イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

小説「ワイルドボーイズ」

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 ルイス・エンリケのねじ切り器開発は、様々な試行錯誤の末になんとか完成した。開発に携わる職人たちはどんどんふくれあがり、やがて堺中とその周辺のあらゆる工房が参加した。さらに、鉄砲鍛冶や鋳物師だけでなく、木地師や陶磁器の職人まで加わり、知恵を出し合った。鉄加工職人たちは鉄砲鍛冶も鋳物師も、器具を回転させて材料を切削するという加工法に疎かったのだが、木地師や陶磁器職人たちはその手の加工に精通していたからだ。
 私も今井彦右衛門も津田監物もできれば隠密に事を進めたかったのだが、そんなことをしていたら、まともな鉄砲はいつまでたってもできなかっただろう。畿内はもちろん全国に網の目のように広がる職人たちのつながりによって、様々な知恵がもたらされたからこそ、あれだけ短期間のうちに鉄砲の量産が可能になったのだ。それは同時に全国の主要な鍛冶工房に鉄砲造りを可能にした。それまで豊後の大友家では当主の肝いりですでに倭寇経由の鉄砲を複製していたし、備前や近江の国友でもその流れを汲む鉄砲の複製が試みられていたのだが、堺の鉄砲開発が軌道に乗り始める頃には、様々な技術が職人たちの情報網を通じて行き交い、鉄砲の性能や製造効率を劇的に向上させていた。
 根来寺の中でも、監物はできれば津田家が経営する杉ノ坊だけで鉄砲を独占したかったのだが、すぐに根来寺本院からの介入があり、雑賀の豪族・土橋家が経営する泉識坊などにも鉄砲が導入されるようになった。それからすぐに雑賀で大量の鉄砲が造られるようになるのだが、それが土橋家から雑賀郷にもたらされた技術によるものなのか、雑賀に多くの門徒を抱える本願寺の差し金によるものなのか、私にはわからない。おそらくどちらもあったのだろう。雑賀には堺から多くの鍛冶や鋳物師が移り住んでいたし、明から琉球・種子島などを経て常に新しい加工技術が導入されていたから、鉄砲を造り始めると、またたくまに根来に匹敵する生産量を誇るようになった。
 こうしてわずか数年のうちに、全国各地で鉄砲が造られるようになった。各地の工房がそれぞれに工夫を凝らしたため、様々な様式が誕生した。ヨーロッパ人の鉄砲を全く見ることもなく、彼らがやってくる前に、倭寇経由の鉄砲の複製から独自の鉄砲を創り出したところに、この国の職人たちの優秀さがあると私は思う。また、私や彦右衛門のような堺商人、根来の津田監物や本願寺、豊後の大友家などいちはやく鉄砲の可能性に着目し、開発・製造・普及に尽力した様々な勢力がいたことも、今から振り返ると不思議であり、誇らしさを感じもする。この国の人々のこうした好奇心と意欲こそ、ヨーロッパ人の侵略からこの国を守ったと言えないこともないからだ。

 マラッカから戻った私は、畿内の不穏な動きの中で、鉄砲の製作を再開した。正確に言うと、復帰したというべきかもしれない。我々の留守中も堺と根来で鉄砲の製作と開発は続けられていたからだ。
 今井彦右衛門は縁故のある近江や大和から伊勢、美濃、尾張へ鉄砲の売り込みを続けていた。そのための試作品は堺の芝辻工房と橘屋で造られ、大名や有力寺院へ運ばれて試射に使われた。
 根来の津田監物もまた別個に諸大名へ鉄砲を持参して、さかんに鉄砲の殺傷能力を宣伝していた。監物の強みは根来の僧兵という実戦部隊を率いていたこと、彼らを傭兵として雇う大名たちがいたことだ。彼は鉄砲隊を弓兵隊の代わりに、あるいは併用して実戦で使いながら、顧客を説得していった。鉄砲はまだ開発途中だったから、能力や操作法、信頼性の点で様々な問題があったが、彼は実戦を通じて技術を習得し、鉄砲や附属器具、火薬の改良を行うことができた。
 彦右衛門は私が南蛮から戻ったと聞いてすぐに売り込み先から堺へ駆けつけてきた。
「おまえがおらんあいだに鉄砲の評判はものすごい勢いで広まってるで」と彦右衛門は私を見るなり言った。「一応試しに何挺か使ってみようという大名がほとんどやけど、中には50挺よこせいうところもある。驚いたんは本願寺の下間頼廉まで試射をしたい言うてきたことや。試しに一挺持参したらえらい気に入って、羽曳野あたりでさかんに鷺やら鴫やらを撃ってるらしい。誰が教えたわけでもないのに、あっというまにえらい腕前になったいう話や」
「よりによって本願寺に鉄砲を売るやつがあるか」と私は言った。「天王寺屋は三好方やで。鉄砲で一向一揆が手えつけられんようになったらどう申し開きするつもりや」
「心配すな。ちゃんと別の商人を立ててある」と彦右衛門は抜け目ない笑みを浮かべて言った。たしかに堺商人にはいくつもの派閥があり、それぞれが対立する勢力と結んでいる。本願寺の子院がある堺の和泉側、いわゆる南荘には本願寺派の商人がいる。得意先に知れてはまずい取り引きは別の派閥を通じて行なうのが堺の流儀であり、しかるべき利益を与えれば、そうした便宜を密かに、喜んではかるのが堺商人というものなのだ。「それに一揆には本願寺も手を焼いてるさかい、誰もやつらに鉄砲を持たそうとは考えてないし、第一与えたくても今のところ高すぎて数が揃わん」
 私は彦右衛門にルイス・エンリケを紹介した。
「インディアス生まれのスペイン人、ルイス・エンリケ。わしらが求めてた鉄砲製造技術を知ってる男や」
 ルイス・エンリケの初めて見る風貌に、彦右衛門は一瞬言葉を失ったようだったが、すぐにいつもの笑顔に戻り、ルイス・エンリケの肩を強めに叩きながら、「なかなか神がかり的な顔をしてるやないか」と言った。

 それから数日後に津田監物が堺にやってきた。傭兵隊を率いてある大名の戦に参加しているところだったが、陣を張ってもなかなか戦局が動かないので、私が戻ったという知らせを聞いて、数名の部下と抜け出してきたのだという。
「どうや、問題は解決したか?」と監物はいつものように単刀直入にきいてきた。
「まだわからん。しかし、ねじは切ってこさえるものらしいということはわかった。とりあえずこのルイス・エンリケの指示に従って製造設備を整える」
 新しい製造設備は堺の芝辻工房に造られた。堺と根来の二カ所で開発を進めることは不可能だっし、新しい材料や器具を仕入れやすい堺の方が開発がしやすいからだ。
 ねじ切り器の開発は難航した。ルイス・エンリケもそれを使ったことがあるだけで、造ったことはないからだ。回転によって鉄に穴をあけながら螺旋状の溝を切るには、とてつもない力で回転させる必要がある。職人たちはルイス・エンリケの言うことに耳を傾けながら知恵を絞った。最初のうちは日比屋の通訳が入るので、一言一言を理解するのにも苦労したが、そのうちルイス・エンリケが日本語を話すようになったので、作業は飛躍的にはかどった。インディアスからスペインへ、さらにアフリカやアラビア、インドを経てマラッカに流れ着くまで様々な言葉を覚え、新しい環境に素早く溶け込まなければならなかったから、自然と適応力がついたのだろう。職人同士の会話はものを手に取り、試しながら行なうので、意思の疎通が楽だったのかもしれない。
 ルイス・エンリケはほとんど芝辻工房に寝泊まりしていた。流転の生活で男と寝ることにあまりにも慣れていたので、私が傾城屋に連れていって女を抱かせようとしてもさっぱり喜ばなかった。鍛冶職人には同じように女よりも男という連中がいたから、彼にとって鍛冶工房は天国だったらしい。
 そのうち彼は鍛冶仲間から猿阿弥と呼ばれるようになった。エンリケの発音から猿猩(えんしょう)になり、その猿だけをとって猿阿弥(さるあみ)になったのだという。
 のちにヨーロッパ人の宣教師がやってきてキリスト教を広めだしたとき、堺や河内・摂津・山城では白く大柄な彼らの天狗のような風貌に、多くの民衆が拒否反応を示したのだが、インディアスの原住民であるルイス・エンリケには誰も違和感を覚えなかった。
 彼がすぐに言葉を覚え、仕草や表情まで職人仲間に合わせて日本に溶け込んだからかもしれない。少なくとも彼はバテレンのように日本の伝統を悪魔の産物と敵視したり、日本人を地獄行きから救ってやろうという態度を取ったりはしなかった。
 そもそも堺には昔から明や天竺から商人が来ていたし、彼らの中には堺や京に住み着き、和名を名乗って日本人の嫁を娶り、子供を残した人たちもいた。ルイス・エンリケの顔はたしかに日本には珍しい顔だったが、それでも天狗のようなヨーロッパ人よりはよほど馴染みやすかったのだ。

 久しぶりに戻った堺は何やらざわついていた。
 年は変わって天文14年(1545)になっていた。堺近辺で戦はなかったが、目に見えない敵対の熱が地下に蓄積され、吹き出す口を求めてうごめいているような気配が感じられた。
 その頃、三好長慶は摂津の越水城を拠点としていたが、京や河内、丹波などをせわしなく行き来していた。阿波から三好党の軍勢が次々と補充のためにやってきたし、長慶の家臣たちは物資の調達や様々な勢力との密談のために絶えず堺にやってきた。この都市には幕府や諸大名、諸寺院の拠点があったし、取り引きのために武力衝突は控えるという暗黙の規律が守られていたから、敵対する勢力同士でも情勢の変化に応じて同盟したり便宜を図ったりの下交渉をするのに便利だった。幕府の権威はすでに地に落ちていたから規律を維持する超越的な権力が存在したわけではないのだが、合従連衡がめまぐるしい時代にどの勢力も安心して交渉や取り引きができる堺の公界としての役割を尊重していた。
 一番世間を騒がせていた事件は、三好長慶の正室離縁だった。長慶の正室は奥丹波守護代・波多野稙通の娘だったが、波多野と対立する丹波守護代・内藤国貞が細川晴元に反旗を翻し、長慶に助けを求めた。あるいはもっと前に密約があったのかもしれない。長慶は内藤の要請を受け入れ、その意思表示として正室を離縁して奥丹波へ送ったのだ。つまりそれは細川晴元と袂を分かつという意思表示だった。それまでの三好長慶は晴元の操り人形と見られていたから、この突然の反抗は畿内の武家、公家、商人たちを驚かせた。
「若かていつまでも子供やないで」と、久しぶりに堺にやってきた松永久秀はうれしそうに言った。「晴元のぼけは若をええように操って丹波に睨みをきかせ、一向一揆をおさえ、木沢を片付けたつもりやろが、ちょっと調子に乗りすぎたな」

 それからまもなく我々は堺へ向けて出発した。
 ちょうど日比屋の船があったのだ。それには了珪自身も乗っていた。
「そろそろ堺に戻らんとまずい」と言っていたが、私にはなんとなく彼が急に堺行きを思いたったような気がした。毎年のように南蛮と堺を行き来している彼のことだから、別にいつ戻ってもおかしくはないのだが、我々が堺に戻って造ろうとしている鉄砲に強い関心を寄せているのもたしかだった。

 長い船旅のあいだ船はルイス・エンリケによる鉄砲製造法伝授の場となった。堅固な銃身を造るために、どんなふうに鉄を鍛え、筒状に仕上げるか。ねじを切る筒尻やそこにはめる尾栓には鉄とどんな金属を混ぜ、どの程度の硬さを確保すべきか等々。実際の鍛冶場がないので試してみることはできなかったが、芝辻清衛門も又三郎もそれまでかなり経験を積んでいたので、ルイス・エンリケが何を言おうとしているか手に取るようにわかった。
 もうひとつ私が興味をそそられたのは、スペイン人のメキシコ征服の経緯だった。船の中で私はルイス・エンリケに無数の質問を浴びせ、スペイン人がアステカ帝国を滅ぼすことができた理由を理解しようとした。
 私にとって一番不可解だったのは、スペイン人がわずか400人ほどで征服を成し遂げたということだ。なぜそんな人数で未知の世界に乗り込んだのか、数において圧倒的なメキシコ人とどう戦い、打ち破ったのか。
 最初のうち、ルイス・エンリケはスペイン人の勝利を武器と馬のせいにしていた。
「メヒコ馬いない。馬乗るエスパニオル、でかい化け物ね。メヒコ人化け物こわいね」
 彼は紙に筆で絵を描いてくれた。スペイン人が騎兵は鎧を着て馬に乗り、長い槍を持っている。馬は鎧のような大きな布に包まれていて、騎兵と一体化している。馬を知らないメキシコ人はそれを馬に乗った人間ではなく、巨大な一体の化け物だと思ったらしい。
「メヒコ長い槍、刀ない。エスパニオル離れて刺す、斬るね。たくさん殺すね」
「鉄砲はどうなんや? 槍や刀より鉄砲の方がようさん殺せるやろ」
「エスパニオル鉄砲たくさんね。メヒコ人たくさん死ぬね」
 私はさらに彼らが持っていた鉄砲の数や、どうやって弾や火薬をこめる時間を稼いだのか、何人一組で何組編成だったのかなどについて詳しく問い詰めた。質問が込み入ってくると、次第にルイス・エンリケの目が宙を漂うようになり、詳しいことは何も知らないことが明らかになった。彼はスペイン人がメキシコを征服したときわずか5歳で、戦闘を実際に目撃したわけではなかったから、当然といえば当然だった。

 ルイス・エンリケはメキシコ征服に関してひとつ気になることを言った。メキシコ人は最初スペイン人のことを神々と勘違いしたというのだ。
「わしら白い神来る信じるね。世界終わるね」
 つまりメキシコには白く大きな神がやってきて、自分たちを滅ぼすという言い伝えがあった。スペイン人たちは彼らに比べて肌が白く、背が高かったので、その白い神ではないかと思ったのだ。
 彼らにとって不幸だったのは、その白い神の言い伝えをスペイン人に教える者がいたことだった。それはメキシコを支配していたアステカ帝国に滅ぼされた小国の王妃だった。その小国の王はアステカに殺されたので、王妃は強い恨みを抱いていた。彼女はスペイン人の隊長に進んで近づき、その愛人になり、アステカおよびメキシコの弱点を事細かに教えた。その結果、憎いアステカばかりでなく、メキシコ全体が滅んでしまってもかまわないと思ったのだろう。
 スペイン人たちはその弱点を最大限に利用した。数的に不利な戦闘はメキシコ人に脅威を感じさせる程度の最小限に留め、悠々とアステカの首都へ乗り込んだ。そして巧みにアステカ皇帝に接近し、宮殿を乗っ取ってしまった。皇帝は完全に彼らに信服してしまい、何でも言うことを聞いた。彼らにとって好都合だったのは、皇帝が絶対君主で、進化や国民に神のように崇められていたことだ。彼らは皇帝を意のままに操ることで、アステカの施設や組織を破壊することができた。白い神はメキシコ人を罰し、滅ぼすためにやってくると信じられていたのだから、事は簡単だった。皇帝は自国の不利益になることをさせられるたびに苦悩したが、スペイン人たちはおかげで何の苦労もせずに謀略を実行することができたのだった。
 しかし、調子に乗ったスペイン人がアステカの神殿や神々の像を破壊し、代わりに聖母マリアを拝ませようとしだした頃から、さすがのアステカ人たちも事態の深刻さに気づきだした。皇帝も目が覚め、スペイン人が神ではなくただの異教徒であるとわかったのだが、時すでに遅かった。彼らは皇帝を人質として最大限に利用しながら虐殺を繰り返し、首都を制圧してしまう。国家というのは一度崩れ出すと弱い。どれだけ君主が絶対的な支配を確立していても、いや強く支配すればするほど、支配される者たちは潜在的な敵となるからだ。特にアステカはメキシコを支配するようになって日が浅い帝国だったから、支配下にある国々には敵も多かった。首都と皇帝の軍隊を制圧した時点で、スペイン人の勝利は約束されたのだった。

 ルイス・エンリケが語ったスペイン人のメキシコ征服物語は私に強い衝撃を与えた。マラッカで会ったポルトガル人たちの大柄で尊大な態度を思い出し、彼らが南蛮でやろうとしていることも、似たような征服なのではないかと考えると背筋が寒くなった。
 さらに不気味だったのは、同じ話を聞いた日比屋了珪が何も感じていないように見えたことだ。それどころか、彼の目にはヨーロッパ人の強さに対する尊敬や憧れが浮かんでいるようにさえ思えた。
「なるほど、ポルトガル人がまともな鉄砲を見せようとせんわけがわかったわ」と私は了珪に言ってみた。
「どういう意味や?」
「征服しようとする相手に武器を売るやつはおらん」
 了珪は困惑の笑いを浮かべた。
「ポルトガル人をスペイン人と一緒にしたらあかんで」と彼は言った。「特にインディアスを征服したやつらはスペインの中でもたちの悪い軍人崩れや。やつらには最初から取り引きとか交渉をする気なんか毛頭なかった。目的はひたすら略奪や。しかし、ポルトガル人はちがう。おまえも会うたやろ。あいつらは商売をしようとしてる。軍隊は商人や宣教師を守るために来てるだけや」
 たしかにそう言われてみれば、マラッカで会ったポルトガル人はメキシコを征服したスペイン人ほど悪質ではないようだ。しかし、あの独善的な傲慢さには、程度の差こそあれ何かしら邪悪なものが潜んでいると私は感じていた。その後私は堺や京などでたくさんのヨーロッパ人と会うことになるのだが、どれだけ彼らと話し合っても、この最初に感じた疑念は消えなかった。

「ええか、助五郎、世界は丸いんや」と了珪は呑み込みの悪い子供に学問を教える僧侶のような口調で私に説明しようとした。「ヨーロッパから海を越えて西へ進めばインディアスに着く。インディアスから海を越えてさらに西へ進めばマラッカに着く。この男はインディアスから逆に東へ東へと進んでここまで来たわけや」
 毎年かなりの月日を南蛮で過ごしている彼は、すでにポルトガルの探検隊が20年前に世界一周を成し遂げたことも知っていたし、スペイン人のアステカ、インカ征服も噂に聞いていた。彼にとってはすべてが興味深い話だったらしく、インディアスの風俗や経済のこと、征服後のスペイン人統治のこと、インディアスからもたらされた金銀財宝のことなどについて次々とルイス・エンリケに質問を浴びせた。自分の母国に興味を持たれてうれしかったのか、ルイス・エンリケはそれに応えて際限なく話を続けた。
 なかなか話が本題に近づかないので、私は彼らの問答を遮り、ルイス・エンリケがヨーロッパ人の鉄砲を再現できるかどうか聞いた。
「できるよ。問題ない」と彼は自信ありげに言った。「鉄砲たくさん人殺すね。たくさん鉄砲、たくさんたくさん人殺すね」
「見たところ、おまえは道具もなんも持ってないようやが、それでほんまに鉄砲造れるんか?」
「だいじょうぶ。鉄砲造る、ここね」と彼は自分のこめかみあたりを人差し指で突くような動作をしながら言った。「ここ使って道具造るね。道具で鉄砲造るね」
「ほな、堺に行って、鉄砲を造る気はあるか?」
 通訳をしていた日比屋の手代はこの部分を訳すとき、堺という地名に「ジパングの」という言葉をつけ加えた。おそらくルイス・エンリケは堺を知らないだろうという判断だったのだろう。「ジパング」という言葉にルイス・エンリケは飛びついてきた。
「ジパング! 金!」と彼は叫んだ。「もちろん行くね。鉄砲造るね。金たくさんたくさんね」
「残念ながらジパングの町は金でできてないけど、それでもええか?」
 ルイス・エンリケはちょっと戸惑ったようだった。黄金の国ジパングはそれほど確固たる事実だったのだ。もしかしたら、苦難の末にスペインから南蛮までやってきたのは、その先に黄金郷があると信じていたからかもしれない。
 私は堺商人の慣習として、報酬の話をひかえていた。相手が提供できる価値を見極めてからでなければ、いくら出すとは言わないのが我々、特に天王寺屋の流儀だったからだ。しかし、このときルイス・エンリケの目に浮かんだ失望があまりにも大きく、そこから一言も言葉を発しなくなってしまったので、私はしかたなく報酬の話を切り出した。
「おまえがほんまに鉄砲造れるなら、礼ははずむで。それでわしらがどんだけ儲けを出せるかにもよるけどな」
 それを聞いてルイス・エンリケは晴れ晴れとした笑顔を見せた。
「問題ないね。いい鉄砲造るね。たくさん売れるね。金たくさんね」
「ところで、ひとつ教えてくれへんか。わしらにどうしてもわからんことがあるねん」私はそう言って、我々が造ったねじ式の尾栓と鉄砲の筒尻を見せた。「これは鋳物でこさえるんか? それとも別のこさえ方があるんか?」
 私としては一種の試験のつもりだった。我々が抱えている最大の問題に彼が答えを出せれば、堺に連れて行く値打ちがあるということだ。逆に今ここで首をかしげてしまうようなら、使い物にはならないだろう。
 鋳物という言葉を伝えるのに通訳は四苦八苦したようだった。しかし、何をきかれているのかわかるとルイス・エンリケは自信ありげに笑った。
「問題ないね。鉄溶かすだめ。固いねじ造る。柔らかい鉄にねじ込むね。ゆっくりはめはめね」彼は私を肘で小突きながら、人差し指を指の輪に通す卑猥な仕草を繰り返した。
 我々はそのとき初めて、ねじを切るという製法があることを知ったのだった。


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