イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

しまなみ海道2010春

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11:30、村上水軍博物館を出て尾道方面へ引き返す。
四国方面に向かえば、あと少しでしまなみ海道完全制覇できるのだが、そうなると尾道から今日中に次の目的地岡山まで移動できる確証がない。

それでも行ってしまえばなんとかなるのかもしれないが、いつも行き当たりばったりで旅をするわりに、岐路に立つと消極策を選んでしまう。この臆病さが自分らしいとも言えるが。

あっというまに伯方島を通過して、12:00過ぎ、大三島に戻る。

荷物をコインロッカーに預けた道の駅で天ぷらそばの昼食。
けっこう待たされた。典型的なドライブインレストランなので、味は期待してなかったのだが、黒っぽい、コシのあるそばに、さっぱりしたつゆが意外とうまい。

1:00、大三島を出発。
写真も撮らず、びゅんびゅん飛ばしたら、あっというまに生口島・因島・向島を通過して、3:10に尾道行きのフェリーに乗ることができた。予定より1時間近く早い。

こんなに早く着けるなら、やっぱり来島海峡を渡って、四国・今治にタッチしてくるべきだった……などと悔やむ。じぶんのビビリ癖を後悔するのもいつものことだ。

しかし、このKHSの折りたたみ自転車、本気出すとかなりスピードが出る。
途中、いかにも初心者のローディーを置き去りにしたときは気持ちよかった。
このへんが大人げないとも言えるが、自転車ツーリングの醍醐味はやっぱりスピードだとあらためて感じた。

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村上水軍博物館で何か祈念になるものでも買おうかと、売店をのぞいてみたが、これからサイクリングで尾道まで帰らなければならないことを考えると、荷物が増えるのは、たとえ数百グラムでもきつい。

で、記念に愛媛名産・伊予柑のシャーベットを購入、その場で食べた。

食べてしまえばかさばらないからね。

疲れたからだに冷たいシャーベットがしみる。

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村上水軍博物館で一番の発見は、このしまなみ海道を構成する島々が城だらけだということだ。

まあ、瀬戸内海の交易路をおさえて、通過する船からカネやモノを巻き上げようというのだから、ただ関所を設けるだけではだめなわけで、武力を行使できる軍事拠点が島ごとに必要だったのだろう。

戦国時代には、この海域の制海権をめぐって、台頭してきた大内などの戦国大名と戦っているから、城は重要な役割を果たしたにちがいない。

戦国末期、織田信長が大坂の石山本願寺を包囲して兵糧攻めを続けたとき、村上水軍は反織田連合の毛利氏に協力して、織田軍との海戦に勝ち、石山本願寺に兵糧を供給することに成功している。

このころまで毛利氏に対しては独立を維持していたようで、豊臣政権の時代になると、地域の所領を安堵されて大名になる村上氏も出た。

江戸時代になると、広島側の村上氏は毛利家の家臣になるのだが、その海運インフラとノウハウで、独自の地位を保ち続けたようだ。

ぼくはこれまでの人生で何人か、広島出身の村上という人に出会ったが、そのうち2人はものすごい資産家の息子/娘で、どちらも水軍の村上氏の子孫だということを、さりげなく誇りにしていた。

今回は大山祇神社探訪が主目的だったが、次回は島々に点在する城の遺跡を訪ねるサイクリングをしてみたいものだ。

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すみません。

博物館関係者の方、

しまなみ海道の島々にどれだけ城が多いか、城がどんなだったかを紹介したいので、ちょっとだけ、博物館の展示を写真で紹介させてください。

クレームがあればすぐ削除しますが、できれば大目に見ていただけるとありがたいです。

……と書いてみても、読んでもらえないか……。

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やっと村上水軍博物館に到着。
けっこうでかい。
水軍の頭領なのか、こわそうな男の石像が二体、海を睨んで立っている。
鎧らしきものを着ているようなのだが、戦国武将のそれとちがってなんとなくバイキングっぽいのは、時代考証に基づいたものなのか、それとも水軍=海賊=バイキング的なイメージでまとめてみたのか……。

展示はたくさんの模型やもりだくさんの図表・イラストで、村上水軍の活動や風俗を紹介している。めずらしく撮影自由なので、資料としてたくさん写真を撮った。(著作権的なものがあるので、紹介はしませんが)

展示は戦国時代の村上水軍が中心。それ以前、藤原純友の乱が起きた頃、このあたりの海の民がどんな感じだったのかも知りたかったのだが、平安時代の資料がないのか、一切触れられていない。

平将門の乱が関東武士団の反乱で、のちの鎌倉幕府につづく動きとして重要であるのに対して、藤原純友の乱は西国で海戦に強い勢力が起こした反乱なのだが、どんな部族が主役で、のちにそれがどう変化していくのか、いまいち見えにくい。

大三島の大山祇神社で見た言い伝えにあるように、神武東征に象徴される、九州から大和を征服した民族の先払いとして、瀬戸内の四国からこのあたりに進出した部族があり、それが鎌倉時代の蒙古襲来で活躍した河野一族などにつながっているとすれば、歴史的にとても興味深いものがあるのだが。

博物館の最上階は、さっき渡ってきた伯方・大島大橋や、村上水軍の一大拠点だった能島(のじま)が見渡せる造りになっている。床には瀬戸内海の航空写真。

写真で俯瞰してみると、あらためてしまなみ海道を形成する島々が、尾道から四国・今治までの瀬戸内海をほぼびっしりふさいでいるのがわかる。これだけ島々がかたまっていれば、あいだを通る水道さえおさえれば、海上交通を支配できる。

検問所を設け、通行税を取って稼げるし、逆らうやつは武力で船ごと沈めてしまえる。

バイキング的に海外に出かけていって略奪する海賊ではなく、自分たちの領土・領海を支配して、海上交通・交易から利益を得ていたわけで、その意味では、海賊と言うより地方豪族と呼ぶべきなのだろう。

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村上水軍博物館めざして海沿いを走る。

途中に美しい瓦屋根の家を発見して立ち止まり、変わったかたちの鬼瓦をぼんやり眺める。しゃちほこみたいなものがぴんと立っている横で、瓦のえびす様が笑っている。上の屋根には翼のある龍みたいな怪物。瀬戸内の建築の特徴なんだろうか? それとも、ぼくが知らないだけで、地方にはこんな面白い建物がたくさんあるんだろうか?

もう少し行くと海沿いの小さな神社があった。またまた自転車を停め、ちょっとお参り。海沿いにある神社には独特の力が備わっているように感じるのはなぜだろう? 海は外国に通じていると考えるのは近現代人であって、われわれの中にひそんでいる古代人は、あの世に、神々の国に通じていると感じているのだ。海に建つ神社はあの世からやってくる神々をもてなす玄関なのかもしれない。

さらに少し走ると、またまた美しい板張りの家があった。昔の商店建築のように見える。独特の装飾がなんともいえない。
気持は急いでいるのだが、自転車を停めて何枚も写真を撮る。

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