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ジャイナ教寺院の前を通りかかった。
さすがに好奇心だけでお参りする勇気はないので、軽く手を合わせて通過。
このあたりにはたしかイスラム寺院やユダヤ教会もあるはずだ。
さすが国際的な港町。
いろんな国籍・宗教の人たちが昔から共存している。
ぼくが通った中学高校はカトリック系だったが、
神戸の国際性は自分の人格形成にけっこう影響しているような気がする。
学校には外国人神父がたくさんいたし、
バスケットボール部で初めての試合はカナディアンスクールだった。
今、海外ニュースにネタを提供しているローマカトリックの聖職者による少年セクハラ問題も、カトリック系男子校ではごくあたりまえのことだった。もちろん仲間内で語る以外はタブーだったが。
軍隊でも刑務所でも修道院でも男子校でも、異性との接触を遮断し、性欲を抑圧する組織はとかく異常性欲の温床になる。
そんな異常な環境で多感な十代を過ごしながら、基本的な知識を身につけ、価値観を形成していったのだから、今から思うと不気味な感じもするが、それでも山の中腹にある学校では豊かな自然に囲まれた牧歌的な日常もあったし、日々新しい知識に出会う感動もあった。
学校附属の礼拝堂で行われるミサは自由参加だったが、一学年約160人中4分の1くらいが洗礼を受けた。純真な子供をだますのはたやすい。ぼくはもちろん洗礼も受けなかったし、これまた自由参加だった放課後のキリスト教的お説教にも参加しなかった。純真じゃなかったからだろうか?
新約聖書は一応読んだし、そこに出てくるちょっと過激なキリストは好きだった。堕落した街のユダヤ教会に乗り込んでいって、そこで商売をしてるやつらの店をたたきこわしたりするのだ。
ユダヤ人社会で告発され、当時ユダヤ王国を支配していたローマ帝国総督の許可によって死刑にされたキリストは、たぶんそれが事実だとしたら、聖書に書かれている以上に危険なことを色々したんじゃないかと想像していた。
ミサには出なかったが、学校の行事にはミサまがいのセレモニーがあったので、そこで賛美歌をよく聴かされた。生徒の多くは賛美歌を歌えるようになっていったが、ぼくはいつまでたっても聴いているだけだった。
ひとつ覚えているのは中学に入学して間もない頃、賛美歌にまじって「We Shall Overcome」という、アメリカ公民権運動の歌を歌わされたことだ。マーチン・ルーサー・キング牧師のことはよく知らなかったが、1966年のことだから、彼はまだ生きていた。暗殺されるのは1968年のことだ。
この歌だけはすぐに覚えて歌えるようになった。もしかしたらミサまがいの行事ではなく、英語の授業か何かで歌ったからかもしれない。英語の歌はほかにも「漕げよマイケル」なんかも歌った記憶があるが、これはミサっぽい行事にはそぐわないから、たぶん英語の授業だったのだろう。歌の好き嫌いというより、英語で歌うことがものめずらしく、楽しかったのかもしれない。
学校にはアメリカのフォークソングを英語で歌う先輩たちや神父たちがいて、自然と「花はどこへ行った」「ドナドナ」「500マイル」みたいな反戦歌を歌うようになった。カトリック教会は保守的な組織だが、公民権運動やベトナム反戦運動には理解を示していたのだろうか。学校でもロックは不良の音楽で、エレキギターは禁止だったが、フォークソングは文化祭でよく歌われていた。
翌1967年になると仲間内でビートルズやローリングストーンズを聴く連中が増えてきた。
ビートルズはまだ解散していなかった。来日はその2年前で、女の子がキャーキャー騒ぐアイドルバンドというイメージが強かったので、ぼく自身はあまり好きじゃなかったが、その頃になるとライブ活動をやめて、「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ」といった、アーティストっぽいアルバムを出すようになっていたので、男子中学生のあいだでもファンが増えつつあった。
ローリングストーンズは「サティスファクション」くらいしか知らなかったが、セックスを露骨にうたう不良バンドという程度の認識だった。
一番驚いたのは、友人の家でジミ・ヘンドリクスの「紫の煙」を聴いたときだ。
紫の煙というのはマリファナの煙のことで、ドラッグ体験を歌っていると教わったので、おそろしく不健康なやつなんだという印象を受けたが、それでも音楽自体は強烈に自分の中に入ってきた。アルバムは「エレクトリック・レディ・ランド」という、意気込みだけが空回りしているような前衛音楽的なものが発表され、代表作とされるようになったのだが、いまひとつ興味が持てず、その後はクリーム(エリック・クラプトンがいたバンド)を経て、古い黒人のブルースを主に聴くようになり、ぼくのロック体験はごく短期間で終わってしまった。
ジミ・ヘンドリクスと再会するのは、彼が1970年に死んで、続々とライブアルバムが出てからだ。そのときぼくは初めて彼がただドラッグに溺れて破滅的な音楽を奏でた男ではなく、人種差別やベトナム戦争や欧米主導の社会が生み出す歪みと向き合い、そういう時代に生きる人間の気持ちを歌うアーティストだったことを知った。
彼が酒とドラッグをやっていたことは事実らしいが、「紫の煙」の歌詞を見てみると、ただドラッグ体験を歌っただけの歌ではなく、社会の矛盾が人間に強いる混乱や不安を素直に表現したものだということがわかる。だからこの歌は何十年たっても人の心を打つのだ。
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この神戸散歩のあいだ、ずっと「紫の煙」を口ずさんでいたので、
以下、歌詞と自分なりの訳を書いてみます。
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Purple Haze
Purple haze all in my brain
Lately things just don’t seem the same
Actin’ funny , but I don’t know why
‘Scuse me while I kiss the sky
Purple haze all around
Don’t know if I’m comin’ up or down
Am I happy or in misery ?
Whatever it is , that girl put a spell on me
Help me help me
Oh no no ... no
Purple haze all in my eyes
Don’t know if it’s day or night
You’ve got me blowin , blowin my mind
Is it tomorrow or just the end of time?
No , help me aw yeah! oh no no oh help me
-----Lyrics by Jimi Hendrix----
紫の煙
紫の煙がおれの意識の中に
充満してからというもの
すべてがちがって見える
やることなすこと変てこで
しかもどうしてそんなことするのか
自分でもわかんない
ごめんよ、ちょっと、空にキスするからね
紫の煙がおれのまわりに立ちこめて
自分がどっちに動いてるのか
幸せなのか惨めなのかもわからない
どっちにしてもあのねえちゃんが
おれに呪いをかけやがったんだ
助けてくれ 助けてくれ
おれの視界の中に立ちこめる紫の煙
昼なのか夜なのかもわからない
おれを吹き飛ばしてしまいそうだ
おれの意識の中で
それって明日?
それともこの世の終わり?
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