夜都伎神社からさらに少し南下すると、重厚な瓦屋根の住居が密集する集落があった。
柿畑・ミカン畑と同じ山里にあるのだが、
農家というより、昔の市街地の旧家のような家々が密集している。
ガイドブックによれば、竹之内の環濠集落らしいのだが、
町の入り口に四角い溜池のようなものがあるだけで、
集落を囲む壕は見あたらない。
環濠集落とは、中世の動乱期に町を守るため、
住民が自主的に壕で囲んだ集落のことだ。
こんな丘の上の集落を壕で囲むのは大変だっただろうが、
それが溜池ひとつしか残っていないのは非常に残念だ。
残っていればさぞかし荘厳な眺めだっただろう。
戦乱が終わり、幕藩体制が整って、農村や商業都市を管理するようになった江戸時代に、
住民の自治を守る環濠は埋められてしまったのかもしれない。
あるいは自衛を必要としない平和な時代になって、
少しでも耕作地を増やすために埋められたとか?
|