イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

小説「ワイルドボーイズ」

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 その赤屋敷に、派手ないでたちの少年たちがやってきた。
 腰まで伸ばした髪を縄で結び、牛飼い童子のような恰好をしているのもいれば、女物の衣装をはだけ、腰に朱色の鞘の太刀をさしているのもいる。どこかで狩りをしてきたのだろう。棒に猪や狐、鷺や雉を下げている。

「那古野の悪童どもだがや」と通行人は囁き合った。

 初めて見るよそ者たちは、噂の信長を見て愉快そうに笑う。女装し、仲間の方にしなだれかかったまま歩く那古野の少年城主は、尾張だけでなく他国でも噂の的だ。

 少年たちは慣れた様子で赤屋敷に入っていく。

「なか、土産を持ってきたで」
 少年たちは土間に鳥獣を放りだし、どかどかと上がり込む。主人のなかは奥の座敷で禿(かむろ)頭をした子供に腰を揉ませていた。それを見た信長は駆け寄って子供を押しのけ、なかの腰をもみはじめた。

「按摩ならわしの方がうまいで」
 なかは信長に揉まれたとたん、弾かれたように起き上がり、笑い転げた。
「いかん、いかん。若は下手くそや」
 信長は幼児のようになかを追い回し、膝の上に上がり込んで甘えた。

「なか、腹が減った。なんぞ食わせて」となかの胸に顔をうずめて信長が言った。
「今こしらえてるから辛抱し」信長の頭を抱きかかえるようにしてなかが言った。

 すぐに菓子や握り飯が運ばれてきた。少年たちはそれをむさぼり食った。竹千代が握り飯をひとつ取って信長のところに持ってきた。

「すまんね」と信長は言い、握り飯を受け取る。「あ、そうそう。なかに引き合わせとくね。この子、松平竹千代。婆娑羅な恰好してるけど、三河の若君やで」

「なかと申します。よろしゅうご贔屓に」となかは挨拶した。「若い頃、おじいさまにお世話になったことがありますんですのよ」

 「おじいさま」とはたぶん松平清康のことだろう。なかが「お世話になった」と言いながら艶っぽく笑ったときは、口寄せのついでに交わったことがあるという意味だ。

 やがて料理が運ばれ、宴会が始まった。体の大きな少年の中には酒を飲むやつもいる。白拍子が笛や鼓に合わせて踊り、巫女たちが酌をする。信長は酒を飲まず、白拍子と一緒に舞い、流行り歌を歌い、疲れるとなかの膝に戻った。

 やがて少年たちは女たちとそれぞれの部屋に消えていった。信長は竹千代を連れてなかの寝室に行き、寝床に潜り込んだ。いつもは野山で狩りの合間に男同士で乳繰り合う少年たちにとって、津島に来る日は女と寝る特別な日だ。小さいうちから赤屋敷の女たちの手ほどきを受けて、すっかり女好きになり、来るたびに相手を変えたり、仲間とお気に入りを取り合う少年もいるが、信長は小さな頃からなかにしがみついている。

 津島で一番の美女をあてがってみたこともあるが、信長はまったく興味を示さなかった。母のようななかの乳房を吸うだけで、一晩過ごすことすらあった。この日も小さな竹千代をあいだにはさんで横たわったなかの胸を揉みながら、あれこれ話をするだけで信長はうれしそうだった。

「こんなふうに一生暮らせたらわしはなんもいらんのやけどなあ」
「何をおっしゃいます。もうじき三河・駿河と大戦が始まりますで」
「尾張が負けるじゃろ?」
「若殿がそんなことを言うたらいけません」
「若殿やからわかるんじゃ」
「もう元服も初陣も済ませてすっかり一人前ですのに」
「わしはうつけやから戦には出さんらしいで」
「殿は若がどんだけの技量をお持ちかわかっておられます」
「武家気取りの阿呆どもがわかってくれん」
「わかってもろては困るんでしょうが」
「武家の真似をしてたら尾張は負ける」
「そやから婆娑羅の恰好してかぶいておられる?」
「わしの頭の中に靄がかかっていて、そのむこうに何があるのか見たいならかぶけと誰かが囁きよるんじゃ」
「悪党を味方につけたら武家に勝てますか?」
「自分が悪党やと認めなければ何も始まらん」
「今度の大戦に間に合わなくても?」
「竹千代、尾張が負けてわしが三河に捕らわれたら、守ってくれるか?」
 竹千代はなかの胸に顔をうずめて寝息を立てていたが、不意に眼を開けて、
「何があってもおまえを守ってやる」と言い、また眠りに落ちた。

すあい

 天王川をはさんだ広大な地域に広がる津島には、東西南北から人や物が流れ込み、流れ出ていく。川縁には船着き場が並び、人足たちが荷の上げ下ろしに忙しい。一里ほど下れば美濃との国境を兼ねる木曽川と合流する。そこから川を遡れば信濃へ通じ、川を下ればすぐ伊勢湾に出る。

 京・祗園社と同じ天竺渡来の疫病神・牛頭天王と、疫病と鉄の神・素戔嗚尊を祀る津島天王社が建立されたのは、源平合戦のはるか前だ。当初は小さな社だったが、商都・津島湊の発展と供に勢力を拡大し、東海を中心とした各地に1300社もの天王社を建て、商品・技術の流通網を築き上げた。

 美濃の斉藤利政に仕える堀田道空も、この津島の出だ。本家は今も津島天王社のすぐ近くに屋敷を構えている。

 そんな津島の町中に赤い土壁に囲まれた奇妙な屋敷があった。客は老若男女を問わず、一日中引きも切らない。
 家族に病人を抱えるやつ、金に困っているやつ、新しい商売をやりたいやつ、恋に悩む男女。どんな悩みにも答えが見つかると評判の赤屋敷だ。

 店はなかという女主人が切り回している。元々は那古野日枝神社の巫女だという。あの世から死者の魂を呼び寄せて語らせる口寄せで評判をとり、尾張だけでなく、美濃・三河・伊勢・近江からも客がやってきた。そのうち津島に移住し、天王社の巫女として口寄せだけでなく、占いや加持祈祷による病の治療などにも才能を発揮するようになった。そして30を過ぎる頃には津島でも目立つくらいの分限者になっていた。

「あいつの本業は巫女に名を借りた遊女だ」と陰口をたたく連中もいた。

 しかし、今ではそんな声も聞こえない。なかが津島社家と親密だからかもしれない。噂によるとなかは前の弾正忠信定の愛妾の1人で、現在の織田弾正忠信秀とも関わりが深いという。彼女が弾正忠の諜報機関のひとつを束ねているからだ。若い頃のなかは津島御師たちと組んで諸国を回り、諜報・謀略に活躍したという。今の津島の支配層はかつての御師たちだ。下手なことを言うと密かに報復されるという噂すらある。

 現在、なかが抱える巫女、白拍子は数百人とも言われ、尾張・美濃・伊勢・三河・遠江・駿河・信濃・近江の天王社を拠点に口寄せ、祈祷、占い、歌舞芸能を行ない、様々な情報を、津島社家に、そして織田家にもたらしている。

 しかも、なかの亭主・中村の筑阿弥は尾張でも聞こえた連雀商人の元締めのひとりだ。筑阿弥の動かす組織は織田弾正忠家に直結した諜報機関でもある。

 なかは父親のよくわからない子を男女とりまぜて数人産んだと言われている。父親の中には名家の当主もいるらしいが、なかは誰の側室になることもなかったし、子供を認知させることもなかった。子供たちのうち、女はかつての自分のように巫女として育て、男は筑阿弥に託して針売りをさせている。

津島牛頭天王社巫女による織田信長の口寄せ

 私は父の後をつけ回すのが好きだった。

 といっても、子供が可愛がってもらいたくて父親のあとを追うような追い方ではない。戦に出かける父を気づかれないようにこっそり追うのだ。

 武装している軍をこっそり追うのは楽ではない。

 兵糧を運ぶ部隊や溝を掘ったり柵を立てたりする工作部隊もいるし、周囲の状況を探索する斥候や細作たちが周囲に展開している。こちらもそれなりに武装した悪童たちを引き連れていたし、可能なときには馬を手配していたから、あるいは細作たちに気づかれたときもあったかもしれない。だとすれば我々が何者か知っていて、見逃してくれたのだろう。
 とにかく戦のあとに父から、あるいは平手政秀を通じて叱られたことは一度もない。

 私たち悪童は子供どうしで敵味方に分かれて石を投げ合う礫合戦のような遊びに飽きていた。馬を駆り、弓を射り、槍や刀で突き合い、斬り合う本物の戦いがしたかった。だから父が美濃や三河へ攻め込んだときも、あとからこっそり追いかけた。木曽川を渡るためには船が必要だったが、悪童仲間には川並衆の頭領たちの息子がいたから、数十人程度が渡るのに必要な船は難なく手配できた。

 父が勝利したときはたいしてやることもなかったが、負けることも多かったから、そんなときは敗走する父の軍を追ってくる敵を待ち伏せて攻撃した。

 子供に何ができると思うかも知れないが、私たちは弓の腕前はなかなかのものだったから、かなりの確率で馬から兵を落馬させることくらいはできた。ほかにも縄を張って馬を転げさせたりといった手も使った。戦場では大人といえども怯えているものだ。恐怖をおさえようとして半狂乱になっているといってもいい。だから不意打ちをくわせてやると、敵はたいてい怖じ気づいて退却した。

 父がなぜあんなに頻繁に負けたのか、負け戦が続いてもなぜ隣国に攻め込むのをやめなかったのか、不思議に思う連中は当時からいた。

 私に言わせれば、父がよく負けたのは他国に攻め込んだからにすぎない。敵の領土で勝つのは容易なことではないからだ。一度の戦で勝っても、敵地に砦を築いて周辺の土地を支配し続けるのは難しい。

 それでも父が侵略をやめなかったのは、ひとつには尾張の武家を支配するためだった。

 成り上がりの息子だった父が、自分を見下す尾張の武家たちに一目置かれるためには、尾張でくすぶっているわけにいかなかったのだ。他国を攻めれば武家として名を挙げ、報償を得る機会が生まれる。武家たちの中でも、惣領家は既存の領地を守ることばかり考えていたが、次男以下の者たち、ろくな領地を持たない者は家臣のために領土や収入を獲得する機会に飢えていたから、進んで父に従った。

 戦に出れば死の危険、家族や家臣を路頭に迷わせることになる危険があったが、それでも彼らは父に従って戦に出た。守護代以下、やる気のない武家にくっついていても、道が開けてこないのは目に見えていたからだ。最初は数が少なかったが、三河や美濃でいくつかの城と領地を獲得したあたりから、参戦する者が増えた。敵地の中にも領主を見限り、父と手を組む豪族が現れた。負け続きの戦も着実に成果を挙げつつあったのだ。

 戦を繰り返すことで父は尾張や隣国の武家を切り崩し、配下に組み入れていった。戦下手で臆病な連中も多かったから、勝てる戦で負けたことも少なくなかったが、それでも生き残った者は少しずつ鍛えられていった。尾張で言えば柴田権六、佐久間信盛などがその典型だ。

 戦を重ねているうちに、尾張の上四郡からも参戦する武家が増えた。自然と父の威光は広まり、叔父の信光を犬山城主に送り込むことができるほどになった。上四郡の守護代・織田伊勢守家を追い、尾張全体を統一したのは私の代になってからだが、その土台は川並衆や商人・悪党たちと結んだ祖父や、武家たちを切り崩して配下に組み入れた父によって築かれたのだ。

美濃大崩れ----続----

 野盗たちは闇の中で微笑し、白い歯を見せながらお互いの顔を見る。それから音もなく子供たちに近づくと、すばやく数人をとらえて腕をねじ上げる。

「おのれら、どこの餓鬼じゃ?」と野盗の一人が脅すと、子供たちは「ひひい」と変な声を立てて震え上がる。

「子供が戦場で仏から盗みを働いてええと思っとるのか?」

「ああ、だんさん、堪忍して。まだ何にもとっとらんし」と子供の一人が言う。

「盗ってからでは遅いが」と野盗は言い、子供の腕が折れそうになるほど大きくひねりあげる。

「あああああ」と子供は女みたいな声で呻き、それが野盗たちの欲望をさらに刺激する。

 彼らがせかせかと下帯をはずして逸物を取り出し、子供たちの口や肛門にぶちこむと、少年たちは一斉に「あ、あ、あ、あ」と合唱を始める。

 野盗たちはすっかりいい気になって、好き放題に子供たちを叩いたり髪を引っ張ったりしながら痛めつけながら、気持ちよく射精する。

「思い知ったか、この餓鬼ども」
「ええ気になって、大人の世界に足を踏み込むと、どえらい目に遭うんじゃ。わかったか」

 子供たちは野盗の足元にひれ伏し、
「ああ、だんさんたち、勘弁してください。もう二度と悪さはいたしません」
「おれらの身も心もだんさんたちのもんです。なんでも言うこと聞きますよって、いつでもなんでもお申し付けください」と手下になることを誓う。

「まあ、今日のところは堪忍しておいてやろ」
「用ができたら呼び出すよって、名前を教えとけ」

 野盗たちは笑いながら子供たちが乗ってきた馬をつなぎ、それに乗って帰ろうとする。

「織田三郎信長」と子供の一人がさっきとはちがう声で言う。錆びた鉄がこすれるような、神経を逆撫でする声で。

「なに?」

「その馬はおのれらには乗りこなせん」と子供がさらに言った。

 とたんに馬たちが後ろ足で立ち上がり、野盗たちを一気に地面に投げ落とす。

 同時に闇に姿を隠していた十数人の子供たちが飛び出してきて、彼らの顔を蹴り上げ、げろを吐くまで下腹を殴る。

 子供たちは野盗たちの荷物の中から、値打ちがありそうな小刀や金銀を取り出し、馬に飛び乗る。

「だんさん、ありがとね。気持ちよかったわ」
 三郎信長と名乗った子供は最後にまた少女のように微笑し、透き通った声でそう言うと、紫の煙の中に消えていった。

美濃大崩れ

天文16年(1547年)9月。

 夏の気配が残る緑豊かな田園に夕闇が近づいている。

 平野のあちこちから上がる紫の煙。

 二十日も続いた尾張・織田軍の攻撃のすさまじさを物語っている。織田信秀の大軍は美濃南部の砦や村々を焼き尽くし、ついに稲葉山城下まで迫ったものの、ついに斎藤道三の本拠地を陥れることなく撃退された。

 せっかく稲葉山城を包囲するところまで漕ぎ着けながら、夕暮れが近づいたので一度兵を引こうとしたところを、城からくり出してきた美濃方の兵に攻めかかられ、総崩れになったのだ。

「あいつはいつも詰めが甘い」と野盗たちが言う。
「だからあいつにいくら誘われても、加勢する気にはならん」

 長良川の川筋に生きる彼らは、伊勢湾沿岸や美濃・尾張を結ぶ輸送や、材木のいかだ流し、土木工事などが本業だが、ときに戦に加わることもある。

 たいていは物資の調達や運搬、砦や橋の工事、敵方の情報収集、砦の破壊、放火といった活動を請け負う。戦のあとにはこうして戦死者の金品をあさったり、負傷した敗残兵を殺して身ぐるみ剥いだりする。

 高価な鎧・兜や槍・刀などは、戦が終わると武将の首と一緒に勝った美濃の兵たちが持ち帰っているが、それでもそこそこ値打ちものが見つかるのだ。

 明日になれば、織田から遺体の回収を請け負った木曽川の川並衆から助っ人の依頼が来るかもしれない。数百もの遺体を尾張まで運べばまたそれも金になるのだが、野盗の仕事はその前に済ませておきたい。

「織田信秀は、津島や熱田の商人をたらしこむのはうまいが、戦は斎藤道三殿が何枚も上手じゃ」
「尾張にまともな武者はおらんからな」
「金に任せて三河や美濃に攻め込んでは、肝心なところでやられとる」

 紫の煙の中を、馬が十数頭駆けてくるのが見えた。野盗たちは遺体の隙間に身を伏せる。蹄の音がしないのは、遺体の柔らかい腹を踏みつけながら走っているからだが、野盗たちにはそれがとても不気味に感じられる。人に限らず動物の死体を怖がらない馬など見たことがないからだ。

 馬たちはすぐ近くで音もなく止まった。馬の背から焦げ茶色の影が滑るように降り、死体の中を歩き始める。小鬼や妖怪の子供のようにも見える。影は皆異様に小さい。荒縄で縛った短い着物の胸や裾をはだけ、角度によっては少女のような胸や腿がのぞく。

「ほれ見ろ、ろくなもんは残ってないわ」と一人が言う。
「まあ、ええやん。屍踏んで歩くだけで楽しいやん」と別の一人が言う。

 彼らはふざけてお互いの脇腹や股間を突き合いながら、死体の中をうろつく。

「おれ、もうだめ」一人がそう言って、別の一人にしなだれかかり、下半身を相手の腰に押しつける。「首絞めて、指入れて」

 子供たちがそいつのまわりに群がってきて、衣服をはぎ取り、逆さにかつぎ、首を絞め、尻の穴に指を入れ、男根をしごきたてると、そいつは女みたいに甲高い声で「ああああああああああ」と呻き声を上げ、影の男根から精液の影を飛ばす。


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