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その十日後、私は芝辻清右衛門、橘屋又三郎とマラッカ行きの船に乗っていた。 |
小説「ワイルドボーイズ」
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「兄者、ここはひとつ天王寺屋の若に相談してみたらどうや?」と覚明が監物に言った。 |
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津田監物と私の父・津田宗達とのつきあいは長い。父の交友関係で彼は特殊な存在だった。京の公家や大名、畿内の武将、大商人、寺院の高僧など、天王寺屋の取引先や盟友たちは、たいてい茶の湯を心得、美術工芸を愛する人たちだった。もちろん成り行きによっては人を裏切ったり、殺したりもするが、そうした残酷な宿命の縁を一緒に綱渡りのような足取りで歩んでいたからこそ、一層美しいものを共有する一時を慈しんだのだ。茶の湯は京で生まれ、堺で洗練の極みに達しようとしていたが、同時に畿内を中心とした多くの大名、武将、商人たちの共通言語にもなっていた。あくどい謀略で有名になった松永久秀でさえ、こうした社交界の重要な一員だった。 |
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12年ほど前、最初に監物と会ったとき、彼は私の父と何か難しい問題で対立し、窮地に追い込まれていた。たぶん細川晴元と三好元長の複雑で陰険な争いに関連したことだった。我々の取り決めで禁じていたにもかかわらず、金に釣られて管領・幕府側に荷担したとかなんとか、そういったことだったのだろう。松永久秀が堺衆から表面上は蔑まれながら、父・津田宗達ほかの有力商人たちと固い信頼関係を維持していたのに対して、津田監物は堺衆からも畿内の悪党連からも絶縁状態になりつつあった。 |
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僧兵たちに囲まれて大門をくぐり、広い坂道を登っていくと、山と谷の連なりにびっしりと子院が並んでいるのが見えた。子院の数は数百あると言われている。そのひとつひとつが僧兵の傭兵軍団であり、産業・交易で稼ぐ企業なのだ。津田家が設立した杉ノ坊は、雑賀の土橋家が設立した泉識坊と並んで根来寺の子院でも最大規模を誇る軍団のひとつだった。 |



