イージーライターのつぶやき

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小説「ワイルドボーイズ」

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 今夜も猿は岡崎のある屋敷にこっそりと出向く。
 松平広忠の重臣の館だ。

 そこには評判の猿に身体を嬲り回されて昇天したいという淫蕩な奥方が待っている。話は奥女中を通じて昼間のうちについているから、裏口から忍び込むのに苦労はしない。女中は猿の継父・筑阿弥が数年かけてもぐり込ませた間者だ。世間では猿のような忍びがどんな屋敷でも夜陰に紛れて忍び込む術を心得ていると思い込んでいる連中がいるが、本当のところ、よほどの修練を積んだ者でなければ、警護を固めた武将の館に忍び込むのは容易ではない。猿のような商人兼業の間者が忍び込めるのはこんなふうに内通者がいる場合に限られるといっても過言ではない。

 奥方は屋敷の奥の間で猿を待ちわびていた。庭から通されると、薄暗い部屋の中で甘い乳の香りがする特殊な香を焚き、眼を潤ませているのが見えた。

「あがって。早うあがって」と、かすれた声で猿を呼ぶ。
 猿は音もなく奥方に近づき、
「もう濡らしてるのか、このクソ婆々あ」と耳元で囁きながら、奥方の髪を鷲づかみにし、帯を解く。
「ああ、そんなに乱暴にしないで」と奥方は言いながら、淫らな流し目で猿を見ようとする。
「おのれみたいな淫売は後ろから尻の穴を犯されながら首を切り落とされて殺されるのを夢見ているんじゃろうが」といった言葉を囁きながら、猿は奥方を陶酔へと導いていく。

 あとは絶頂の手前まで導いてはじらしたりといった手管で朦朧とした意識を操りながら、適当に質問をぶつけていけば、たいていのことは聞き出せる。ただ、興奮の度合いがある一点を超えると、女はとんでもない声で叫び出すので、手加減が難しい。

 この夜も、今川が松平竹千代を織田方へ売り渡した戸田康光を滅ぼすために、軍勢を田原へ派遣しようとしていること、岡崎の松平広忠も援軍を出すことなどを聞き出すことができた。まあ、ここ1〜2年の経緯を見ていれば予想されたことなので、たいした情報とは言えないが。

 最後に女の口をふさぎながらいかせると、
猿は「ああ気持ちよかった。おい、クソ婆々あ、また来てやるから楽しみに待っておれよ」と大人の口ぶりで吐き捨てるように言い、そそくさと館を立ち去った。

「信秀様に竹千代君を奪われても動じなかった広忠は今川義元の信頼をさらに厚くしたようです。駿河でも軍備を整える動きがあるようですから、今川・松平の尾張侵攻は遠くないでしょう」
「どうして駿河のことまでわかる?」
「秘密の情報源がありますので」
 猿はにやにや笑ったが、すぐに真顔になって、
「いつものあれのことですが」と弁解した。
 御師たちの知らない情報源があるように受け取られると、場合によっては反間(二重スパイ)の疑いをかけられかねない。

「いつものあれ」とは色仕掛けのことだ。顔が醜い猿を抱こうとする男はいないが、女にはかなり気に入られている。特に豪商の妻や妾、武将の側室や御殿女中のような身分の高い女たちだ。まだ十歳にもならない頃から猿はそういう女たちに呼び出され、相手をさせられてきた。醜い男に体中を舐め回されたり、ふたつの穴を同時に責められるのが好きな女というのがいるのだ。相手が身分の卑しい醜い妖怪のような男だからこそ興奮するらしい。蔑みの中にはすでに欲情が混じっている。ときには穢らわしい者に屈服したいという衝動すら。

 猿は子供の頃からそういう人の心を読み取り、操るのが得意だった。

 手練手管は母親が営む怪しげな商売をのぞき見し、巫女や遊女たち、姉や従姉妹たちから学んだ。生まれつき人を楽しませることに長けているので、女たちにいちいち求められなくても、何をしたら欲情し、何をしたら昇天するかわかるのだ。猿にとって女たちを喜ばせ、意識を失わせるところまで追い込むことにまさる楽しみはない。

 事が終わったあと、意識が朦朧とした女たちからさりげなく知りたい情報を引き出すのは簡単だ。夢から覚めたあとでも、猿がどんな情報を引き出したか気づかれることはない。

 女たちから引き出せるのは、武将たちがあたりを憚りながら囁き合うような軍略・政略の話ではない。もっと日常のささやかな事実の断片だ。無数の断片そのむこうに、松平や今川の重臣たちですらまだ意識の端にのぼらせていないような、密かな戦略の気配、謀略の兆しが隠れているのだ。

 猿の頭脳の中には東海から東国まで、様々な国の軍勢の数や地域分布、家臣たちの細かな諍いの歴史はもちろん、どの宿、どの村、どの町の寺神がどんな神仏を祀り、どんな武将たちが信仰し、どんな寄進をしているか、彼らがどんな血族を持ち、血縁・地縁・主従関係・信仰などでおたがいどのようにつながり、どこに亀裂の兆しがあるかといったことがすべて入っている。どんな細かな情報も、その緻密な曼荼羅の中に位置づけられるとたちまち様々な意味を持つ。

 間者を兼ねて諸国を巡る行商人や芸能者たちは、子供の頃から国々の主要な宿場や領主について一通りの知識は頭に叩き込まれるのだが、それを猿のように自在に操ることができる者はいない。津島御師たちの中にすらいない。

 津島天王社の社家の息子たちであり、津島の豪商、織田家に仕える武家の息子たちでもある御師たちは、祈祷や口寄せといった技、あるいは幻覚作用のある香や薬を使って相手を幻惑し、たぶらかしたり操ったりする術を心得ているし、武芸にも長けている。しかし猿にはそんな技はない。必要ともしていない。騙さなくても相手を説得し、動かすだけの根拠を持っているからだ。

 夕暮れどきになると、町外れにある牛頭天王社の宿坊に戻った。そこには農機具や装飾品、化粧品などいろんなものを売る商人たちが泊まる。傀儡(くぐつ)、猿回し、陰陽師(おんみょうじ)、津島御師(おし)、巫女、白拍子といった連中も泊まる。

 彼らと飯を食い、酒を飲みながら四方山話をするのが猿にとって何よりの楽しみだ。「どこそこの嫁はどこそこの男と不義を働いている」とか、「どこそこの武将はどこそこの家から側室を迎えるらしい」といった他愛もない噂話の中に、ときどき「何々城騎馬何騎、弓何人、槍何人、足軽何人」といった数字がさりげなくはさまるのだが、数字以外は彼ら独特の隠語を使い、しかも要所要所は唇の動きだけで言葉を伝え合うので、部外者がそばにいても、なんの話をしているのかはわからない。彼ら自身もそれがどういう意味を持つのか、本当のところはわからない。立ち寄り先で見聞きした、あまりにも断片的な話だからだ。

 それらをつなぎあわせて意味のある情報にまとめるのは津島御師たちの仕事だ。彼らは牛頭天王社の社家の子弟で、表面上は東海を中心に各地を回って加持祈祷や占いを行ないながら天王信仰を広めるのが仕事だが、その裏で各地の動きをさぐり、津島の頭領たちに報告するという任務を負っている。その情報は最終的に織田弾正忠信秀のところへ行くのだ。

 行商人や傀儡、陰陽師、巫女といった連中にとって、彼らが集めた話の断片がどうまとめられ、どこに伝わり、どう使われるのかは、一切関わりのないことだし関心もない。行く先々で仕入れた話を伝えればそれでおわり。あとはきれいに忘れてしまう。忘れるのも彼らの仕事だ。

 しかし猿だけはちがう。松平の重臣たちが何を考え、何を迷っているか、領主の松平広忠にとってどんな選択肢があり、どの条件がどう変わればどう判断を変えるかといったことが透けて見える。御師たちが集まってくる膨大な情報を間違った角度から解釈しているなと感じたら、さりげなく修正したりもする。それはほとんど御師たち自身も気づかないほどさりげなく行われる。12歳の子供の言うことなので、最初のうちは御師たちの誰も本気にしなかったのだが、いつもあとから猿の正しいことが証明されるので、
「あいつは特別な能力を持っている」と言われるようになった。

 猿の名前が日吉丸だったので、日枝山王神社の使いの猿などと冗談半分に悪口を言う御師もいた。猿の母は元々日枝山王社の巫女から蓄財してすあいと呼ばれる商売の中継ぎ業を始め、長者に成り上がったという噂があるからだ。天に住まう素戔嗚尊を祀る天王社の御師としては、その前から倭に住んでいた山王社に遅れをとるのは自尊心が許さない。しかし、猿もそのへんはよく心得ていて、日枝神社のことなどおくびにも出さず、津島天王社と織田弾正忠家のことを第一に考えて行動しているので、今では御師たちもかなり猿を信頼している。



 天文16年(1547年)11月。
 三河・岡崎。

 小さな千駄櫃を背負い、身の丈よりはるかに長い傘を杖代わりに突きながら、少年が一人、武士や商人、買い出しに出てきた百姓などでにぎわう岡崎城下の通りを歩いている。浅黒く皺だらけの猿みたいな顔をしているので、仲間や得意先から「猿」と呼ばれているこの少年、立ち寄り先で世間話をし、針や小間物を売る様子はすっかり一人前の商人だ。

 近年流行りだした木綿はこの三河で栽培され、織られたものが多い。それまで明から輸入の高級品だった木綿だが、麻よりも汗をよく吸い、着心地がいいので、侍たちの下着に、職人・商人・百姓たちの普段着にと幅広く使われ出した。おかげでこのあたりの連中は皆裕福で、針や小間物もよく売れる。

 しかし、最近の売れ方は異常だ、と猿は感じている。安城で仕入れた商品がもう売り切れてしまった。客は武将や土豪の屋敷、そこに着物をおさめている商店など。

 戦が近いのだ。

 岡崎の仕入れ先に立ち寄ると、どこも品薄で仕入れ値をつり上げられてしまう。そこを「不景気になっても買ってやるから」「浜松でこないだ見つけたとびっきりの別嬪を抱かせてやる」とかなんとか言いながら、仕入れをする。

 美少年なら体と引き換えにという手もあるのだが、この猿顔ではそうもいかない。だから小さい頃から弁舌と知恵を磨いてきた。おかげでどこの問屋でも、最初は売りしぶっていても、結局はそこそこの値段で売ってくれる。

 どうしても物が揃わないときは、鍛冶師の工房へ行く。猿の血筋には鍛冶職人が多い。職人たちは遠い師弟関係や、牛頭天王社などの座や鉄の神様である素戔嗚尊の信仰でつながっているから、困っているときは助けてくれるのだ。

 こうしてあちこちの問屋と工房を回り、物を仕入れてはまた得意先へ売り歩く。銭がたまってきたら、馴染みの土倉か問丸に頼んで、商売の本拠地である尾張・中村へ為替で送金する。そこには猿の父・筑阿弥がいて、数百人の商人たちを尾張・美濃・伊勢・三河・遠江・駿河へ送り出している。

 父と言っても筑阿弥は実の親ではない。母が再婚した相手だ。津島を拠点に商売をしている母にとって、筑阿弥は長年の商売仲間だった。実の父がどんな男だったのかは猿自身もよく知らない。

 那古野城を駿河の今川の縁戚が支配していた頃、城に仕えていた侍だったと母は言っていたが、あやしいものだと思っている。酔っ払うと母は「毎日たくさんの男に抱かれていたから、誰が父親なのか自分でもわからん」と言ったりもする。だからふたつ年上の姉と猿の父親が同じなのかどうかすらわからない。

津島牛頭天王社巫女による織田信長の口寄せ

 私が悪童たちと津島に足繁く通ったのは、彼らの多くが津島者だったこともあるが、第一はこの町が尾張一の都会で面白いものがたくさんあったからだ。中でも私のお気に入りはすあいのなかが経営する赤屋敷だった。

 すあいとは人の間に立って商売の資金や場所、販売先などを世話する商売人のことだが、なぜか女が多かった。寺社が商人や職人の座を統括していた当時、加持祈祷や口寄せで神々のよりしろの役目を果たし、神仏と特別な関係を結んでいると考えられていた巫女のような職業に、独特の地位を占める女たちがいたが、そういう女たちは長じてすあいになることが多かったのだ。

 なかは元々津島ではなく、尾張中村の日枝神社の巫女だったが、私の祖父・信定に見いだされて津島牛頭天王社と結んで多くの巫女・傀儡・遊女・白拍子を抱えるようになった。祖父の愛人だったとも言われるが、そのあたりのことはわからない。私自身なかに何度も聞いてみたが、いつも笑ってはぐらかされたからだ。

 なかは巫女・傀儡・遊女・白拍子を本格的に組織して三河・駿河・相模・美濃・伊勢・近江で商売と諜報活動を行なった最初の女だった。元々彼女自身、巫女として様々な客のために口寄せや託宣を行ない、身体を売っていたから、噂どおり祖父や津島の社家や豪商たちと関係を持っていたとしても何の不思議もないのだが、彼らにとってなかの存在価値はなんといってもその諜報機関の力だったはずだ。

 彼女は何度か夫を持っているが、それは商売と諜報活動のためだった。
 当時彼女のような女は自分の意志で結婚・離婚を繰り返すことができたので、やり手の彼女は女の強みを最大限に利用したのだろう。

 最後の夫になった中村の筑阿弥は針や日用品の小さな刃物を専門とする鍛冶や商人を束ねる頭領だった。鍛冶職人や針商人は自由に国を渡り歩くことが許されていたから、筑阿弥もなかに劣らず強力な諜報組織を作り上げていた。

 彼らの結婚に恋愛感情があったのかどうかは疑問だ。子供はできなかったが、それが打算による結婚のせいなのか、2人ともかなりの歳だったからなのかは不明だが、とくかく彼らの結婚によって、尾張はさらに強力な諜報機関を持つことになった。

 なかには何人かの娘と息子がいたが、娘は自分の下で巫女として育て、息子は筑阿弥に託して針商人兼間者にした。のちに木下藤吉郎・羽柴秀吉になる日吉丸も息子の一人だった。

 子供の頃の藤吉郎は針売りとして三河から駿河を渡り歩いていたが、彼を含む筑阿弥の諜報・工作組織は三河豪族の切り崩しや、駿河の今川の動向把握にどれだけ役立ったかわからない。

 私の死後、藤吉郎が太閤と呼ばれ、なかは大政所と呼ばれるようになるのだが、彼が書かせた伝記になかは貧しい百姓の後家で、子供たちを苦労しながら育てたという話が書かれているのを発見したとき、私は笑いが止まらなかった。

 たしかになかは普通の女の何百倍も苦労したのだが、それは無力な女の苦労とはまるで違っていた。彼女はいつも明るく妖艶で知略に長けていた。自分が築き上げた組織を使って、あるいは男たちを操って邪魔者を消したことも一度や二度ではなかったし、欲しいものは必ず手に入れた。しかし、それはまわりの強欲な連中にそれなりのものを提供しながらだったのだ。

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