イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

神戸散歩2010春

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北野異人館街のまだ歩いたことのない路地を歩く。

観光名所以外にも、美しい洋風建築や和洋折衷建築に出会う。

一軒、和風建築の瓦屋根に暖炉の煙突が出ている家を見つけた。
中はどうなってるんだろう?

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風見鶏の家の横にある急な階段を登る。上には北野天満宮がある。
「北野の異人館街」という名称から、なんとなく「北野」という地名にはハイカラなイメージがあるのだが、そもそもの地名の由来はたぶんこの北野天満宮なのだろう。山の斜面にあるのにどうして「北野」などという野原みたいな地名がついたのか、以前は不思議に思っていたのだが、この天満宮の存在を知ってからは納得がいった。

とすると、この「北野」は京都の北野天満宮から来ているわけで、ちょとおどろおどろしい感じがする。
藤原氏の陰謀から九州の太宰府に流されて死んだ菅原道真の霊が天変地異などの祟りをもたらしているというので、神として祀ったのが京都の北野だ。

その後、道真は天神様として全国で祀られるようになった。道真が天才的に頭がよかったらしいことから、学問の神様とされているが、東京の湯島天神などは平安時代に平将門をリーダーとする関東の武士団が、朝廷に対する反感、独立のシンボルとして道真の子孫を招いて建立したと伝えられている。

裏日本史では道真は高句麗の残党が沿海州に建設した渤海という国から渡ってきた騎馬民族系の豪族で、すでに権力を握っていた百済系の藤原氏との権力闘争に敗れたのだという説がある。この説によると、天神信仰は渤海からの移民たちによって日本全国に広がったとされる。

この移民たちが平安時代を通じて日本各所に定着し、朝廷支配の衰退と混乱に乗じて地方で権力を握った。それが武士であるうんぬん……。

天満宮の階段を登ると、神戸の街を見下ろす展望台がある。

どんよりと暗い雨雲の下に広がる神戸の街は陰鬱だ。振り返れば墨絵のような雲が流れる山並み。

気分は一向に晴れ晴れとしてこないが、それでも道真や将門と渤海から渡ってきた騎馬軍団のことを想像すると、なんとなく元気がわいてくるから不思議だ。

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ジャイナ教寺院の前を通りかかった。
さすがに好奇心だけでお参りする勇気はないので、軽く手を合わせて通過。

このあたりにはたしかイスラム寺院やユダヤ教会もあるはずだ。
さすが国際的な港町。
いろんな国籍・宗教の人たちが昔から共存している。

ぼくが通った中学高校はカトリック系だったが、
神戸の国際性は自分の人格形成にけっこう影響しているような気がする。

学校には外国人神父がたくさんいたし、
バスケットボール部で初めての試合はカナディアンスクールだった。

今、海外ニュースにネタを提供しているローマカトリックの聖職者による少年セクハラ問題も、カトリック系男子校ではごくあたりまえのことだった。もちろん仲間内で語る以外はタブーだったが。

軍隊でも刑務所でも修道院でも男子校でも、異性との接触を遮断し、性欲を抑圧する組織はとかく異常性欲の温床になる。

そんな異常な環境で多感な十代を過ごしながら、基本的な知識を身につけ、価値観を形成していったのだから、今から思うと不気味な感じもするが、それでも山の中腹にある学校では豊かな自然に囲まれた牧歌的な日常もあったし、日々新しい知識に出会う感動もあった。

学校附属の礼拝堂で行われるミサは自由参加だったが、一学年約160人中4分の1くらいが洗礼を受けた。純真な子供をだますのはたやすい。ぼくはもちろん洗礼も受けなかったし、これまた自由参加だった放課後のキリスト教的お説教にも参加しなかった。純真じゃなかったからだろうか?

新約聖書は一応読んだし、そこに出てくるちょっと過激なキリストは好きだった。堕落した街のユダヤ教会に乗り込んでいって、そこで商売をしてるやつらの店をたたきこわしたりするのだ。

ユダヤ人社会で告発され、当時ユダヤ王国を支配していたローマ帝国総督の許可によって死刑にされたキリストは、たぶんそれが事実だとしたら、聖書に書かれている以上に危険なことを色々したんじゃないかと想像していた。

ミサには出なかったが、学校の行事にはミサまがいのセレモニーがあったので、そこで賛美歌をよく聴かされた。生徒の多くは賛美歌を歌えるようになっていったが、ぼくはいつまでたっても聴いているだけだった。

ひとつ覚えているのは中学に入学して間もない頃、賛美歌にまじって「We Shall Overcome」という、アメリカ公民権運動の歌を歌わされたことだ。マーチン・ルーサー・キング牧師のことはよく知らなかったが、1966年のことだから、彼はまだ生きていた。暗殺されるのは1968年のことだ。

この歌だけはすぐに覚えて歌えるようになった。もしかしたらミサまがいの行事ではなく、英語の授業か何かで歌ったからかもしれない。英語の歌はほかにも「漕げよマイケル」なんかも歌った記憶があるが、これはミサっぽい行事にはそぐわないから、たぶん英語の授業だったのだろう。歌の好き嫌いというより、英語で歌うことがものめずらしく、楽しかったのかもしれない。

学校にはアメリカのフォークソングを英語で歌う先輩たちや神父たちがいて、自然と「花はどこへ行った」「ドナドナ」「500マイル」みたいな反戦歌を歌うようになった。カトリック教会は保守的な組織だが、公民権運動やベトナム反戦運動には理解を示していたのだろうか。学校でもロックは不良の音楽で、エレキギターは禁止だったが、フォークソングは文化祭でよく歌われていた。

翌1967年になると仲間内でビートルズやローリングストーンズを聴く連中が増えてきた。
ビートルズはまだ解散していなかった。来日はその2年前で、女の子がキャーキャー騒ぐアイドルバンドというイメージが強かったので、ぼく自身はあまり好きじゃなかったが、その頃になるとライブ活動をやめて、「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ」といった、アーティストっぽいアルバムを出すようになっていたので、男子中学生のあいだでもファンが増えつつあった。
ローリングストーンズは「サティスファクション」くらいしか知らなかったが、セックスを露骨にうたう不良バンドという程度の認識だった。

一番驚いたのは、友人の家でジミ・ヘンドリクスの「紫の煙」を聴いたときだ。
紫の煙というのはマリファナの煙のことで、ドラッグ体験を歌っていると教わったので、おそろしく不健康なやつなんだという印象を受けたが、それでも音楽自体は強烈に自分の中に入ってきた。アルバムは「エレクトリック・レディ・ランド」という、意気込みだけが空回りしているような前衛音楽的なものが発表され、代表作とされるようになったのだが、いまひとつ興味が持てず、その後はクリーム(エリック・クラプトンがいたバンド)を経て、古い黒人のブルースを主に聴くようになり、ぼくのロック体験はごく短期間で終わってしまった。

ジミ・ヘンドリクスと再会するのは、彼が1970年に死んで、続々とライブアルバムが出てからだ。そのときぼくは初めて彼がただドラッグに溺れて破滅的な音楽を奏でた男ではなく、人種差別やベトナム戦争や欧米主導の社会が生み出す歪みと向き合い、そういう時代に生きる人間の気持ちを歌うアーティストだったことを知った。

彼が酒とドラッグをやっていたことは事実らしいが、「紫の煙」の歌詞を見てみると、ただドラッグ体験を歌っただけの歌ではなく、社会の矛盾が人間に強いる混乱や不安を素直に表現したものだということがわかる。だからこの歌は何十年たっても人の心を打つのだ。

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この神戸散歩のあいだ、ずっと「紫の煙」を口ずさんでいたので、
以下、歌詞と自分なりの訳を書いてみます。

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Purple Haze

Purple haze all in my brain
Lately things just don’t seem the same
Actin’ funny , but I don’t know why
‘Scuse me while I kiss the sky

Purple haze all around
Don’t know if I’m comin’ up or down
Am I happy or in misery ?
Whatever it is , that girl put a spell on me

Help me help me
Oh no no ... no

Purple haze all in my eyes
Don’t know if it’s day or night
You’ve got me blowin , blowin my mind
Is it tomorrow or just the end of time?

No , help me aw yeah! oh no no oh help me


 -----Lyrics by Jimi Hendrix----



紫の煙

紫の煙がおれの意識の中に
充満してからというもの
すべてがちがって見える
やることなすこと変てこで
しかもどうしてそんなことするのか
自分でもわかんない
ごめんよ、ちょっと、空にキスするからね

紫の煙がおれのまわりに立ちこめて
自分がどっちに動いてるのか
幸せなのか惨めなのかもわからない
どっちにしてもあのねえちゃんが
おれに呪いをかけやがったんだ

助けてくれ 助けてくれ

おれの視界の中に立ちこめる紫の煙
昼なのか夜なのかもわからない
おれを吹き飛ばしてしまいそうだ
おれの意識の中で
それって明日?
それともこの世の終わり?

     

神戸散歩13〜北野へ

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冷たい小雨が降る中、北野の異人館街へ坂を登る。

季節はずれの寒さと雨の中をわざわざ歩かなくてもいいじゃないかと思いつつも、足は自然と山へ向かってしまう。

中学高校の6年間、神戸の街を見下ろす山の中腹の学校に通い、数え切れないほど街中も歩いたが、神戸を歩くという行為は、ぼくにとって山を見上げながら坂を登ることであり、坂の上から街と海を見下ろすことだった。

晴れた日の六甲山系の眺めもすばらしいが、雨の日に雲で覆われ、中腹を霧が流れる山の姿もなかなか美しい。
この日も、六甲山系は上の方が半ば雲で隠れ、その下をゆっくりと霧が流れていた。

山の中腹にあった学校は、こういう天気の日には雲の中にすっぽり入ってしまう。教室の窓の外には、雲というより、真っ白で生クリームのように濃い霧が漂っていた。そんな雲/霧を思い出すと、雨で足先が冷たく濡れようと、傘をさす手がかじかもうと、坂を登らずにはいられない。

山のひだをなめるように移動していく雲/霧が、立体的な山水画を描きだす。

電線や住宅がじゃまをして、いい絵が撮れないのはわかっていながら、何度も足を止め、傘を放りだしてカメラを取りだし、写真を撮る。

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トアロードを山手の方へ歩く。

JRのガード下には、内側の物販店街のほかに、北側の飲食街がある。
こちらは北側が通りに向かって露出しているのだが、かなり奥まっていて、しかもまともな照明がないのでトンネルみたいに暗い。

飲食店といっても、戦後の青線みたいな雰囲気を残す、いかがわしい感じの汚い飲み屋が多くて、昔は歩くのがこわい感じの場所だったのだが、今は店もこぎれいになり、女性でも安心して歩けるようになった。

それでも南側や内側の物販店街とちがって歩く人が少ないのは、この暗さのせいだろうか。

かつて三宮から元町にかけて線路の北側には、やはりちょっとこわい感じの飲み屋街・飲食店エリアが広がっていて、その中にジャズ喫茶が何軒かあった。

1970年から72年にかけての高校時代、よく仲間とジャズ喫茶に通った時期がある。

ジャズが好きというより、薄暗い店内の雰囲気とコーヒーやたばこの香りがかっこいいと思えたからだ。そこでかっこつけてたばこを吸い、コーヒーを飲み、ときにはコークハイ(ウイスキーをコーラで割ったもの)みたいなアルコールを飲んだりして、大人になったような気分を味わったものだ。

その後、ふたたびジャズを聴くようになったのは30代になってからだが、それもジャズが好きになったというより、懐メロ的な癒やしを求めてのことだった。

今でも、繰り返し聴くのは高校時代に聴いたことがある曲ばかり。

人間、過去にしがみつくのは楽だが、そんなことをしてると、感性が硬直してしまう。

そんな反省をしながらもう何十年も生きている気がする。

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