イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

しまなみ海道2010春

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太いしめ縄が張られた大きな門をくぐって回廊の中に入る。
楠ほか植物の生命力が支配していた回廊の外と打って変わって、そこは空白が支配する聖域だ。春の陽射しが降り注ぐ地面はまぶしく白く、そこに宿る空気がまるで真空であるかのような印象を与える。

正面に拝殿、そのうしろに祭神が鎮座する本殿。回廊も拝殿も元々は白木で、時がたった今は火山岩のように黒ずんでいるが、背後に隠れている本殿と左右の上津社・下津社だけは朱色だ。神が宿る本殿が、中国大陸・朝鮮半島を連想させるデザインになっているのは、大山積大神が海を渡ってきたことを暗示しているのだろうか?

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楠の古木のそばに、黒っぽい長屋のような倉庫のような建物があった。

伊予の国の神々を集めて祀っている祠らしい。つまり神々の長屋だ。

主祭神以外の神々を境内に祀っている神社はいくらでもあるが、
たいていはそれぞれ独立した祠を建て、小さな鳥居や旗も立てたりしている。
こんなふうに仏教寺院の修行棟や倉庫みたいな建物に、神々をまとめているのは初めて見た。

それぞれの戸は閉まっていて、しめ縄も鐘も賽銭箱もなく、
参拝を頑なに拒絶しているようにも思える。
これもほかの神社とちがうところだ。

たいていの神社では小さな祠にも賽銭箱があって、ひとつひとつお参りしていくと、
けっこうな小銭が必要になる。

立て札の解説によると、この長屋/倉庫、平安時代の様式で、
その後室町時代に建て替えられたものというから、
けっこう貴重な建物だ。そうと知ると、長屋/倉庫がありがたく感じられたりする。

そういえば苔むした藁葺き屋根も、細めの柱もなかなか美しい。

そもそも昔の神社建築は、ガツガツ賽銭を要求したりしなかったのだろう。
中に鎮座しているらしい十七座の神々にもゆとりと優雅さが感じられる。

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大山祇神社は楠で有名らしい。

境内のあちこちに、巨木がうねるように生えている。

中でも有名なのは、神武天皇東征に先駆けてこの島に神社を建設したという小千命/乎千命(オチノミコト)が植えたと伝えられる大楠だ。鱗状の模様を纏った幹が恐竜のように筋肉をうねらせて空にのびる様は、神々しいというより、なんだか不気味な化け物のようだ。これが樹齢2600年。

もっと古いのが樹齢3000年、日本最古の楠といわれる能因法師雨乞の楠だ。
こちらは平安時代に伊予の国が干ばつに見舞われたとき、国守が能因法師を派遣して雨乞いをさせたところ、三日三晩雨が降ったという伝説がある。
太い幹は折れて傾き、流木みたいに崩れているが、その背後から新しい幹が伸び、枝葉を伸ばしている。その生命力自体が神秘的だ。

この樹齢3000年とか2600年というのが、科学的な調査に基づくものなのか、それとも神武天皇即位から計算すると今が2600+何十年だから、大体このくらいだろうということなのかよくわからない。

まあ、神武天皇自体が神話上の人物だから、そのへんはあいまいでいいのかもしれない。

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門から奥に進むと、楠の古木が境内のあちこちにある。
中には平安時代あたりからここに生えているらしいものもあり、
不思議な雰囲気を醸し出している。

境内に立てられた神社の由緒書きを見ると、

「御祭神は大山積(オホヤマツミ)大神一座で天照大神の兄神に当たらせられる」とある。

つづいて、
神武天皇の祖父・天孫瓊々杵尊(ニニギノミコト)が高天原から降臨したとき、
この大山積大神が娘の木花開耶姫尊(コノハナサクヤヒメ)を后妃として差し出し、
「国を奉られたわが国建国の大神であらせられる」とあるのだが、

瓊々杵尊はそもそも天照大神の孫だから、
御祭神の大山積大神が天照大神の兄神なら、天上/高天原の神であって、
地上で瓊々杵尊を迎えて娘を差し出したというのはちょっとおかしい気もする。

たしか出雲神話でも、天照大神の弟である素戔嗚尊(スサノオ)が、
大山積大神の子である足名椎命(アシナヅチ)から娘のクシナダヒメをもらいうけているから、
たぶんもともと大山積大神は地上の神で、
高天原からやってきた天孫族にいちはやく降伏して、征服を手助けしたのだろう。

もしかしたらその功績によって、あとから天孫系の神々に加えられたのかもしれない。

この大山積大神がこの大三島に鎮座されたのは、
瓊々杵尊の子孫である神武天皇が九州から大和を征服するために東征したとき、
大山積大神の子孫である小千命が、まず四国に渡って拠点を築き、
瀬戸内海の要衝であるこの島に大神を祀ったことに始まるとのこと。

う〜む。
神様レベルで語るとなんだか難しいが、
たぶん神武天皇の先祖がまず朝鮮半島から海を渡ってきて九州/宮崎あたりを征服し、
(瓊々杵尊が降臨したという高千穂峰の近くに韓国岳(からくにだけ)という山があったりするのは、
このあたりの事情を暗示しているんじゃないかとぼくは前からにらんでいる)
ここを拠点に大和つまり今の奈良を中心とした近畿エリアに進出しようとした。

その征服の過程で、四国や瀬戸内海のこのあたりの島々に拠点を構築したということなのだろう。

こうした歴史的起源によってこの神社は、
日本総鎮守、日本の総氏神として、皇室から国民一般に崇拝されてきたとのこと。

奈良時代までにはすでに全国に多くの分社/三島神社が築かれたという。
静岡県の三島にある三島神社もそのひとつだ。

この大山祗神社が有名なのは、国宝である斉明天皇の銅鏡や、
源頼朝・義経の鎧兜など、歴史上名だたる武将たちの鎧兜・刀剣類が、
たくさん保管されているからだ。

国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の実に8割がここにあるという。

平安末期から鎌倉・室町期の武将たちがどうしてこの瀬戸内海の小島に集中しているのか、
驚きであると同時に大きな謎でもある。

皇室ゆかりの神社、王侯貴族から武士・庶民まで広く信仰を集めてきた神社は、
伊勢神宮から熊野大社までほかにも色々あるからだ。

もしかしたら、九州から大和の征服に成功した神武天皇にあやかって、
国家権力をかけた戦いの祈願や勝利の感謝には、
ここ大三島に何かを奉納するのが、
古くから権力者たち/権力を握ろうとした連中の慣例だったのかもしれない。

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自転車を和食店の駐車場に置いたまま、大山祇神社をお参りする。

美しい狛犬がいる石の大鳥居をくぐると、真新しい白木の門が見えた。建て替えたばかりらしい。

左手には馬屋。
昔から神社の聖域に入るときはどんなに身分が高い人間でも馬を下りるのがしきたりで、
鳥居の手前に「下馬」とものものしく彫った石柱が立っていたりするものだが、
入り口に馬屋がある神社は初めてだ。
しかも「神馬舎」と書かれた札がかかっている。

もしかしてこれは参詣者が乗ってきた馬のためではなく、
この神域で飼われている馬の小屋なのだろうか?
まあ、昔はこの島にお参りにやってくるのに、
武士といえども船で来ただろうから、
外来者の馬を入れる馬屋は必要なかっただろう。

右手には小さな田んぼ。
「斎田」という札が立っているから、神様にお供えする米を育てているのだろう。

神馬のための馬屋と神様のための田んぼ。

う〜む。
瀬戸内海に浮かぶ島の神社だから、なんか海洋民族の神様らしい聖域を想像していたのだが、
騎馬民族に征服された稲作国家という、
なんだかとても大和政権的なムードが漂っている。


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