イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

戦国歴史紀行2009

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全19ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5 イメージ 6 イメージ 7 イメージ 8 イメージ 9
イメージ 10 イメージ 11

イメージ 11

中百舌鳥(なかもず)駅を出て自転車を組み立てたら、時刻はもう11:00過ぎ。

とりあえず最初の目的地、堺市の歴史博物館へ向かって走り出す。
このあたりは仕事で二度来ているので、地図をコピーしてこなかったのだが、
いざ走り出すと、どうも様子がおかしい。
そのうち方角を90度間違えていたことがわかってきた。

仕事では取材先の工場からタクシーでなかもず駅に乗り付けたので、
途中で曲がった交差点をひとつ忘れていたらしい。

それでも、そのうち博物館の近くにあるはずの仁徳天皇陵が見えたので、
その外周道路を走っているうちに、博物館前に着いた。

まず感謝の気持ちを込めて仁徳天皇陵に参拝。
言うまでもなく日本最大の古墳だ。
古墳というのはお墓だから、神社のように神々がいるとされているわけではないが、
天皇陵は宮内庁管轄で、こんなふうに鳥居が建てられ、
いかにも参拝したくなるような演出をしているところが多い。

天皇陵でない古墳でも、山の麓に神社が建てられているところもある。
古墳のほとんどは、奈良時代あたりからすでに誰の墓なのかわからなくなっているらしいのだが、
昔の人は畏敬の念を込めて拝んだようだ。

この仁徳天皇陵の近くには、仁徳天皇の父応神天皇の陵墓とされる古墳もある。

彼らより前の天皇の陵墓が大和盆地にあるのに、
どうして彼らの陵墓が大阪側にあるのか不思議だが、
騎馬民族征服説を唱える学者は、
応神・仁徳がその前の王朝とは無関係で、
朝鮮半島からわたってきて、馬と鉄を武器に大和を征服した騎馬民族だと考えている。

しかし、大和を征服したなら大和に陵墓を築いてもよさそうなものだ、
というのがぼくの素朴な疑問だ。

たしか古事記によると、応神天皇の母・神功皇后は朝鮮半島征伐に出かける途中で妊娠したのだが、
そのまま半島征伐を強行したあと、九州に帰ってきて応神天皇を産んだということになっている。

しかも、赤ん坊の応神天皇はすんなり大和に入れず、
大臣の武内宿禰(たけのうちのすくね)に守られながら、あちこち転々とし、
かなり苦労を重ねてやっと大和に入っている。

この一連のストーリーを素直に解釈すると、
応神天皇の一族は朝鮮半島からやってきて、
かなり苦労した末に、権力を掌握したのだろう。

この百舌鳥丘陵から堺にかけての地域は、
古代からきめの細かい良質の砂がとれ、
これが鉄を溶かして成形するときの型にちょうどよかったので、
製鉄業が栄えたのだという。

もしかしたら、応神・仁徳王朝が大和ではなくこの大阪側を基盤としたのも、
製鉄のしやすさや、朝鮮半島〜九州に築いた拠点との交通の便を考えてのことだったのかもしれない。

この地域の製鉄業は、やがて戦国時代に鉄砲の製造へとつながっていく。
ぼくがこれから書こうとしている戦国時代の小説も、
この鉄砲の製造・流通をひとつの軸としている。

だから取材のために堺まで来たのだ。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5 イメージ 6 イメージ 7 イメージ 8

イメージ 8

3月23日
宝塚で父親の墓参りをすませ、3日間休養してから、堺・和歌山の旅に出た。

これから書く予定の戦国時代小説では、
堺の商人たち、紀州根来の僧兵軍団が重要な役割を果たす予定になっている。

史料を読めば必要な情報は手に入るのだが、
やはり舞台となる土地を見ておかないと、書いていてイメージが湧かない。

400年以上昔のことなので、今の現地を見たから何がわかるわけでもないのだが、
それでも何か発見はある。

というわけで、宝塚から折りたたみ自転車を持って、
阪急電車〜地下鉄御堂筋線と乗り継いで、堺へ向かった。

堺の表玄関は南海本線の堺駅だが、
そちらへ行くには難波で乗り換えなければならない。
自転車を持っているので、少しでも乗り換えの回数を減らしたいということで、
そのまま御堂筋線の終点・中百舌鳥(なかもず)まで行った。
堺の少し山側にある駅だ。

朝のラッシュアワーを避けて9:00過ぎに出かけたのだが、
それでも電車はけっこう混んでいた。
黒っぽい背広の人たちに混じって、
折りたたみ自転車を持って電車に乗っている自分がとてもおかしい。

大阪で困るのは、エレベーターで右側に立たなければならないことだ。
関西で暮らしたことがない人にはわかりにくいかもしれないが、
なぜか関西人はエレベーターに乗るときは右側に立ち、
急ぐ人は左側をのぼっていく。

東京/江戸は武士の町だったので、
腰に差した刀が邪魔にならないように左側に寄る習慣があり、
大阪は商人の町なのでそうした習慣がないという説を聞いたことがあるが、
なんだかいまひとつ信憑性に欠ける気がする。

まあ、それはいいとして、
折りたたみ自転車を右肩から下げた状態で、エレベーターの右側に立つのはけっこうつらい。
右のベルトや壁にこすれるからだ。
こすれないように立つと、左に大きくずれて立つことになる。

かといって自転車を左肩にかけようとすると、なぜかずり落ちてしまう。
たぶん右肩から下げる習慣がついているので、右肩が上がっている分、左肩が下がっているのだ。

まあ、東京では逆に自転車を人にぶつけないように気を使うので、
どっちもどっちということではあるのだが。

結局、東京でも大阪でも自転車を前か後ろの段にのせ、
人にぶつからないように乗ることになる。

これができるのはコンパクトな折りたたみ自転車のメリットかもしれない。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5 イメージ 6 イメージ 7 イメージ 8 イメージ 9
イメージ 10 イメージ 11 イメージ 12

イメージ 12

午後2:00前、博物館をあとにする。

この博物館、前は一面の田んぼ、後ろは六角氏の居城があった観音寺山だ。
近いうちにもう一度来て、観音寺城址を歩いてみたい気もする。

近江八幡まで30〜40分ほど自転車で走るつもりだったが、
ケータイで電車の乗り継ぎを調べてみると、
14:40 山陽本線新快速姫路行きというのがある。

自転車の折りたたみ時間を計算すると、ちょっと危ない。
飛ばせばもっと早く着けるのかもしれないが、
昼食はたこ焼きだけで腹ぺこだし、
山登りで疲れているのでなんとなく不安だ。

こういうところで無理すると事故を起こしかねない。
無理をせず、最寄り駅の安土まで自転車で行き、そこで電車に乗ろうと決める。

安土は各駅停車しか停まらないのが難点だが、
今日中に宝塚の親の家にたどり着けばいいだけなので、
そんなに急ぐ必要もない。

再度検索してみると、安土14:23→-近江八幡14:27の各停がある。
これに間に合えば、近江八幡で14:40の新快速に乗り換えることができる。

間に合っても間に合わなくても、とりあえずゆっくり安土まで走る。

14:07 安土駅着。
意外と近かった。

ゆっくり自転車を折りたたみ、
駅のホームで腹おさえのお菓子をむさぼり食う。

近江八幡で新快速に乗り換え、大津・京都・大坂を経て、尼崎で宝塚線に乗り換え。

新快速は最初のうちガラガラだった。
ちょうどトイレのある車両だったので、自転車の置き場は余裕の広さ。

27インチのロードバイクを置いている人もいた。
前輪だけはずすタイプの輪行袋だ。
トイレの横なら、これでも十分置ける。

トイレがなくても、電車の先頭か最後尾の車両なら置けるのだろう。
折りたたみ自転車のメリットは、車両を選ばずドアの横などに置けることだが、
その分、ロードバイクに比べて重かったり走行性能がいまいちだったりするので、
いずれにせよ一長一短ありということだろうか。

ロードバイク輪行の青年は野洲で降りていった。
輪行に慣れてる人なのだろう。

京都に入る頃から電車は背広姿の人たちで混み始め、
大阪に着く頃には、座っている席から自転車が見えないくらい満員になってしまった。

たまたま自転車の近くに立ってしまった人にはちょっと迷惑だったかもしれない。
というより、「このでかい荷物、なんだろう?」と不気味に思ったかも。

持ち主としてすぐそばに立っているべきなのかもしれないが、
疲れているのでそんな気にもなれない。
輪行袋のベルトを手すりにしっかり巻き付けているので、
倒れる心配もないからまあいいか。

15:57 尼崎から宝塚線に乗り換えたら、今度はまたガラガラだった。

16:16 宝塚着。

あまりに腹が減って、自転車を組み立てる気力もないので、
近くの和食屋で遅めの昼食。

いつものジョギングコースを自転車で走り、
明るいうちに親の家に着いた。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5 イメージ 6 イメージ 7 イメージ 8 イメージ 9
イメージ 10 イメージ 11 イメージ 12 イメージ 13 イメージ 14 イメージ 15 イメージ 16 イメージ 17 イメージ 18
イメージ 19 イメージ 20 イメージ 21 イメージ 22 イメージ 23 イメージ 24 イメージ 25

イメージ 25

安土山を下り、近くの安土城考古博物館に寄った。

ジオラマで当時の安土城・城下町を再現してあるのを見ると、
この城がびわ湖と街道をおさえた絶好の場所にあったことがわかる。

しかし、それ以上に感動したのは、
この博物館のすぐ裏手にあった観音寺城の再現模型だ。

安土山の何倍もあるなだらかで広大な山の斜面を、
何十もの郭(くるわ=小さな砦の建物)が埋め尽くしている。

天守閣がどかんとそびえる城の様式が生まれたのは戦国末期で、
それまでの城と言えば、山を小さな砦で埋め、山頂付近に平屋の屋敷をかまえるのが普通だった。

観音寺城はその規模と難攻不落であること、郭の構成の美しさなどから、
戦国期の山城の完成形とのこと。

しかもこのあたりは信長が安土城と新都市を築く前から、
近江源氏の流れを汲む佐々木・六角氏の本拠で、
近江はもちろん近畿における経済・政治の中心地のひとつだった。

つまり信長は何もないところにいきなり安土を建設したのではなく、
地政学的にも歴史的にも重要な場所で、
自分の拠点を再構築したということなのだろう。

観音寺城は信長が攻め込むまで様々な勢力に攻められたが、一度も落ちたことはなかった。
郭の配置には、敵を防ぐためのありとあらゆる工夫が芸術的にほどこされていた。
だから山城の完成形だったわけだ。

しかし、信長はそういう攻撃と防衛の技術・芸術が意味をなさないレベルで、
大量の兵力を投入し、一気に観音寺城を粉砕してしまったという。

信長の戦法というと、数千で二万の今川勢を破った桶狭間のイメージが強いが、
実はあまり戦上手ではなかったらしい。

桶狭間では今川勢が二万の軍を分散させていたのに対して、
負ければあとがない信長は軍勢を集中させて突撃した。
戦略といえば戦略だが、そんなに高度な戦略というわけでもないし、
別に奇襲作戦だったわけでもない。

桶狭間以外の戦いでは周到な準備をかさね、
圧倒的な数的優位、装備の優位を確保した上で戦っている。

それでも越前・朝倉攻めや大坂の石山本願寺、紀州の雑賀攻めなどでは、
何度も失敗・敗退をくりかえしている。
それでも大勢としては勝ち続けたのだが、
その勝ち方はガリアを征服したローマを思わせるようなものだ。

大規模な鉄砲隊や鉄で装甲した戦艦など、
素人受けする斬新さが信長の魅力だが、
ほとんどの戦いの勝因は、物量作戦や徹底した諜報・謀略によるもののようだ。

そこに信長の新しさがあったということなのかもしれないが。

博物館の近くに、安土城の天主閣を再現した信長の館というのがあった。

最近の研究であきらかになった天主閣を、
構造から内装にいたるまで、できるだけ忠実に再現してあるとのこと。

中に入ることはできないが、外の足場をのぼって、
天主閣の最上階までながめることができる。

博物館は撮影禁止だったが、こちらは特に書いてないので、
パシャパシャ写真を撮った。

しかし、このど派手な内装からは、なんとなく巨大プラモデルみたいな安っぽい印象を受ける。

複製の限界だろうか?
中のふすま絵も、狩野永徳が描いた本物だったら、もっと印象は違っていただろうか?

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5 イメージ 6 イメージ 7 イメージ 8 イメージ 9
イメージ 10 イメージ 11 イメージ 12 イメージ 13 イメージ 14

イメージ 14

天主閣跡から別のルートで山を下る。

こちらにはお寺がある。
元々の本堂は残っていないが、三重塔と楼門があり、
信長時代に甲賀から移築したものとのこと。

比叡山や本願寺をつぶそうとした信長も、
ちゃんと最低限の信心、あるいは宗教への配慮は持っていたわけだ。

さっき登りの途中で、江戸時代に建てたらしい本堂を見かけたが、
今はこの安土山全体が?絶見寺(そうけんじ)というお寺になっているようだ。

それにしても宗教はしぶとい。

安土城は信長の死の直後に焼け、廃墟になったが、
?絶見寺は生き残った。

宗教は政権より長生きする。

全19ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
shu*i*ha*a
shu*i*ha*a
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事