イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

京都2010冬

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下鴨神社を出て、葵橋からひとつ上流の橋を渡る。

地図を見ると、下鴨神社の南で合流してからが「鴨川」で、
そこから上流は西側の流れが「賀茂川」、東側が「高野川」となっている。

この「鴨」と「賀茂」の表記のちがいは、
下鴨神社と上賀茂神社のちがいと関係あるんだろうか?

そもそもどういう理由で表記を変えているんだろう?

下鴨神社ではそのヒントを見つけることができなかった。

漢字はそもそも後から日本に入ってきた文字だから、
同じ発音で表記が色々変わる例はいたるところにあるのだが、

こういう同じ土地で、しかも由緒正しい大きな神社がペアになってるのに、
表記がちがうというのはなんとなく違和感がある。

それはともかく、京都の街を出て北へ歩くだけで胸がおどるのはなぜだろう?

20年以上前、綾部に行ったときのことを思い出すからだろうか。

昭和初期に弾圧された信仰宗教・大本教の本部を見に行ったのだが、
駅から乗せてくれたタクシーの運転手がこんなことを話してくれたのだ。

「私は苗字をシガというんですが、このあたりにはシガが多いんです。もともと朝鮮半島から渡ってきた一族なんですけど、日本にはあちこちにシガが開拓した土地があるんですよ。滋賀県のシガもそうですし、長野・群馬に志賀高原というのがあるでしょう。あれもそうです」

このときぼくは事実がどうこうというより、
こういう日本史の教科書には一切出てこないことを、
土地の一般人がごくあたりまえのことのように語るその姿に圧倒されたのだった。

京都の北にはこういう裏日本史が、
あたりまえの事実として存在しているのだと、
そのときから漠然と考えるようになった。

仕事に追われて、裏日本史のまじめな検証も、
そのフィールドワークとしての旅も、
まともにできないまま時が過ぎてしまったが、

50代半ばを過ぎて、大不況で仕事も減り、
ヒマだけはありあまるほどある今こそ、
そういう旅に出るチャンスなのかもしれない。

賀茂川と京都の山々がそう呼びかけている。

京都散歩36〜信仰の力

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いよいよ朱色の大鳥居と美しい門をくぐって、神域の中枢部に入っていく。

門の脇にはものすごい数のお酒が並んでいる。
信徒が新年のお祝いに寄進したものなのだろう。

京・町衆の信仰が今も生きていることをひしひしと感じる。

さらに焦げ茶色の板壁に囲われた神域の奥へ進むと、
けばけばしい朱色は急に消える。

十二支ごとに小さな祠が建てられ、
参詣者はそれを順繰りに回ってお参りしている。

自分の干支とか、今年の干支である寅の祠に、
お参りすればいいというわけでもないらしい。

このエリアのさらに奥には、
別の板壁で仕切られた、
参詣者が入れない神域があって、

そこには神殿や正倉院みたいな倉が建っている。

板壁の手前には紙袋に入った米が供えられている。
紙袋には寄進者たちの名前。

米や酒を供える信仰心には、
手軽に賽銭で済ませる信仰心とはまた違った本気さが感じられる。

貨幣・紙幣というのは近世以降に一般化した経済の道具だ。
参詣者にとっても手軽で便利だし、
もらう神社にとっても使いやすくていいだろうが、
そこには便利さに寄りかかった甘えがある。

そこへいくと、米や酒のように太古からの正しい供え物を見ると、
思わず背筋がしゃきっとしてしまう。

賀茂/鴨氏が大陸・朝鮮半島から来た征服者の先導役だったとしたら、
神域手前の朱色の鳥居や大きな門の派手な色彩・デザインは、
いかにもふさわしい気がするのだが、

だとしたら、この内側の神域を支配する茶色がかったモノトーンは何だろう?

朱色のデザインは奈良・天平時代のグローバリゼーション以降のもので、
それ以前の征服王朝はこういう地味な色・デザインしか持たなかったということか?

それとも、これは彼らに滅ぼされた先住民の信仰の色なのか?

中南米の文化・宗教を完全破壊したスペイン人のように、
征服者は先住民の文化・宗教を抹殺するものと思い込みがちだが、

かつてこの大和の国では、
もっと融合的な征服が行われたのかもしれない。

その成功が、万世一系信仰や単一民族幻想を可能にしたのだ。

それはいいことだったのか、悪いことだったのか?

たぶんどちらでもないのだろう。

間違いなく言えるのは、
日本人はそういうふうに成立した民族だということだ。

戦争に負けようが、国際化が進もうが、
日本人は自分たちの幻想から外に出ようとしない。

それがこの民族のパワーの源でもあるからだ。

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神殿の手前にきれいな小川が流れていた。
奥の方にカラスが数羽、この寒いのに川に入って水を飲んでいる。

これが賀茂/鴨一族の化身/守り神の八咫烏(やたがらす)というわけか。

八咫烏は、神武天皇が九州/宮崎あたりから攻めてきたときに、
大和盆地の先住民族に撃退され、
紀伊半島の南端に回って八咫烏と出会い、
先導されて大和盆地に攻め込んでまんまと征服に成功したといういわれのあるカラスだ。

神武天皇の守り神だから日本の守り神だろうということで、
日本サッカー協会はユニフォームにこの八咫烏をデザインしているらしいが、

冷静に考えれば神武天皇に率いられた民族は、
九州経由で大陸/朝鮮半島から日本に攻め込んできた侵略者だろうから、
そんな侵略者を先導した鳥を守り神にしているかぎり、
日本サッカーの発展はない。

それはともかく、ぼくが下鴨神社に感じる違和感は、
大陸/朝鮮半島からの侵略を先導した勢力の
社であるというところからきているのかもしれない。

不思議なのは侵略/征服の功労者である賀茂/鴨一族が、
なぜ大和盆地でなくこの京都盆地に根付き、広大な社を造営したのかということだ。

それは征服のずっとあとのことだったのだろうか?

だとすると、大和政権の功労者が、奈良盆地を離れた理由は何だったんだろう?

権力闘争に敗れたのなら物部氏や蘇我氏のように滅びてもよさそうなものだろうに。
権力の中枢ではなく、ちょっと周辺にいたために、
奈良盆地を立ち退くだけで済んだとか?

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河合神社を出て少し東へ歩くと、
南北にのびる参道に出た。

「参道」と言っても、あんまり手入れをしてない雑木林の中に、
自然にできた感じの道があるだけ。

伊勢神宮とか春日大社とか三輪の大神神社とか、
由緒正しいメジャーな神社は、
大体雄大な自然の中にあって、
参道は鬱蒼とした森に囲まれているのだが、

この下鴨神社の森はなんとなく雰囲気が違う。

京都盆地に古代から残る原生林だというのだが、
どこかしらちょっと荒廃した感じがする。

ほかの古い神社の森が、自然に宿る神々に守られてる感じがするのに対して、
この森には神々の気配がないのだ。

まあ、信仰薄いぼくのセンサーではとらえられないのかもしれないが。

森に入る前に、「糺(ただす)の森」という、
この森の名前をガイドブックで見てしまったのがいけなかったんだろうか。

ライターのぼくの神経はモノよりも言葉に反応するようにできている。

「糺の森」とは、来る者を問いただす森ということだろうか?
問いただされるとこちらもついつい身構えてしまう。

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河合神社を出て、下鴨神社の参道に向かおうとしたら、
塀の上の屋根に美しい草と苔が生えているのを見つけた。

いい感じの光が当たって緑が輝いている。

しばし立ち止まって鑑賞。

丹誠込めて作り上げた庭もいいけど、
こういう何気ない場所にひっそり生えてる草や苔にはまた格別の美しさがある。


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