イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

しまなみ海道2010春

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宮浦港で何枚か写真を撮る。海風に錆びた建物が美しい。

それから旅館で海際にあるスーパー銭湯のタダ券をもらったので寄ってみた。
海水をわかした風呂が名物とのこと。
旅館の風呂は狭くて温泉でもないから、タダなら広い風呂で海を眺めながら湯に浸かった方がいい。

中はすいていた。平日の夕方4時過ぎだからあたりまえだ。お年寄りが数人、のんびり露天風呂や海水風呂に浸かって海をながめている。

すぐとなりに「伯方の塩」の工場がある。
伯方島はこの大三島のとなりの島だが、工場はこっちにあるらしい。それなら「三島の塩」でもよさそうなものだが、「伯方」にしたのはこっちの方が響きがいいからだろうか、それとも昔から伯方島は塩で有名なのだろうか。

いずれにせよ、東京でもメジャーな海塩はここで作られているのだ。
海の塩ならどこで作ってもよさそうなものだが、瀬戸内海の海水は特別おいしいのだろうか?

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少し自転車を走らせると、阿奈波(あなば)神社という小さな神社に着いた。

大山積大神の娘・磐長姫命(イワナガヒメ)を祀っているとのこと。長寿・子宝祈願の神社として知られているらしい。大山積大神の娘なら大山祇神社に一緒に祀ってもよさそうなものだが、たぶん大和朝廷がこの島に大山祇神社を整備する前から、ここに神社があって、周辺住民の信仰を集めていたのだろう。

夫婦でお参りすると子宝に恵まれるということだが、本殿わきの小屋には大小様々な男根が奉納してある。近代日本はこういう素朴な生命信仰をワイセツなものとして排除する傾向にあり、土地によってはその手の遺物を秘法館的な施設にあつめて、ユーモアを交えた観光名所みたいな演出をしているところもあるが、ぼくはそうしたねじくれた感覚がきらいだ。

秘法館的な演出をする土地の人たちは、こうした遺物が素朴で真面目な信仰から生み出されたことを知っていながら、近代のよそ行きな倫理観の手前、その趣旨を隠し、伝統をゆがめてしまっている。

こういう建前と本音の二重構造は多かれ少なかれどの国/地域にもあるものだが、かつては未開の迷信、遅れた文化とされたものも、20世紀後半から次第に見直されつつある。帝国主義的植民地支配の時代が終わり、地球環境破壊の危機が自覚されるようになるにつれて、近代化=進歩=正義という単純な価値観が崩れ、多様な価値観が共存するようになった。

他民族・異文化の価値観を認めるのは、ときとしてしんどいことではあるが、自分の狭い価値体系から自由になれるというメリットもある。
同じように自分の先祖が共有していた価値観、近代以降未開の文化として切り捨てられていた価値観に思いを馳せることで、自分の世界をより豊かにすることができる。

正直なところ大きな木造の男根は、ぱっと見生理的に違和感があるが、その違和感の先にこそ、医学が未発達で、栄養も乏しく、種の存続が今よりずっと困難だったじだいから、自分たちの生命をつないできた祖先たちの思いがあるのだ。そうした思いを感じると、なんだかほっとする。

海際には屋根付きの舞台みたいな、船着き場みたいな休憩所があった。
海際に自転車を停めて、しばし海とむこうの島々を眺める。

大きな神社より、こうした最果て的な雰囲気にある神社の方が、より先人たちの信仰をリアルに感じることができるのは、美しくもあり厳しくもある自然から発せられるオーラのせいだろうか。

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シャッター通りを抜けて宮浦港に出た。
人っ子ひとりいないわびしい港だが、夕方前のまぶしい陽射しが降り注いでいるせいか、漂うムードは明るい。これが豊かな瀬戸内海の明るさでもあるのかもしれない。

まだ真新しい感じの白っぽい石の大鳥居が海から来た参詣者を出迎える。
十年ほど前に橋が完成してしまなみ海道が中国地方と四国を結ぶまでは、ずっと船がこの島に来るための唯一の交通手段だった。新年や節目節目の行事の折りには、さぞかしたくさんの参拝者・観光客がこの港に降り立ったのだろう。

石灯籠が並ぶ参道も、今はシャッター通りと化しているが、当時はもっとにぎやかだったにちがいない。

今は参詣者も観光客も車で橋を渡ってやってくる。さっき桃の花を眺めた無料駐車場や道の駅に車を停め、お参り・観光をすませてさっさと帰って行くのだろう。地図によると旅館は何軒もあるらしいが、車でやってくれば自分のタイミングでいつでも島を出て行けるから、宿泊者も激減したに違いない。

しまなみ海道は人や物の行き来を活性化させるのには役立ったかもしれないが、その陰ですたれていく街もあるのだ。

小さな港をぐるりと回り、海をはさんで桟橋と鳥居を眺める。無人の桟橋の真新しい赤い柱がなんだかもの悲しい。

はるかむこうにさっきの三角錐の岩山が見える。
この角度から見ると背後の山が近すぎて、独立した峰のインパクトがやや薄れてしまうが、それでもやはり何かしら神々が住んでいそうな山だ。

昔の人は海からこの山を眺めて、この島には神々がいると感じたはずだ。

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そろそろ午後3時を過ぎたので、昨日予約を入れておいた旅館に行ってみた。こぢんまりした入り口だが、このあたりで一番の老舗だという。

宿帳に記入し、お茶をいただき、荷物を置かせてもらい、まだ外は明るいので、自転車で散歩に出る。

旅館の前の通りは、港から大山祇神社へ続く参道になっていて、両側に石灯籠が並んでいる。昼過ぎにも通った道だが、人通りはほとんどなく、店も多くは閉まっている。平日だから閉まっているというより、恒常的にシャッター通り商店街化しているようだ。

中には閉店しているというより、文化財的な建物が朽ちて廃屋みたいになっているところもある。日本総鎮守の神社も、近代化の中で参詣客が減り、町も衰退してきたということだろうか。

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大山祇神社の参拝を終えて、自転車を停めさせてもらった和食店の駐車場に戻ろうと歩いていると、国宝館のうしろに見事なピラミッド型の山が見えた。

ほかの山々がやわらかいかたちでつながっていて、樹木に覆われているのに対して、この山だけは岩がむきだしで、しかも美しい三角錐型をして、独り屹立している。

大山祇神社との関わりは特にわからないのだが、なんとなく神々が降り立ちそうな山だなと感じた。古代の信仰というのは山や巨木など、自然の中に神が宿ると考え、そうした自然を拝むところから出発した。とすれば、大山祇神社がここに建てられる前、このあたりの瀬戸内の住民がこの山をご神体として拝んでいたとしても不思議はない。

もしかしたら神武天皇東征に象徴される民族の移動・征服が行われたとき、この島に拠点が築かれたのは、ここが瀬戸内海の交通の要衝だっただけでなく、もともとこの山や原生していた楠の巨木群が、この海域の民に広く信仰されていたからではないだろうか。

そんなことを考えながら自転車を回収し、神社の周辺を移動しながらこのピラミッド山を眺めた。見れば見るほど神々が宿りそうに見えてきた。


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