イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

戦国歴史紀行2009

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岐阜を離れる前に、駅ビルで夕食。

あれこれ迷った結果、客がひとりもいない中華料理店で、
2000円の弁当的なお手軽コースと生ビール。

津島・岐阜歴史探訪のしめくくりが、
お手軽中華というのも気が引けるが、
旅ではそのときの疲れ具合や気分によって、
食べたいものがちがってくる。

このときは、列車の時間もあるから、のんびり食事をしているヒマもないし、
それでもあれこれつまみたいし、
ビールもちょっと飲みたいという気分だったのだ。

こういうときにこういう中華の格安コースというのはありがたい。
ビールのつまみにもなればごはんのおかずにもなる料理があれこれあって、
栄養のバランスもいい。

和食や洋食にこういうのがあるかというと、
意外とないものだ。

手軽に満足して、
適度にアルコールがまわったところで、
新幹線に乗るのもめんどうなので、
在来線に乗ってのんびり関西方面へ向かった。

新幹線に乗るより2500円ほど安いから、
これで夕食代がまかなえた計算だ。

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天守閣からロープウェーの山頂駅へ戻る途中、
来たときと違う道を通ったら、

信長がこの城を攻め落としたとき、
先陣を切って山を登った木下藤吉郎が、
ひょうたんを振って合図したという場所の表示が出ていた。

それ以来ひょうたんは藤吉郎のシンボルになり、
武将に出世してからは、千成ひょうたんを旗印として掲げるようになったとのこと。

その先の山道に半分枯れ葉に埋もれた感じの井戸があった。

山城でどんなふうに水を確保したのか、
前から不思議に思っていたのだが、
そもそも水が確保できないようなところには城を築かなかったから、
こういう井戸はあってあたりまえなのかもしれない。

山歩きをしていると、
かなり急峻な山でも尾根筋の下あたりに水脈が露出して水が湧いているところがある。
泉がなくても井戸を水脈まで掘れば水は確保できたのだろう。

ほかに深く大きく穴を掘って雨水をためたりもしたらしい。

こういう施設に出会うと、
戦国時代の城の様子が目の前に浮かんでくる。

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天守閣の最上階に登った。

北は飛騨山地、東は木曽山脈、西は濃尾平野から鈴鹿山脈、
南は濃尾平野が名古屋方面まで見渡せる。

眼下の長良川がうねりながら木曽川・揖斐川と接近して、
伊勢湾方面へ流れていく様子もはっきり見える。

眺めていると、なるほどここが日本の中心だという気がしてくる。

天下統一のために信長が美濃をほしがった気持もわかる気がする。

尾張と美濃はほんのわずかな距離なのだが、
ここに敵がいるのと、自分がいるのとでは、
京をおさえるのに雲泥の差があるのだ。

事実、美濃を攻略してからの信長は、
天下統一のビジョンを明確にし、
そのための行動を一気に加速させていく。

それは樹上をわたる猿のような危なっかしい冒険の連続で、
最後には非業の死で幕を閉じるのだが、
その危なっかしさ、
ほかに誰もやろうとしなかったことに挑んだ勇気、
発想の斬新さ、
邪魔ものは叩きつぶす明快さ、
そして未完に終わった夢のはかなさが、
信長の圧倒的な人気の秘密なのだろう。

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岐阜城の天守閣に登る。

関ヶ原の戦いの後に建てられたものらしい。
道三・信長時代の城にはこういう天守閣はなかったとのこと。

日本の城というと天守閣が頭に浮かぶが、
天守閣というものが築かれるようになったのは、
1560年頃、つまり戦国時代の末期になってからだ。

最初の本格的な天守閣とされるのは、
ぼくの戦国小説でも登場する松永久秀が、
1560年奈良に築いた多聞山城とされるが、
その少し前から伊丹城など、
近畿の城に天守的なものが築かれ始めていたとも言われる。

多聞山城が注目されるのは、
信長がこの城から影響を受けて、
安土城のデザインを考えたと言われるからかもしれない。

この岐阜城のふもとにある壮麗な御殿も、
多聞山城の影響があるという。

天守閣の中はどの城も同じでがらんとしている。

道三から信長に宛てた美濃の「国譲り状」の写しや、
甲冑などが展示してあるだけ。

この国譲り状もなかなか不思議で興味深い。

これが本物なら、道三は息子の義龍ではなく、
娘婿の信長に美濃の国を譲ろうとしたということになる。

先に触れたように道三は義龍に跡目を譲って出家しながら、
(そもそも道三とは出家してからの名前だ)
義龍と対立して、
結局、義龍にも主立った家臣たちにも背かれて、
殺されてしまうのだが、
その背後には道三が美濃生え抜きではなく、
京の商人から成り上がった素性の怪しい男の息子で、
美濃生え抜きの豪族たちから嫌われていたという事情があったのだろう。

息子の義龍は道三の実子ではなく、
美濃の守護・土岐頼芸と側室のあいだにできた子供だったから、
豪族たちの支持を得ることができたのだ。

しかし、そうして追い詰められた道三が、
娘婿とはいえ、他国の信長に美濃を譲るというのはどうも不自然だ。

信長側が美濃を攻略するにあたって偽造したと考えた方がいいかもしれない。

ただ、道三と信長が、もっと深い裏社会のネットワークでつながっていたとしたらどうだろう?

それがぼくの小説「ワイルドボーイズ」の尾張編のモチーフだ。

尾張の津島商人から出たのに、
美濃の道三に仕えた堀田道空や、
美濃の土豪で信長に仕え、
忍者でもあったと言われる森可成など、
美濃の道三と尾張の信秀・信長は、
奇妙な人脈でつながっている。

このあやしげな人脈は、
京の裏社会の支配者・松永久秀や、
堺の商人たち、
伊賀・甲賀の忍者たちにつながっている。

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空は相変わらず曇っているが、心なしか雲が高くなった。
川原町から見上げる岐阜城もくっきり見える。

岐阜公園に戻ってロープウェーに乗り、山の上へ。

ロープウェーの窓はさっきまでの豪雨のなごりでびっしり水滴がついている。

山頂駅についたらすぐお城なのかと思っていたのだが、
どうやらそこからさらに山道を歩くらしい。

まあ、ちょっとハイキング気分が味わえていいのだが、
どうせなら、どうしてもっと城の近くに駅を作らなかったんだろう?

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