イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

京都2010冬

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下鴨神社の敷地内に入る。

いい天気なのに、やせた木立ちが天を覆ってあたりは薄暗い。

参道に入る手前に河合神社という小さな神社があった。
下鴨神社の摂社で、玉依姫命(たまよりひめ)を祀っているとのこと。

境内に木造の小さな小屋が展示してあって、
これがあの「方丈記」の作者・鴨長明が住んだ「方丈の庵」を復元したものだという。

そういう説明がなければ、公衆便所とまちがえそうな住居だ。

解説によると、丈というのは長さの単位で、一丈は約三メートル。
つまり「方丈の庵」とは3×3mくらいの大きさということか。

鴨長明は平安末期から鎌倉時代にかけての人だ。
古文の授業で習った随筆/回想録「方丈記」の作者として知られるが、

この下鴨神社の禰宜(ねぎ=宮司みたいなもの?)をつとめる鴨/賀茂一族に生まれ、
文官として宮廷に仕えた。

源平合戦を経て鎌倉幕府の武士政権が誕生すると、
京都北部の大原に隠棲した。

それからあちこちを点々としながら、
暮らしと住居をどんどん簡素化していき、

住まいの完成形となったのがこの方丈の庵であるとのこと。

小さいだけでなく、小屋全体が板状の台に乗っていて、
簡単にたたんで運べるようになっているらしい。

屋台みたいなものだ。
現代で言えばトレーラーハウス?

「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし」

「方丈記」と言えば、中学生のとき古文で習ったときに読まされた、
この最初の1行くらいしか記憶にないが、

人生は所詮はかないものなんだから、
生活は簡素でいいみたいなことを、
鴨長明は言いたかったらしい。

中学生だったぼくは、なんだかしみったれた考え方だと感じたが、
五十代後半になり、諸行無常を体験的に知った今は、わかるような気がしないでもない。

老い先が見えてきた今となっては、
どこか田舎に引っ込み、
小さな家で静かに暮らそうかなどと考えたりもする。

しかし、この簡素なトレーラーハウスであちこち点々とした鴨長明は、
ぼくとちがって名家のご隠居であり、

日々の世話は家臣がしてくれただろうし、
庵をたたんで運ぶのも、下僕たちにやらせていたのだろう。

そう考えると、方丈の庵もなんだか嫌味な贅沢みたいに思えてくる。

「人生の無常」も、
武士に敗れた京・朝廷・公家社会の一員の負け惜しみじゃないかと、
言えなくもない。

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本能寺から特に名所見物もせずに、
えんえんと北へ歩いてきたのは、
下鴨神社に行ってみようと思ったからだ。

この神社には子供の頃もふくめて一度も行ったことがない。

知っていることもほとんどない。

創建が平安時代より前の、
すごく古い神社だということ、

京都の三大祭りのひとつ、
葵祭がこの神社の祭りだということくらいだろうか。

疑問に思っていることはいくつかある。

下鴨神社と上賀茂神社があって、
どうして「かも」の字が違うのか、
ふたつの神社の関係は何なのか等々。

もっと裏日本史的な興味もある。

噂によると、奈良・大和が政治の中心だった頃、
のちの京都になる山城の国南部は、
朝鮮系渡来民族の土地だったという。

映画村がある京都・西部の太秦は、
「秦」の字のつく土地の多くがそうであるように、
新羅系渡来人・秦氏の領地だった。

じゃあ、鴨・賀茂は?

神武天皇の東征を八咫烏に化身して先導したと言われるあやしげな氏族だ。

天照大神・素戔嗚尊よりまえから大和を支配していた
古代神・大物主の子孫だという説もあるが、

侵略者の案内をするような氏族が
大物主の子孫だというのはなんだかおかしい。

そんなこんなで、前から気になっていたのだ。

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御所の北へ出て、今出川通りを東へ少し歩くと、
大きな石の道標が立っていた。

「東 比叡山 三り 坂本城 三り」
「西 内裏 三丁 あたご 三り」
「北 上賀茂 三十丁」

などと書いてある。

すぐ横に「史跡 大原口道標」の表示。

江戸時代の道標だろうか。
旅人が京へやってきて、
市内のめざす目的地へ向かうための案内版だ。

「東 真如堂 十四丁」とあるのは、本願寺の御堂のことだろうか?
今の京都の東西本願寺は南方向にあるのだが、
もしかしたら、これは山科に本願寺があったときの道標だろうか?
とすると、江戸時代じゃなく、室町時代?

三条大橋にもたしかこういう道標が立っているのを見たような気がする。

広重の東海道五十三次にも描かれているから、
東海道・中山道の起点/終点は三条大橋だったのだろうが、

若狭・北陸や比叡山を越えて近江の坂本へ抜けるルートの起点/終点はここだったのだろう。

この道標のある今出川通りから一本北へ入ると、
出町柳の商店街があった。

若狭から鯖街道を通って、京に塩サバが運ばれていた頃は、
ここに問屋・運輸業者が軒を連ねていたと、
最近見たテレビ番組で紹介していたが、

今は八百屋、お菓子屋などが並ぶ、
ごく普通の小さな商店街だ。

たぶん冷蔵運送が発達するまでは、
魚は塩漬けなど保存がきく状態にして運んでいただろうから、
戦前、20世紀の初め頃までは、
ここに一塩したサバや甘鯛が入ってきていたはずだ。

今は京懐石でも刺身があたりまえのように出てくるが、
内陸の土地で生魚が食べられるようになったのは、
交通手段と冷蔵技術が発達してからのことなのだ。

だから京都ではタラを干した棒鱈や身欠きにしんのような、
北国でとれた乾物の魚をうまく戻して調理するワザが発達したのだ。

若狭あたりでとれたサバや甘鯛は、
1日〜2日で運べたから、
そこまでカチカチの干物にしなくてもよかったのだが、
それでもそれなりの塩をして運んだ。

魚の鮮度を当てにできない分、
その塩が生み出すうまみを活かすのが、
料理の腕だった。

今でも関西で修行した料理人と話をすると、
うっかり北海道とか富山で食べた魚がうまかったみたいな話をしようものなら、

ひねくれた薄笑いを浮かべて、
「まあ、ああいうとこは魚の鮮度がええから、そのまま食わせといたらええんですわ」
といったことを言う。

材料のよさに甘えていて、調理技術が発達しなかったと言いたいわけだ。

逆に京都では、鮮度のいい魚が入らなかったおかげで、
いい料理人が育ったと……。

じゃあ、今はどこの料理人も腕が落ちたということか?
なんて言ったら喧嘩になるので、静かに出されたものを味わうしかない。

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河原町通りを北上していくと、東西に走る大通りに出た。
地図によると丸太町通りのようだ。

丸太町通りは懐かしい名前だ。

小学生の頃1年だけ住んだ京都市右京区の家は、
すぐ近くに当時拡張工事中だった丸太町通りの西の終点があった。

街中に出かけるときは、そこのバス停から市バスに乗った。

南に二条城が見えてくると、
バスは南へ右折し、
三条烏丸〜三条河原町あたりで降りると、
映画や食事、買い物ができる繁華街が広がっていた。

そんなことを考えながら丸太町通りをちょっと西へ歩いていくと、
長い石垣が見えてきた。

京都御所がある御苑らしい。

中は広大な公園になっていて、
大宮御所、京都迎賓館、京都御所があるのだが、
いかめしい土塀に囲まれていて、
予約しないと見学はできない。

高校まで関西で育ったので、
京都は遠足で何度も来ているのだが、

銀閣寺・金閣寺・清水寺などは記憶に残っているのに、
この御苑・御所に来た記憶はない。

来ていないのかもしれないし、
来たのに忘れてしまったのかもしれない。

興味が湧かないのは、この広大さといかめしさに、
なんとなく京都らしからぬものを感じるからだろう。

江戸時代までの御所は、
宮廷の財政が逼迫していて、
土塀が崩れ、天皇が道を渡ってお菓子を買いに来たりしていたという。

戦国時代の宮廷はさらに悲惨で、
信長が御所を修復するまでは、

土塀が崩れたところから近所の子供が入ってきて、
殿上人の暮らしを見物したりしていたという。

現在の御所の完璧で物々しい土塀と、
周囲のあまりにも清潔で広大な空間は、
たぶん明治以降に整備されたものなのだろう。

どことなく、東京の明治神宮や奈良の樫原神宮の広大さに通じるものを感じさせるのも、
どれも明治政府が演出しようとした皇室の威厳を表現しているからだ。

そこには伝統文化の美よりも、寒々しい近代国家の演出がある。

せっかくの歴史と伝統の舞台が、
きれいに整備されたことで荒廃してしまっていると感じるのはそのせいなのだろう。

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本能寺を出て北へ歩く。

京都市役所を過ぎると島津製作所があり、
京都が工業都市でもあることを思い出させる。

京セラ、オムロン、ワコールなど、
京都発祥の大手メーカーは意外に多いのだ。

島津製作所からさらに少し北へ行くと、
650円昼定食(刺身・魚フライ・小鉢・吸い物・香の物)という小さな看板が目についた。

ちょうどお昼過ぎで、ものすごく腹が減っていることに気づいた。

ちょうど出てきた勤め人らしいおじさんが、
「昼定食、おすすめですよ」と笑顔で教えてくれたので入ってみた。

両側に杉皮張りの塀が続く石畳の細い通路を入っていく。
夜はそこそこの割烹料理屋なのだろう。

カウンターのほかに座敷もある。

かなり混雑しているが、
ちょうどカウンターに1人分席があった。

あの笑顔のおじさんが座っていた席だろうか。

客はほとんど近所の勤め人だ。
昼定食を黙々と食べている。

ランチタイムに職場の仲間とにぎやかに談笑したりしないのが、
京都流なんだろうか?

ランチメニューは日替わりで1種類しかないので、
おねえさんがすぐに持ってきた。

650円にしては豪華だ。

魚フライは冷めているが、
吸い物とほうじ茶はあつあつ。

京都に来たら、観光地で高い料理を食べるのもいいけど、
こういう地元相手の店で地元値段の食事をするのも悪くない。


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