少し行くと、最初の名所旧跡、永久寺跡があった。
平安時代に創建され、鎌倉時代には広大な敷地に何十というお堂や宿坊が立ち並ぶ大寺院だったというが、
その後衰退し、明治維新後の廃仏毀釈で廃絶されてしまったとのこと。
見渡したところ、柿畑と溜池しか見えないのだが、
もしかしてこの柿畑が昔は境内で、はるか先までずっと大伽藍が並んでいたのだろうか。
この溜池も元はお寺の庭園の一部だったのかもしれない。
組織・システムが廃絶されてしまえば、
建物・ハードウェアはこんなに跡形もなく消えてしまうのだ。
そう思うと、昨日見た法隆寺でも、どれだけの人の信仰や努力、
組織的な活動が伽藍や宝物の維持を支えてきたのかがわかる。
今でもいたるところにお寺があるのを見ているので、
廃仏毀釈というのがあまりピンと来ないのだが、
明治時代には仏教寺院を破壊する運動というか、政府の行政執行がものすごかったらしい。
朝廷とゆかりのあるお寺や、文化財としてあまりに貴重な建物・宝物は残されたのだが、
それほどでもないと判断されたお寺は容赦なく解体されたとのこと。
それでも名の知れないお寺がいたるところにあるのは、
葬式の会場・墓地・墓守としての役割だけは許されたということだろうか。
徳川幕府から朝廷に政権が移ったからといって、
どうして仏教寺院がだめで神社はOKということになるのかも、
今の我々からすると、あまり釈然としない。
別に徳川幕府=仏教政権というわけでもないし、
そもそも日本の政治に仏教を導入したのは朝廷で、
奈良時代には全国の行政拠点に必ず国分寺を置くというくらい、
仏教と行政を一体化させたのも朝廷だったはずなのだが。
もしかしたら、これは朝廷そのものというより、
江戸時代後期に起こった国学・国家神道の運動の一環なのかもしれない。
鎖国の時代だった江戸時代に、まずブームになったのは蘭学・洋学で、
ヨーロッパの技術・文化に対する好奇心が、
平賀源内に代表される様々な発明や絵画を生んだ。
しかし、アメリカやロシアなど海外から開国の圧力が強まり出すと、
逆に国家ナショナリズムが生まれ、
学者・思想家たちは統一国家日本をはじめて意識するようになり、
古代文化を研究する国学や、神道の運動・研究がさかんになった。
明治維新は近代国家をめざす改革という側面もあるが、
そもそも開国・近代化を先に進めたのは江戸幕府だったし、
明治政府の指導者になった維新の志士たちはもともと尊皇攘夷派だった。
色々な紆余曲折をへて、明治政府は欧米化を推進することになったのだが、
その一方で「和魂洋才」の「和魂」は、天皇制・神道という日本の古いシステムの復権を求めた。
こうしてみると、飛鳥時代から今日まで、
日本という島国はいつも、外圧におびえながら、
そのストレスをエネルギーとして様々なことをしてきたのだとつくづく思う。
外向きの近代化、西洋文明の導入、論理的思考はストレスを生み、
我々の心にそのネガを焼き付ける。
明治以降の富国強兵の時代にも、
第二次大戦の敗戦を経験したあとの経済復興期にも、
なぜ多くの日本人が天皇を心のよりどころにするのか。
その答えは外圧・近代化・グローバリゼーションのストレスにある。
この心理的なメカニズムを理解し、
ストレスをコントロールすることを学べば、
日本人はもう少し幸せになれるのではないかという気がするのだが。
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