イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

戦国歴史紀行2009

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

アーケード街から少し海側へ行くと、大きな通りに出た。
緑色の路面電車が走っている。

実は5歳から7歳まで3年間、堺の浜寺という場所に住んだことがあるのだが、
この路面電車がそのあたりまで来ていて、
家のすぐ近くにたしか「浜寺公園駅前」という駅があった。

南海本線も並行して走っていて、
少し行ったところに「浜寺」という駅があったから、
「どうして駅をいくつも造るんだろう」と子供心に不思議に思ったものだ。

今から考えると、南海本線は長距離鉄道で駅の間隔が長いのに対して、
路面電車はたくさん駅があり、バスみたいな感覚で気軽に利用できたのだろう。

全国的には車やバスに取って代わられていった路面電車だが、
排気ガス・大気汚染の観点からすると、なかなか優れた乗り物だ。

ちなみにぼくが堺で暮らした昭和33年から38年は、
日本が戦後の復興期から高度成長期へと移っていく過渡期だった。

浜寺というのは昔から天女の羽衣伝説がある風光明媚な場所で、
白い砂浜と松の大木が並ぶ公園が美しかった。

夏には海辺で海水浴ができたし、
明け方海に行くと、透明な水の中に小魚がたくさん泳いでいるのが見えたものだ。

しかし、翌年から石油コンビナートの工事が始まり、
海岸は封鎖されて泳げなくなってしまった。
そのかわりに当時としては画期的な巨大プールができて、
浜寺の新しい名物になったのだが、
それでも海岸線が封鎖されてしまった息苦しさは消えなかった。

父の務めの関係で、東京(文京区湯島」→大阪(堺市浜寺)→京都(右京区)→東京(世田谷区成城)→兵庫(西宮市夙川→宝塚市)と、子供の頃に何度も引っ越しをした。

ほかの場所はなつかしくてその後何度か訪ねたのだが、
堺市浜寺だけは一度も行っていない。

たぶんあの息苦しさ、喪失感のせいだろう。

そこに住んでいたあいだも、石油コンビナートにふさがれてしまった海岸を見た記憶はない。
そんなものは見たくもなかったからだろう。

車や石油化学製品に頼った生活をしているかぎり、
間接的に石油コンビナートのお世話になっているのだが、
それでも石油コンビナートはできれば見たくない。

それはわがままだろうか?

肉料理は好きでも豚や牛が屠殺されるところは見たくないのと、それはどこか似ている。

誰でも知っていて、できれば目をそらしていたい、日常的なスキャンダルだからだ。

イメージ 1 イメージ 2

イメージ 2

時刻は12:40。
さっきから腹が減ってしようがないので、アーケード街の洋食店に入る。

昭和30年代からあるような古めかしい洋食店だ。
静かな店内。
ウエイトレスの飾らない接客。

中小企業の経営者や地元金融機関の職員、
近所の女性事務員、保険の外務員のおばさんたちなどが、
のどかに話をしながら食事している。

ハンバーグ・ミックスフライ定食が850円。
安いわりになかなかのボリュームとうまさ。

すっかり気持がなごんだところで店を出て、
折りたたみ自転車の写真を撮っていたら、
ウエイトレスの女の子が出てきて、サングラスを渡してくれた。
気持がなごみすぎて、テーブルに忘れてしまったらしい。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3

イメージ 3

12:30、武野紹鴎、千利休の旧宅跡を探しているうちに、静かな商店街に出た。

与謝野晶子の写真と短歌をデザインした飾りが並んでいるのを見て、
堺は明治時代以降も商業と文化の街だったことを思い出した。

たしか晶子は堺の裕福な商人の家に生まれ、歌人として世に出た。
すでに歌人として名声を博していた与謝野鉄幹に認められたのがきっかけだった。

鉄幹は女学校で教師をしていた若い頃、生徒に手を出して妊娠させたり、
スキャンダルの多い人だった。
晶子と知り合った頃はすでに結婚していたが、
晶子と不倫に走ってまたまた大問題を起こした。

しかし、前妻と離婚して晶子と結婚してからは、
六男六女をもうけているから、良き夫、良き父になったようだ。

ただ、詩人・歌人としては結婚してからだめになったとされている。
極度のスランプに陥り、ヨーロッパ旅行などして自分を刺激してみたものの、
そこから生まれた訳詞という新しい試みも失敗作とされた。

一方、晶子は結婚してからどんどん力作を発表し、
明治を代表する歌人・詩人に成長していった。

たぶん、結婚は晶子にとって生命を輝かせる理想の環境をもたらしたのだろう。
しかし鉄幹にとって、結婚は牢獄だったのかも知れない。

若い頃の奔放な女性関係と創作エネルギーの爆発は、無関係ではなかったように思えるからだ。

晶子との結婚によって、そのエネルギーが萎縮してしまったのか、
それとも、彼のエネルギー自体が衰弱してきたために、
晶子との結婚に吸い寄せられてしまったのかはわからない。

ただ、男と女の関係はむずかしいとつくづく思う。
男女関係・結婚生活と芸術創造の関係も。

与謝野晶子の写真を見ると、女優の原節子や夏目雅子のような美人だったことがわかる。
こういう美人が芸術的な才能も持っていて、
眼を輝かせて近づいてきたら、
どんな男でも拒絶するのはむずかしいだろう。

だから鉄幹は、詩人・歌人としてだめになっても、
晶子との結婚を後悔はしなかっただろう。

ぼくはどちらの作品もたいして知っているわけではないのだが、
1970年代の若い頃に少しかじった記憶をたどってみると、
鉄幹の作品がものすごく古臭く感じられたのに対して、
晶子の作品はかなり先進的な印象を受けた。

昭和になっても、女性の観点から性を題材にするだけで新鮮に見えるくらい、
社会の性に対する価値観は堅苦しく、アンフェアだったということでもあるのだが、
晶子が明治時代に女性の官能を歌った先進性、新鮮さは女流作家の比ではないという気がする。

日露戦争で日本軍が無益な戦死者を出し続けていたとき、
晶子は息子を戦場に送り出した母の立場から反戦詩「君死にたまふことなかれ」を書いた。
息子の生還を願い、戦場で人を殺す理不尽を歌う詩は、
忠君愛国、国のために死ぬことを美化していた当時の日本で、かなり非難を浴びたらしい。

その後も「青鞜」のメンバーとして女性解放運動に加わったり、
仕事を放りだして夫とヨーロッパ旅行をしたり、
晶子は時代の先端を走りつづけた。

別に、彼女はずっと堺に住んでいたわけではないらしいのだが、
それでもこうして堺で彼女の写真を見ると、
彼女の先進性と、堺という町の先進性を重ね合わせてしまう。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5 イメージ 6 イメージ 7 イメージ 8 イメージ 9
イメージ 10 イメージ 11

イメージ 11

仁徳天皇陵や博物館のある百舌鳥丘陵から堺の旧市街へは、
なだらかな下り坂になっている。
自転車をほとんどこがなくても、すべるように走れた。

大阪から和歌山へ下る高速道路と、そのわきの南北に細長い公園が、
かつての濠の跡らしい。

室町時代の港町・堺は、南北3km・東西1kmの細長い水上都市で、
南東北の三方を幅広い濠で囲われていた。

西側は海に面した岸壁。
海はかなり遠浅だったらしく、
大型船は沖に停泊し、小さなはしけが荷物や人を運んだ。

水上輸送に便利なように、町には縦横に何本も運河が走っていた。

しかし、今の市街にその面影はまったくない。
濠や運河は埋め立てられ、商人たちの屋敷や蔵も消えてしまった。

商人たちの自治都市だった堺は、信長によって武家政権の支配下に入り、
秀吉の時代には大坂へ移転を強いられ、
商業都市としての機能も新興都市・大坂へ移っていった。

今も残っている古い建物といえばお寺ばかり。

最初にのぞいた大安寺には、
南蛮貿易に活躍し、鎖国令でルソン(フィリピン)に移住し、
たルソン助左右衛門の屋敷を移築したと言われる建物が残っている。

寺自体、一般公開してないようなので、門の外からのぞいただけ。

ちらっと見た感じでは、京都なんかによくある、お寺の建物にしか見えないが、
中はどうなっているんだろう?

堺の武器商人であり、茶人として信長に仕えた今井宗久の屋敷跡をさがしたが、見あたらない。
今残っているのは、その息子が江戸時代の初期に住んだらしい屋敷の跡だ。
しかも小さな石碑が立っているだけ。

ぼくの小説で主人公の一人になるはずの津田宗及や、
今井宗久の舅で、わび茶の改革者、宗久や千利休の茶の師匠だった、
武野紹鴎の屋敷跡は見つからなかった。

まあ、見つかっても、ただ同じような石碑が立っているだけだろうけど。

町のあちこちに残っているお寺を見ると、
宗教のしぶとい生命力を改めて実感する。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3

イメージ 3

仁徳天皇陵を参拝して、向かいの公園にある博物館に行くと、
なんと休館日だった。

考えてみると、月曜だから公共施設が休みなのはよくあることだ。
うかつだったなあ。

戦国時代の堺の街並みや人の服装なんかを見てみたかったのだが。

まあ、戦国時代の風俗は子供の頃からドラマや映画で見ているので、
今さら見なくてもいいかなという気もする。

博物館の近くには、千利休像や明治のお金持ちが建てた茶室付きの屋敷。
堺は刀鍛冶の町であり、中国貿易・南蛮貿易の町であり、
茶道の町でもあった。

応仁の乱で京が荒廃してしまい、
室町幕府の機能が一時期この堺に移されたこともあったほど、
この港町は戦国時代に繁栄した都市だった。

文化が京から流れ込み、商人たちの富と結びつき、
茶道は堺で洗練されていった。


.
shu*i*ha*a
shu*i*ha*a
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事