イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

大和路紀行2008秋

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猿沢池から「ならまち」と呼ばれる古い町屋が並ぶエリアを歩きながら、
落ち着いて夕食がとれそうな店を探す。

カウンターがあって、1人でふらりと入れるこぢんまりした店がいいのだが、
雰囲気がよくておいしそうな店でも、混んでいるところは苦手だ。
二軒ほどパスして、路地裏にひっそりした店を発見。

カウンターはないが、衝立で仕切られた板の間の席は無人。
下駄箱に靴がたくさんのだが、どうやら2階に団体がいるらしい。

もずく酢、汲み上げ豆腐、生牡蠣、刺身盛り合わせ、穴子の天ぷら、鳥の炭火焼き、ミニうどんと生ビール2杯。
値段が安いわりにどれも良心的。
旅の疲れがすうっと消えていく。

ほろ酔い気分で路地をうろつき、いつのまにかまた猿沢池に出ると、
満月がちょうど中天にかかって、池のまわりをまぶしいくらいに照らしていた。

思わず月と池にごちそうさまと言いたくなる。

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電車で奈良駅に戻り、ホームからガイドブックに出ているホテルに電話。

駅からは「一泊4千円インターネット付き」という激安ホテルが見えるが、
なんだかネットカフェ/漫画喫茶みたいな感じなので、
もうちょっと奈良公園に近いあたりの、7千〜8千円くらいのをさがす。

奈良初心者なので、どのあたりが古都らしい雰囲気を感じさせてくれるのかわからない。
有名な猿沢池の横に天平ホテル7500円というのがあったので、
電話してみたら、団体客で一杯とのことだった。

地方取材で勝手知ったるワシントンは、なぜか電話に誰も出ない。

3つ目のホテルフジタ奈良のシングル8000円に決める。

JR奈良駅から猿沢池まで続く参道みたいな道の中ほどにあるちょっと古いタイプのホテル。
すぐ近くのワシントンホテルみたいにいかにもビジネスホテルっぽいホテルではなく、
地方都市のまともなシティホテル兼観光ホテルだ。

シングルがあるんだから、ビジネスホテルとして利用されることも多いのだろうが、
部屋は最近のビジネスホテルにしてはけっこう広い。

ホテルの隣は開化天皇陵で、
窓から見えるのは寺と墓地だが、これも古都らしくてわるくない。

ロビーやエレベーターでやたらと年寄りのグループに会う。
関西弁ではないから、同窓会かなにかの旅行らしい。

シャワーを浴びて日が暮れた街へ出る。
筆や硯、墨を売る店が目につく。
古都だから書道人口が多いのか、古都を訪ねて古い文化に感化され、
帰ったら書道か水墨画でもやってみようと考える人が多いのか、

さっき断られた天平ホテルは修学旅行らしい団体でごったがえしていた。
1人旅でふらりと泊まる宿ではないらしい。

ホテルの前には土産物の屋台が並んでいる。
もう観光タイムは過ぎているからどこも閑散としているが、
小学生らしい女の子たちが数人、小さなキーホルダーみたいなものを買うかどうか真剣に悩んでいる。
天平ホテルか近くのホテルに泊まっていて、
夕食前のわずかな時間に出てきたのだろう。

こういうところで誘拐事件は起きないのかもしれないが、
物騒な時代だから、なんとなくハラハラしてしまう。

猿沢池のまわりはベンチが並んでいて、夏には夕涼みにいいのだろうが、
今は人影もない。
池越しにライトアップされた興福寺の五重塔が見える有名なアングルから、
絵葉書みたいな風景をしばし茫然と眺める。

1300年のあいだ、このあたりはどんな時を過ごしてきたのだろう。

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飛鳥時代に魂を置いてきてしまったのか、茫然としたまま住宅街をJR法隆寺駅へ歩く。

法隆寺も、法輪寺も、斑鳩の田園も見えなくなると、
あたりは関西によくあるちょっと古い街並みだ。

古代朝鮮の植民者たちによる最初の文明開化が推進された地域の、
異様なエネルギーはもはや感じられない。
それは裏日本史マニアの幻想にすぎないという気さえしてくる。

幻想が消えても、古代朝鮮様式の古墳や寺院、
ウラルアルタイ語族の流れを汲む朝鮮語や日本語、
尻の蒙古斑といった状況証拠は残るのだが。

飛鳥時代に続くタイムトンネルは、ぼくの中に開通したままだ。

住宅街に美しい菊の花を丹誠込めて育てている家を見つけた。
オレンジ色の夕陽を浴びて輝く花を写真に撮る。

黒々とした自分の影が、古代から来た亡霊のようだ。

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百済観音の衝撃の余韻が抜けないまま、法隆寺を離れ、斑鳩の田園を北東へ歩く。
山の縁にそっていくつも溜池があり、平地には田んぼや畑が広がる。
所々に果樹園があり、柿を売っている無人販売所があったりする。

 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
                正岡子規

平地から見ると、溜池はいずれも小さなダムのような土手を築き、
山から流れる水を堰き止めるような感じになっている。
ただの溜池なら平地に穴を掘った方が簡単だと思うのだが、
どうしてこんな手間をかけたんだろう?
平地に水田を増やすために、山の裾を池にしたということだろうか?
飛鳥時代や奈良時代ではなく、耕作地が拡大した鎌倉時代〜江戸時代に築かれたのかもしれないが。

古代の大和盆地は湿地帯が多く、水田には適していたが、
宮殿や寺院、都市を築くには苦労したと言われる。
どうしてそんなところが国の中心になったのか。
それが若い頃からずっと考えている謎だ。

稲作に適しているから富の蓄積が他の地域より早かったのかもしれない。
しかし、それなら外からやってきた勢力はなぜ大阪平野や京都盆地ではなく、
この奈良にこだわったのだろう?
先住民族の都だったからか?

神武天皇も九州からの「東征」の際、最初は大阪平野に上陸したが、
すぐに生駒山を越えて大和盆地に侵攻しようとした。
しかし、旧勢力の激しい防戦にあって、このルートからの侵攻をあきらめ、
紀伊半島の南端・熊野へ回り、熊野川沿いに北上して大和盆地に攻め込んで、征服を成功させている。

征服後も大和盆地に居座ったのは、攻めにくく守りやすい立地が魅力だったからだろうか?
すでに大和/日本の象徴的な土地になっていたからか?
あるいは大阪平野や京都盆地は、大和盆地以上に住みにくい土地だったからか?

鴨川・桂川が流れ、湿地帯だらけだった京都盆地は、
治水技術が未発達だった古代にはとても住みにくい土地だったらしい。
奈良時代末期、桓武天皇が遷都を考えたときも、
広い京都ではなく、まず長岡に遷都している。

うろ覚えの記憶によると、
上加茂・下加茂神社があるあたりに渡来系の加茂一族が、
映画村のある太秦あたりにやはり渡来系の秦一族が住んでいたが、
京都盆地全体は広漠とした湿地帯だった。

平安末期でも後白河法皇が自分の意のままにならないものとして、
比叡山の僧兵と鴨川の流れを挙げたと伝えられているから、
川の氾濫を防ぐ土木技術・インフラ整備はよほど難しいものだったのだろう。

そんなことを考えながら歩いているうちに、
聖徳太子の息子・山背大兄王が、父の病気平癒を祈念して建てたとされる法輪寺に着いた。

ガイドブックでこの「山背大兄王」という文字を見て、ちょっとした疑問が湧いた。
たしか中学・高校時代に、「やましろのみこ」「やましろのおおえのみこ」と読むように習った記憶があるのだが、皇族の一員なら「皇子」であるはずなのに、
どうして「皇子」ではなく「王」なのだろう?

そういえば父の聖徳太子も、こういう呼び方がされるようになったのは後世のことで、
当時は「上宮法王」と呼ばれていた。

まあ、天皇を「天皇」と表記して、「すめらみこと」と呼ぶようになるのは天武天皇より後のことで、
それまでは天皇は「大王=おおきみ」だったらしいから、「王=みこ」だったのかもしれない。

ただ、「百済王なんとか」みたいな記述がやたらと出てくるだけに、なんとなく気になる。

日本書紀で大和王家は百済王家ではなく、
日本古来/万世一系の神の子孫であるというフィクションを作り上げたときの、
微妙な記述のほころびが、そこから透けて見えるような気もするからだ。

法輪寺は、法隆寺の西院伽藍をミニチュアにしたような、
小さく静かな寺だった。
元々は法隆寺の三分の二くらいの大きさがあったというが、
父・聖徳太子の強さ、スケールの大きさにはるかおよばず、
蘇我氏に滅ぼされてしまった息子・山背大兄王の弱さ、スケールの小ささを見るようでちょっと悲しい。
こんなものを見るくらいなら、法隆寺から西に歩いて、
寺のメンテナンスをしてきた大工たちの町・西里の古い街並みや、
その先にある藤ノ木古墳でも見た方がよかったかもしれない。

しかし、今からそっちに回ったら日が暮れてしまうので、
あきらめて近くの法起寺を眺めて駅へ向かう。

まあ、藤ノ木古墳といってもただの小山で、
中から発掘された古代朝鮮様式の貴人の装身具・副葬品が見られるわけではない。
出土品は橿原考古学研究所附属博物館に展示されているというから、
日を改めて見に行こう。

この藤ノ木古墳といい、明日香村の高松塚古墳といい、
未盗掘あるいはいい保存状態で発掘された古墳がどれも高句麗系の様式だというのはとても興味深い。
もうひとつ、大阪府の北部で発掘された、藤原鎌足の墓といわれる古墳も、
その主は古代朝鮮の武将の服装で埋葬されていた。

こうした発見はたしか1970年代あたり、
ぼくが大学生だった頃のことで、
大和朝廷が高句麗・百済系王族・豪族に支配されていたと、
ぼくが考えるようになったひとつの大きなきっかけになっている。

学校では「朝鮮半島の影響を受けた」と教わったが、
いくら当時の先端文化だったとはいえ、
人は死ぬときまで外国の衣装を着るだろうか?

そこから国史学科の学生でありながら裏日本史の怪しげな本を読みあさるぼくの習慣が始まった。

ではそうした挑戦の王族・豪族はいつ日本にやってきたのか?
仏教・仏像がもたらされたとされる6世紀前半か?

仏教・仏像をもたらしたのはまちがいなく彼らだろうが、
朝鮮半島からの侵略が行われたのはそれが初めてではない。

学生時代に読んだ江上波夫の「騎馬民族征服説」は、
梅原猛のような素人ではなく、古代史の専門家が著したまともな史学書だが、
そこでは古墳時代の4〜5世紀に、モンゴル系の騎馬民族が日本を征服したという説がとられている。

特に大阪平野の南に巨大古墳を築いた応神・仁徳天皇とされる王あたりが、その中心だったという。

ただ、古墳は関東から西の広い範囲におびただしい数が築かれているから、
侵略・征服は事件として一度だけ起きたというより、
その二百年くらいのあいだに、色々な騎馬民族系の部族が日本各地に植民したのだろう。
「騎馬民族」というと、モンゴル平原からチンギスハーンみたいなのがいきなりやってきたような感じだが、
実際はまず満州や北朝鮮に国を築き、南朝鮮を平定し、海を渡っただろう。

だから満州にも朝鮮半島にもたくさんの古墳があり、
埋葬品ンは、モンゴル・南ロシアの古墳と驚くほど似ているものが出土している。

そんなことを古代史概説のレポートに書いたのは、たしか大学2年のときだ。
先生からは
「これは仮説ではなく、ただの空想に過ぎない。仮説は研究の原動力になるかもしれないが、空想をもてあそんでいては何も生まれない。今の君に必要なのは、歴史の基本である文献を読み、学術的な根拠を構築するという基礎技術を磨くことだ」
といった趣旨のお説教をくらった。

ごもっとも。

しかし、その段階で日本史の情熱はすっかりさめてしまった。
こういう正論をかざしながら天皇万世一系史観を守っている御用学者たちと戦っていくには、
彼らがもてあそんでいる偽造された膨大な資料と、それを真に受けて書かれた膨大な論文を読まなければならないのだ。
そんなゴミの山に埋もれて暮らすのは息が詰まる。

それでぼくは3年になってもゼミに所属せず、
卒論の代わりに10単位余計に取得すれば卒業できる「非ゼミコース」という、
おそろしくいい加減なシステムを選択し、
小説を書いたり、学園祭の委員をやったり、フランス語を勉強したりして、
残りの数年間を過ごしたのだった。

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宝物展示館の大宝蔵院は真新しい、ちょっと毒々しい建物だった。

有名な玉虫厨子や百万塔、夢違観音など、国宝・重要文化財がゴロゴロしているのだが、
最大の見物は百済観音像だ。

身長2メートルのひょろ長い木像で、だらりとした左手には水瓶を下げている。
薄い着物を着ているのだが、背中から腰のあたりまで肌を露出していて、
なだらかなS字カーブを描いたラインがなんともなまめかしい。

水瓶が実は酒瓶で、ちょっと酔っ払っているのかなと思わせる。

衝撃的なのはその眼。
薄暗い照明に浮かび上がった顔の眼のあたりには、眼球の代わりに黒い穴が開いているように見える。
まるで虐殺され、目玉をくりぬかれた被害者のような陰惨さ。

顔の表情全体はいたっておだやかで慈悲深さを感じさせるだけに、
その死体っぽい印象が一層異様に感じられる。

虐殺され、眼球をえぐり取られた、セクシーで慈悲深い観音様。
かつては金色に輝いていたのかもしれないその立像は、
虐殺者になんの恨みも持たず、ただ茫然と立っている。

何に似ているかと言えば、「スターウォーズ」のC-3POに似ている。
その背の高さ、人のよさ、不器用さ。
虐殺され、眼球をくりぬかれても、何が起こったか理解できず茫然としているお人好しのロボット。

たぶんぼくがこれまで見てきた彫刻の中で、最も美しく、衝撃的な彫刻だ。
ルーブルのサモトラケのニケの力強さ、ミロのビーナスの気高さ、フィレンツェのミケランジェロ作ダビデ像の荘厳さにもまったくひけをとらない。
パリでこの百済観音像が公開されたとき、一大センセーションを巻き起こしたというが、
たぶん国境を超えた普遍性がこの彫刻にはあるのだろう。

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※百済観音像の写真、もっとまともな解説をお求めの方はこちらを参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88%E8%A6%B3%E9%9F%B3

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この百済観音の最大の謎は、
法隆寺に保存されている天平年間の資財帳に書かれていないことだという。
初めて記録に登場するのは江戸時代になってからだ。

ということは、その間にどこかよその寺かどこかから運ばれてきたのか?
しかし、この像の製作年代が飛鳥時代にまでさかのぼることは間違いないので、
法隆寺以上にふさわしい所有者はない。

百済観音という名称は明治以降になってからで、元々は虚空像菩薩と呼ばれていた。
虚空像さんとは関西によくある仏像、あるいはそれを所有するお寺で、
虚空=宇宙いっぱいの富をもたらす仏様として、商人たちに信仰されている。

百済観音という名前がついたのは、百済からもたらされたという伝承があるからだ。

裏日本史マニアからすると、この百済観音の謎はけっこう明快に説明できる。

聖徳太子・蘇我馬子の飛鳥時代から、中大兄皇子・藤原鎌足の大化の改新あたりまでの大和/日本は、
高句麗系騎馬民族が百済を侵略して建てた王朝の植民地だった。
それ以前から日本は、全国にたくさんの古墳を築いた、
様々な朝鮮半島系/騎馬民族系部族のモザイク型植民地だったのだが、
その中から中国の最先端技術と経済・行政システムを導入した部族が、
朝鮮半島と大和/日本で勢力を増した。
その動きが大和/日本では聖徳太子・蘇我一族の政権掌握だった。

しかし、本国の朝鮮半島では中国(唐)と新羅に攻められて、
まず高句麗が、次いで百済が滅亡する。
大和/日本では中国型政治行政改革を推進した聖徳太子・蘇我一族が内紛で滅び、
反中国・反仏教の百済王家/豪族(つまり中大兄皇子・藤原鎌足一族)が政権を握っていたが、
この一派は、滅びた百済の再興を狙って朝鮮半島で中国・新羅軍に戦いを挑み、
白村江で壊滅的な敗北を喫する。

そこで中大兄皇子一族は大和で反中国政権を維持しようとするが、
中国と和解しようとする周囲の賛同を得られず、近江に逃げて、
そこで自ら天智天皇として即位する。

しかし、反中国路線にこだわっていると、唐・新羅に滅ぼされかねないと危惧した勢力が、
天智天皇を暗殺し、近江に攻め込んでその一族を滅ぼす。
これが壬申の乱として伝えられる内戦だ。

その後は一転して中国寄りの政治が行われ、
白鳳・天平時代を通じて、中国式の都とおびただしい仏教寺院の建設が進められる。

こうした動きの中で、一番のタブーは大和/日本政権が高句麗・百済系だったことだ。
そこで中国に対して、自分たちは大和/日本古来の民族であり、政権であり、
百済王家一派はもう一掃されてしまったという立場が貫かれる。

大和初の正史である「日本書紀」は中国に対してその主張を立証・正当化するために編纂された。
だから露骨に高句麗・百済系であることがわかる聖徳太子・蘇我馬子一族は、
政権を握っても、天皇に即位していないことにした。

彼らが持ち込んだ仏像も、日本で造られたもの、あるいはそう主張しても通りそうなものだけ残して、
あとは倉庫の奥に隠された。
たぶんこの百済観音は当時あまりに露骨に百済渡来とわかる仏像だったのだろう。

飛鳥時代を象徴する聖徳太子も法隆寺も百済観音も、タブーであればあるほど、
当時の大和/日本政権にとっては尊さを増した。

中国の手前、露骨に顕彰はできないが、
中国から先端技術・文化を導入し、今の(つまり奈良時代当時の)大和・日本の基盤を構築したのは、
飛鳥時代だからだ。

そう考えると、なぜ聖徳太子や法隆寺が奈良時代以降これほど崇拝されながら、
しかも漠然とした忌まわしいタブーのイメージを内包しているのかがわかる。

その崇高さもいかがわしさも、
ただ聖徳太子が暗殺され、怨霊となったといった個人的な事件ではなく、
まさに大和朝廷/日本政権のネガであるところから生まれているのだ。

そのいかがわしさは第二次世界大戦で欧米に敗北し、
欧米の文化・経済・政治システムを受け入れて再出発した今の日本にも通じるものがある。


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