博物館の外でシューズをバイク用にはきかえ、長距離走行モードで出発。
目的地は雑賀孫市(孫一)が住んだという雑賀城址や、雑賀浦・和歌浦など。
5キロほど幹線道路を南下したら、もう雑賀浦入り口みたいな表示が出た。
雑賀城址は通り過ぎてしまったらしい。
詳しい地図もないので、とりあえずパス。
午前中に雑賀浦・和歌浦の海岸線を走り、
午後は紀三井寺あたりから北上して、
大阪府との県境近くの山にある根来寺まで行きたいので、
あまりぐずぐずはしていられない。
博物館の学芸員の話では、雑賀城に孫市が住んだという史実は確認できないという。
もともと雑賀というのは今の和歌山市一帯のことを言うらしいのだが、
孫市の鈴木一族は雑賀城址がある南部ではなく、
紀ノ川の北側を本拠としていたとのこと。
「そもそも孫市の名前は信長と戦った後の和睦契約書みたいなものに出てくるくらいで、
詳しいことはよくわからないんですよ」と学芸員の方は言っていた。
司馬遼太郎の小説では、孫市は代々雑賀の中核をなす部族の領主で、
海を見下ろす山の上にある雑賀城に住んでいて、
あるときは信長に、あるときは本願寺に金でやとわれ、
数百から数千の鉄砲隊を率いていろんな戦いに参戦して大活躍し、
最後は数万の軍勢を率いて攻めてきた信長軍を縦横無尽の機略で苦しめ、
和睦に持ち込んだということになっているのだが、
わかっているのはそういう戦いがあったということだけで、
孫市がどういう人物で、どんな活躍をしたのかはわからないらしい。
雑賀浦に続くらしい道はかなりの急坂だった。
息を切らしながらのぼっていくと、
右手下に和歌山港と和歌山市が広がっているのが見えた。
この一帯には雑賀五搦(からみ)とよばれる、
雑賀・本郷・社家郷・中郷・南郷の5つの地域があり、
それぞれがまたいくつもの土豪勢力に分かれて協力したり対立したりしながら、
自治をおこなっていた。
宣教師ルイス・フロイスの「日本史」は、彼らのことを「富裕な農夫」と表現している。
紀ノ川流域は農作物が豊富で、農民は豊かだったらしい。
東シナ海から東南アジアで暴れた倭寇に、
九州や高知とならんでこの雑賀からも参加していたというから、
漁業や海上交易、海賊業をおこなう海の民もいたのだろう。
さらに和歌山港は水深が深く、大型船舶が入港できたので、交易でも栄えたと言われる。
特に堺商人が高い関税をかけてくる瀬戸内海の海賊を嫌い、
和歌山・高知・九州の航路で交易を行うようになると、
堺の貿易を中継する港として栄えた。
雑賀衆が数千挺の鉄砲を持つ傭兵部隊を組織できたのは、
交易による富と、製鉄業の中心地・堺との交流があったからだと思われる。
地方の部族が統一した組織を持たず、
ゆるやかに連携しながら自治をおこない、
当時の先進兵器だった鉄砲をいち早く大量に持ち、
畿内各地で暴れ回ることができたところに、
戦国時代の面白さ、痛快さがある。
ぼくが江戸時代より戦国時代に惹かれるのは、
そういう自由さ、痛快さが感じられるからなのだろう。
お互い過剰に気を使いながらおとなしく生きることを強いられる日本の社会で、
そうした自由な人々の物語はほとんどおとぎ話のように感じられる。
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