イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

戦国歴史紀行2009

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スコールのような豪雨はまもなく止んだが、
また次のスコールが来るかもしれないので、
とりあえず岐阜城に登るのはやめて街を歩くことにする。

岐阜公演のすぐ近くを長良川が流れていて、
その南側に古い街並みがあるというので行ってみた。

戦国時代に起源を持つという川原町。
斎藤道三が整備した商人の町である云々との説明が案内板に書かれている。

京都の河原町も鴨川沿いにあるが、
もともとは文字通り川原に立った市から生まれたのかもしれない。

山城の商人の出だった斎藤道三は商業を重視したので、
彼の時代に商業の拠点が整備されたということなのだろうか。

ただ、戦国大名はみんな多かれ少なかれ商業に力を入れているから、
商業都市の構築は道三の独創だったわけではない。

平安〜鎌倉期には商業は寺院神社が独占的に管理していたのだが、
室町期あたりになると、その支配から脱して独自に運営される商業都市が生まれた。

堺や桑名などがその例だと言われる。

伊勢や尾張津島のように、もともと神社の管理下で運営されていた商業都市も、
この頃になると、商人たちの力が強くなり、
独自の経済活動を行ったり、戦国大名と結んで勢力拡大をはかるようになった。

相模の戦国大名・北条早雲はもともと伊勢の商人だったといわれているし、
甲斐の武田や駿河の今川も、東国進出に熱心な伊勢商人と組んで、
商業の振興をはかり、国力の強化に役立てたという。

道三の商業振興もこの時代の流れに沿ったものだったのだろう。

そもそも道三自身が商人として京からやってきて、
一代で美濃の国を乗っ取ったわけではなく、
最近の研究によると、彼の父親が京の商人の援助を受けて美濃の国で武将に成り上がり、
その息子の道三が国盗りを完結させたということらしい。

しかし、その道三も晩年は多くの家臣に背かれ、
その家臣たちに支持された息子に殺されてしまう。

これはぼくの推測だが、たぶん商人階級出身の道三が、
強引にのし上がり、美濃を支配者になったことに反感をいだく家臣が少なくなかったのだろう。

息子の義龍は実は道三の実子ではないといわれる。
美濃の守護だった土岐頼芸が道三に与えた側室から生まれた息子なのだが、
彼女は道三に与えられたときすでに身ごもっていた。
つまり義龍は正統な守護の息子なのだ。

だから反道三派の家臣たちにとって、
義龍は恰好のよりどころとなった。

司馬遼太郎の「国盗り物語」では、
道三が義龍を跡取りとして育てながら、後から生まれた実子をかわいがり、
義龍を跡取りの座から降ろそうと考えるようになり、
それを怒った義龍が、自分は道三の実子でないことを知って、
ついに道三と戦うといった物語になっているのだが、
そういう家族間の愛憎みたいなものの裏には、
美濃の豪族たちによる反道三運動があったのだろう。

ぼくは昔から道三が宿敵だった織田信秀(信長の父)と急に和睦し、
戦闘では常に勝っていたはずなのに、
道三の方から人質として娘を嫁がせたのが不思議だったのだが、
おそらく道三はこのときすでに美濃でかなり危ない状態にあったのかもしれない。

とまあ、こんなことを考えながら川原町をぶらついた。

街並みはたぶん戦国時代のものではなく、
江戸時代以降のものなのだろう。

観光地としてあまりメジャーではないせいか、観光客もまばらだ。

古い料亭みたいなものもあるが、
ほとんどの古い建物は観光地の土産物屋にもならず、
静かに閉ざされている。

そのせいか、飛騨高山みたいな観光地よりも、
かえって昔の雰囲気を味わうことができる。

歩いているうちに雨はすっかり上がり、
陽射しも戻ってきた。

川の方から花火のテストらしいドドーンという音がしきりに聞こえてくる。

金華山の上にはきれいに岐阜城が見える。

これなら城に登って平野を見渡すこともできそうだ。

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信長の居館跡からロープウェーが見えた。

これに乗ればあっというまに金華山上の岐阜城まで行けるのだが、
駅兼休憩所兼土産物売場になっている建物に入る頃、
また雲行きが怪しくなってきたので、乗るのをためらう。

さっきみたいに山ごと雲の中に入ってしまうと、
せっかく登っても、何も見えないからだ。

外はまたたちまちスコールのような雨になった。
ドドーンと雷のような音が聞こえる。

夜に長良川の花火大会があるらしいので、
そのテストなのかもしれないが、
なんとなくびくついてしまう。

缶コーヒーを飲み、
壁に飾られている岐阜城・金華山・麓の館を含む全体図を眺めながら時間を稼ぐ。

なるほど、城だけでなく麓の館も、
急斜面を利用した4層構造の壮麗な御殿だったことがわかる。

ルイス・フロイスの「日本史」による館の描写の続き……

……この前廊の外に、庭と称するきわめて新鮮な四つ五つの庭園があり、その完全さは日本においてははなはだ希有なものであります。それらの幾つかには、一パルモの深さの池があり、その底には入念に選ばれた清らかな小石や眼にも眩い白砂があり、その中には泳いでいる各種の美しい魚が多数おりました。また池の中の巌の上に生えている各種の花卉や植物がありました。下の山麓に溜池があって、そこから水が部屋に分流しています。そこに美しい泉があり、他の場所にも、宮殿の用に思いのまま使用できる泉があります。
 二階には婦人部屋があり、その完全さと技巧では、下階のものよりはるかに優れています。部屋には、その周囲を取り囲む前廊があり、市の側も山の側もすべてシナ製の金襴の幕で覆われていて、そこでは小鳥のあらゆる音楽が聞こえ、きわめて新鮮な水が満ちた他の池の中では鳥類のあらゆる美を見ることができます。
 三階は山と同じ高さで、一種の茶室が付いた廊下があります。それは特に精選されたはなはだ静かな場所で、なんら人々の騒音や雑踏を見ることなく、静寂で非常に優雅であります。三、四階の前廊からは全市を展望することができます。

「完訳フロイス日本史2 織田信長篇?鵺 信長とフロイス」松田毅一・川崎桃太訳 中公文庫


「三階は山と同じ高さで」とあるのは、頂上に岐阜城がある金華山のことではなく、
さっき石段を登ったときに見た、三重塔のあったあたりの小山のことだろう。

そこからでも長良川とその手前に広がる市街を一望できた。

信長はこの麓の館と金華山山頂の岐阜城を絶えず往復していたらしい。
「日本史」の別の箇所にはフロイスが訪ねたとき、
信長が城に登っていて不在だったといった記述もある。

3月に訪ねた安土城も急勾配の坂を登った頂上にあったが、
信長は自分の脚で上り下りしていたのだろうか?

権力者だったから、輿に乗って移動することも可能だっただろうが、
戦いに明け暮れていた彼は死ぬまで鍛錬を欠かさなかったというから、
たぶんこんな坂くらいは平気で登れただろう。

ガイドマップによると、城に登るルートは三通りあるらしい。
信長の行動を追体験するために、
できればロープウェーではなく、歩いて登りたいのだが、
この雨で山道は滝みたいになっているだろう。

そんなことを考えながらしばし茫然と絵を眺める。

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まず岐阜城に登りたいのだが、
さっきみたいに山ごと雲に隠れてしまうような豪雨がまた来たら、
せっかく登っても何も見えないだろう。

腹がへったので、茶屋で休みながら空模様を眺める。
茶屋にはなぜかお好み焼きがあったので、それを昼食にする。

休んでいるあいだ、空からは薄日がさしていたのだが、
茶屋を出たらまた雨が降ってきた。

とりあえず傘をさして、山の麓にある織田信長の館跡を歩いてみる。

美濃攻略を果たし、天下統一を目指して、
尾張から美濃へ本拠地を移した信長が住んだ屋敷の跡だ。

宣教師ルイス・フロイスの「日本史」によると、
フロイス一行が都から陳情に訪れたとき、
この館はまだできあがったばかりだった。

「信長は(中略)他のいかなる国王も己れを凌駕することがないように望んでおります。さらに彼は自らの栄華を示すために他のすべてに優ろうと欲しています。それゆえにこそ、彼は多額の金子を費やし、自らの慰安、娯楽としてこの宮殿を建築しようと決意したのであります。宮殿は非常に高いある山の麓にあり、その山頂に彼の主城があります。驚くべき大きさの加工されない石の壁がそれ(麓の館のこと)を取り囲んでいます。第一の内庭には、劇とか公の祝祭を催すための素晴らしい材木でできた劇場ふうの建物があり、その両側には、日本の大きい影を投ずる果樹があります。広い石段を登りますと、ゴアのサバョのそれより大きい広間に入りますが、前廊と歩廊がついていて、そこから市の一部が望まれます。
             (中略)
(宮殿)内の部屋、廊下、前廊、厠の数が多いばかりでなく、はなはだ巧妙に造られ、もはや何もなく終わりであると思われるところに、素晴らしく美しい部屋があり、その後に第二の、また多数の他の注目すべき部屋が見出されます。私たちは、広間の第一の廊下から、すべて絵画と塗金した屏風で飾られた約二十の部屋に入るのであり、人の語るところによれば、それらの幾つかは、他の金属をなんら混用しない純金で縁取られているとのことです。」
(「完訳フロイス日本史2織田信長編?鵺 信長とフロイス」松田毅一・川崎桃太訳 中公文庫)

今はただの石垣しかない廃墟も、こうした記録があるおかげで、当時の有様が生き生きとよみがえってくる。

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雨が小降りになってきたので、
折りたたみ傘をさして岐阜公園へ入る。

まだ小雨がぱらついているのに、
早くも薄日がさしてきた。

雨雲がかかっていた金華山もいつのまにか姿を現し、
頂上に小さく岐阜城の天守閣が見える。

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堀田家住宅をあとにして、
津島祭の準備をしている天王川公園の横を通って、名鉄津島駅へ戻り、
のんびりしたローカル列車にゆられて岐阜に移動。

津島は真夏のかんかん照りだったのに、
岐阜に着いたら空はどんより曇っていた。

バスで岐阜城方面へ移動しているあいだに、
スコールみたいな豪雨がやってきた。

バスを降りてからも、しばらく軒下で雨宿り。
折りたたみ傘は持っているのだが、
そんなものではたちまちずぶ濡れになってしまいそうな雨だ。


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