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アーケード街から少し海側へ行くと、大きな通りに出た。
緑色の路面電車が走っている。
実は5歳から7歳まで3年間、堺の浜寺という場所に住んだことがあるのだが、
この路面電車がそのあたりまで来ていて、
家のすぐ近くにたしか「浜寺公園駅前」という駅があった。
南海本線も並行して走っていて、
少し行ったところに「浜寺」という駅があったから、
「どうして駅をいくつも造るんだろう」と子供心に不思議に思ったものだ。
今から考えると、南海本線は長距離鉄道で駅の間隔が長いのに対して、
路面電車はたくさん駅があり、バスみたいな感覚で気軽に利用できたのだろう。
全国的には車やバスに取って代わられていった路面電車だが、
排気ガス・大気汚染の観点からすると、なかなか優れた乗り物だ。
ちなみにぼくが堺で暮らした昭和33年から38年は、
日本が戦後の復興期から高度成長期へと移っていく過渡期だった。
浜寺というのは昔から天女の羽衣伝説がある風光明媚な場所で、
白い砂浜と松の大木が並ぶ公園が美しかった。
夏には海辺で海水浴ができたし、
明け方海に行くと、透明な水の中に小魚がたくさん泳いでいるのが見えたものだ。
しかし、翌年から石油コンビナートの工事が始まり、
海岸は封鎖されて泳げなくなってしまった。
そのかわりに当時としては画期的な巨大プールができて、
浜寺の新しい名物になったのだが、
それでも海岸線が封鎖されてしまった息苦しさは消えなかった。
父の務めの関係で、東京(文京区湯島」→大阪(堺市浜寺)→京都(右京区)→東京(世田谷区成城)→兵庫(西宮市夙川→宝塚市)と、子供の頃に何度も引っ越しをした。
ほかの場所はなつかしくてその後何度か訪ねたのだが、
堺市浜寺だけは一度も行っていない。
たぶんあの息苦しさ、喪失感のせいだろう。
そこに住んでいたあいだも、石油コンビナートにふさがれてしまった海岸を見た記憶はない。
そんなものは見たくもなかったからだろう。
車や石油化学製品に頼った生活をしているかぎり、
間接的に石油コンビナートのお世話になっているのだが、
それでも石油コンビナートはできれば見たくない。
それはわがままだろうか?
肉料理は好きでも豚や牛が屠殺されるところは見たくないのと、それはどこか似ている。
誰でも知っていて、できれば目をそらしていたい、日常的なスキャンダルだからだ。
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