国分寺から南側に吉備路サイクリングロードというのが走っているのが見えた。
総社駅の方から岡山市方面まで、
吉備路の史跡を結びながら続いているらしい。
あざやかな菜の花畑を眺めながら、サイクリング再開……と思ったら、
もう次の史跡である国分尼寺に着いてしまった。
国分寺とペアで建てられた尼寺だが、
国分寺の方が火災で崩れた建物を再建したりしながら、
今日まで残っているのに対して、
国分尼寺の方は森の中に礎石が残っているだけの完全な廃墟。
尼さんのなり手が少なかったからだろうか?
国分尼寺跡はあちこちで目にするから、
奈良時代、全国に国分寺が創られたときは、
尼寺も必ずペアで創ることという方針が貫かれたのかもしれない。
そう考えると、奈良時代は女性がけっこう重んじられていたのかなという気がする。
庶民はともかく、古代にはやたらと女帝が多い。
聖徳太子の時代の推古天皇とか、
天武天皇のあとに皇后から天皇に即位した持統天皇とか、
奈良時代にも孝謙天皇がいる。
聖武天皇の妃・光明皇后は、
天皇に即位してはいないものの、
夫の聖武天皇と並んで、奈良時代の仏教普及運動の中心人物だったという。
国分寺+尼寺というペア構想は、
光明皇后の影響が反映されているのかもしれない。
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