、畑にしてしまったとか。
まあ、大和盆地の農民にも蒙古斑が出るとすれば、
騎馬民族の血は彼らの中にも入り込んでいるのだろうが。
山辺の道に戻ると、そこは萱生(かやう/かよう)の環濠集落だった。
ここの環濠もリング状ではなく、溜池のようなものが残っているだけ。
その溜池も、どうやら西山塚古墳の壕のなごりらしい。
古墳の壕を活用して、中世期に環濠を造ったということだろうか。
この土地では先史時代から中世、そして現在まで、
時間がつながっている。
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※訂正
昨日「萱生の環濠集落」と紹介したところは竹之内の環濠集落で、
今日紹介したこちらが本当の萱生の環濠集落でした。
すみません。
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