イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

粘膜で触れる世界

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アブノーマルな文学的感性によるエッセー・社会評論
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新宿中央園の全裸男

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西新宿で取材があったので、
久しぶりに新宿中央公園を歩いて現地に行った。

緑が豊かな、美しい公園。
OLさんたちがランチを食べている。

その奥にホームレスエリア。
全裸男の彫刻もブルーのビニールシートの波に呑み込まれようとしていた。
撮影はできなかったが、
彫刻の両側には、
顔をこわばらせたふたりのホームレス氏が、
上半身裸で新聞を読みながら、日光浴していた。
威厳に満ちた顔だった。
あるいは一種の殺気を感じさせる顔。

かつてぼくに仕事をくれていた小さな制作会社の社長も、
最近ホームレスになったという噂をきいた。

彼は今どこにいるのだろう?

粘膜でできた国境

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仕事のついでに靖国神社参拝。

ここには見えない国境がある。
国を守るために死んだ兵士たちが神として祀られる場所。
それは侵略された国々から見れば、侵略装置の一部だ。

朝日新聞の調査では、首相の靖国神社訪問に52%が反対しているという。
理由は「周辺国への配慮」。
一方、「外国に言われてやめるのはおかしいから続けた方がいい」という意見もある。
ここにも見えない国境。

この国境は感じやすい粘膜でできている。

そもそも江戸時代の鎖国をやめ、欧米流のスタイルを受け入れて、
近代国家の道を歩み始めたときから、
日本人はこの粘膜にストレスを感じながら、アジアの優等生をめざしてきた。

欧米列強に並ぶためには、アジアのリーダーになるしかない。
アジアの植民地化には、その意識がはたらいていた。
それが欧米列強との摩擦を生み、
やがてアメリカによる経済制裁、国際連盟脱退、日米開戦へとつながっていった。

東条英機の娘さんがテレビで「あれは防衛戦争だった」と言っていた。
対欧米という意味ではそうだったのだろう。

しかし、植民地化されたアジア諸国にとっては、そんなことは問題ではない。
日本による侵略は侵略だ。

この侵略について、ある人と話したとき、
「当時は欧米も植民地支配をしてたんだから、日本だけが悪いわけじゃない」
といった意味のことを言っていた。

欧米もやってたんだからいいじゃないかというわけだ。
その視点は欧米しか見ていない。
そこには一種の欧米・白人コンプレックスがあるような気がする。

中国や韓国に対する弱腰外交を「土下座外交」と呼ぶ人もいるが、
アメリカ軍に占領されたままの状態のことをなぜ「土下座外交」と呼ばないのだろう?
そこにも白人コンプレックスがあるのかもしれない。

人間誰しも感じやすい粘膜をさらしながら生きていくしかない。
個人的な粘膜もあれば、家族やコミュニティーごとの粘膜もある。
一番大きな粘膜のカプセルは国家と民族だ。

そのひりひりする感触に耐えながら、他人を思いやり、
平和に暮らしていくのはなかなか大変だ。
しかし、資源も核兵器も持たない日本人にとって、ほかに道はない。

SMというものに興味を持ったのは高校生の頃だった。
きっかけは覚えていない。
マルキ・ド・サドやザッヘル・マゾッホといった本家の文学を読んだのは大学に入ってからだ。
1970年頃、ちょうどSM雑誌というものが次々発刊されたのは事実だが、それはきっかけというより、SMをのぞくためのメディアだった。

SMに惹かれる人間には内なる動機がある。
たとえば家族関係や学校、仕事などで過度のストレスから神経系を破損したりすることによって生じる心の亀裂。そこから死への衝動が性欲のラインにショートしてつながる。

死への衝動はもともとあるものだし、それは色々姿かたちを変えて人間の、世の中のさまざまなことに影響を与えているのだが、性欲と短絡した死への衝動もそのひとつだ。

性は生物が命を継続していくためにある仕組みだから、本来は生きようとする衝動のはずなのだが、人間はあいにくネガの世界を持っていて生きようとする衝動と背中合わせに、死への衝動を抱えている。

なぜそうなのかを説明すると長くなるので、興味ある人はフロイトとかマルクーゼとか、精神分析関係の本を読んでください。

とにかく死への衝動が性欲と短絡すると、性的対象をいためつけることが快楽になる。対象が他人ならSになり、自分ならMになる。

よく、人間はSかMどちらかの素質を持っているという人がいるが、ぼく自身の経験から言うと、どちらになるのかは性的対象のベクトルの違いで、人間はどちらにもなりうる。事実ぼくはどちらでもあった。

そのへんの体験談をするつもりはない。
ただ、SMには単なる性的嗜好以上の問題が隠れている。

それを意識するようになったきっかけは自分の小説にSMがどんどん入り込んできたことだ。
中学生の頃はチャールズ・ディケンズとかヘンリー・フィールディングとか、ヴィクトル・ユーゴーとか、19世紀ヨーロッパのオーソドックスな小説のまねをしていたのだが、高校生になって作風がすっかり変わってしまった。

日本文学におけるSMの元祖ともいうべき谷崎潤一郎が好きだったことは事実だが、SM的要素はそこから来たのではなく、むしろ自分の中からわき出てきた。
感じやすい思春期の迷いだったのかもしれない。
キリスト教の学校で6年間過ごしたせいかもしれない。
キリスト教、とくにカトリックは性と生命にたいして抑圧的だ。それが感じやすい子供の心に亀裂を入れたのかもしれない。

しかし、そのうちSMがそういう個人的なこととは別の次元で重要だと気づいた。
人間社会にはSMが氾濫していると。
別に今みたいにSMが流行った訳じゃない。1970年代初頭、趣味的SMはかなり日陰の存在だった。
しかし、世の中の仕組みのあらゆるところにSMはひそんでいた。

生徒・学生の自由を弾圧する学校にも、従業員を酷使する会社にも、アメリカ軍に占領されていながら「日本はアメリカに守ってもらっている」と言い張る連中の脳みそにも。

性的な世界以外でSMを発見するきっかけになったのは、チャーリー・マンソン事件と連合赤軍事件だ。

マンソンはアメリカのヒッピーくずれで、数人の女性たちをへんちくりんな教義とセックスで支配して、「ファミリー」と呼ばれるカルトっぽい集団を形成し、カリフォルニアをうろついたあと、新進気鋭の映画監督だったロマン・ポランスキーの家を襲撃して、奥さんで女優だったシャロン・テートとその友人を虐殺した。当時妊娠中だったシャロン・テートの腹にフォークを突き立てるような残忍な殺し方だったが、手を下したのはファミリーのメンバーで、マンソン自身ではなかった。オウムのようにマインドコントロールされていたのだ。

赤軍は学生運動に行き詰まった左翼が銃で革命を起こすことをめざして結成した組織だ。国外に脱出したグループが日本赤軍として活動したのにたいし、日本に残ったグループは他の組織と合併して連合赤軍として、群馬県の榛名山、妙義山の山小屋で武装訓練を始めた。
しかし、まもなく警察に摘発され、メンバーのほとんどは次々と逮捕された。一番最後まで逃げた数人が軽井沢の会社に保養所に立てこもったのがいわゆる浅間山荘事件だ。

この「武装蜂起」の失敗自体はたいしてぼくの興味を引かなかったが、浅間山荘事件の後、榛名山・妙義山の小屋から連合赤軍メンバーたちの死体がごろごろ出てきたことはショックだった。
彼らは「思想的に甘い」とか「その考え方は反革命的だ」とかいう理由で仲間を次々と告発し、リンチで殺していったのだ。

連合赤軍だけでなく、学園紛争の現場ではよく政治思想的な議論がリンチや粛清にエスカレートすることはよくあった。
しかし、せいぜい縛り上げて殴って怪我をさせるくらいで、仲間内で殺し合うようなことは、ぼくが記憶しているかぎりなかった。
連合赤軍のリンチで気味が悪いのは、告発された方が意外におとなしく縛り上げられ、反省の言葉を言わされ、場合によっては本気で反省しながら殺されていったことだ。告発する側も、内心はいやでも「革命思想」を疑われたくないので、被告を縛ったりなぐったり、食料を与えず真冬の山の中に裸で放置したりした。

どうして人間は組織をつくり、その組織のなかで自分たちの願望とは正反対のことをしてしまうのか?
しばしばそれをいやがるどころか、進んでそういうことをしてしまうのはなぜなのか?

それはオウム真理教などのカルトだけでなく、アメリカ合衆帝国のベトナムやアフガニスタン、イラク侵略についても言える。

SMとは人間社会の隠れた原理であり、性的嗜好としてのSMはむしろその個人的世界への反映にすぎないのではないか?
20歳くらいからぼくはそんなふうに考え始め、意識的にそういう小説を書くようになった。

Mの満足、Sの神経症

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イケメン監禁王子の事件でM女性が話題にのぼることが多いので、掲示板サイトやM女さんのサイト、ブログをいくつかのぞいてみた。

感じたのはSMも恋愛の範囲内なんだなということだ。
普通に出会ったり別れたりがあるし、別に「ご主人様」が勝手に「奴隷」を拾ったり捨ててるわけではなく、「奴隷」の方が「このご主人様ちょっとちがう」と感じてお別れさせていただいたりもしている。

目からウロコだったのは、「ご主人様」が鬱病や神経症を病んでしまって別れたというM女さんがふたりいたことだ。ひとりは経済的にも破綻してしまったらしい。
くわしい話は書いていないので、あまりうかつなことは言えないのだが、「ご主人様」というのは意外と大変なんだなということがうかがわれる。

ぼく自身も若い頃SM的恋愛を何度かしたからわかるのだが、うまくいってるかぎりにおいてはM側の方が絶対に幸せだ。S側がM側の気持を汲み取り、外部の不安から守りながら、快楽に導いてくれる。逆に言えば、S側にその能力がないSMカップルはうまくいかない。
M側から別れを切り出せなくても、S側が耐えきれなくなって逃げ出してしまう。

ぼくの経験から言うと、M側は自分から「ああして、こうして」とは言えないものだ。それはMのマインドと矛盾する。言えば自分が分裂してしまう。だからなるべくSの命令・仕打ちはなんでも受け入れようとするのだが、よほどできたSでなければMの願望をうまく引き出しながらリードすることはできない。へたをすると思いやりと加虐願望の矛盾で自分が分裂しかねない。

たぶん神経を病んでしまった「ご主人様」たちは、若いのにかなり無理して「奴隷」を完全庇護/支配しようと努力したのだろう。もちろんそれにはけっこう金もいる。行き着く先は精神と経済の破綻だ。

なんとなく「男はつらいよ」という言葉を思い浮かべた。別に男がSとはかぎらないが、M女さんたちの日記、コメントを読んでいると、安心しきって昔型の亭主関白男についていこうとする昔型の女性のずるさ、したたかさのようなものを感じる。

以前あるSMバーで、あるM女さんが「MはマンゾクのM、SはサービスのSよ」と得意げに言うのを聞いたことがある。合法的なSMではそうなるのだろう。

M女を包み込めないガキがS願望を満たそうとすれば、犯罪までいくしかない。
監禁王子は自分の妄想のカプセルにひきこもったまま王子様になろうとしたのだろうが、ひきこもったままでは所詮ひとり芝居にすぎない。
最初はなんとかついていこうとしたM女たちも、そのうちこいつが自分の「ご主人様」ではなく、自分の密室に閉じこもっているひきこもり少年だということに気づいてしまう。

王子がひきこもり小僧でなく、彼女たちをしっかり庇護し(M女は元々精神に亀裂を抱えているのだ)、お互いにちゃんとつながった上で支配していれば、もっと別の展開がありえたかもしれない。
もちろんそんなに無理したら、ひよわな監禁王子は発狂してしまっただろうが。

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 5月15日、イラクで拘束されていると見られるイギリスの警備会社スタッフ齋藤昭彦さんについて、犯人グループが新しい情報をネットで公開した。今度は襲撃時の映像。自己防衛のために映像はぼかされているが、齋藤さんと見られる人の姿は映っていないように思える。

 犯人側の声明によれば齋藤さんは重症を負ったまま拘束されているとのこと。日本政府が政治取引に応じるのを拒否することはすでにわかっているだろうから、犯人側は本気で斎藤さんを自衛隊撤退の取引につもりはないはずだが、国際的な反響をねらって生かしたままにしているのだろう。ほんとに生かしているのだとすればの話だが。
 襲撃の映像があるのに、拘束されているはずの齋藤さんの映像が公表されないのが気になる。

 映像では襲撃グループはターゲットのうちイラク人たちを「裏切り者」として入念に機銃掃射で殺している。イスラム教徒(その中の『過激派』あるいは原理主義者みたいな人たちだけなのかもしれないが)の戒律の厳しさを改めて認識させられる。
 欧米軍を「十字軍」と呼んでいるところに彼らの視点がうかがわれる。彼らにとって欧米軍は「独裁者サダムを倒してイラクを解放してくれた軍隊」ではなく、あくまでイスラム教徒の土地を侵した侵略者なのだ。
 報道によると今回の犯人グループにはシリア人、サウジアラビア人がたくさんいるとのこと。最近の自爆テロをおこなっているのも、こうした周辺イスラム教国の人々だという。
 
 イラク以外のイスラム教国からこうして「テロリスト」がやってきていることを指摘して、彼らの行動の不当性をうんぬんする人もいるが、それは部外者の、あるいは侵略した側からの勝手な見方だろう。イスラム教徒にとって国家よりもイスラムの教えを優先するのは自明のことなのだ。こうした民族や宗教の違いを認めなければ、国際社会の平和なんてものはありえない。

 それにしても、今回の齋藤さんのケースについて、以前のような「自己責任論」が聞こえてこないのは興味深い。
 3名のボランティア/ジャーナリストが拘束されたときは、肉親の感情的な言動が反感を呼んだこともあって、「政府が行かないように呼びかけている危ない地域に勝手に行ったやつらの救出に税金を使うことはない」的な意見があちこちで聞かれた。マスコミにもそれをあおるような動きが見られた。
 今回はそうした声はぼくの知るかぎりまったく聞こえてこない。
 前の「自己責任論」がちょっと感情的すぎたという反省があるのだろうか?

 たしかに政府が渡航自粛を呼びかけている地域にわざわざ入った人が誘拐されたからといって、国を挙げて安否を気づかうのはどうかと思う。ぼくは自衛隊のイラク派兵には反対だが、このときは別に犯人の要求に応じて自衛隊を撤退させるべきだとは考えなかった。
 ただ、国が多額の経費と労力を使って彼らの救出に努力したことについては、別に「そんな必要はない」とも思わなかった。
 政治的立場や宗教を超えて、混乱した国で困っている人を助けるボランティアは、この時代に人間がなしうる最も価値ある行動のひとつだと思うからだ。
 このとき一緒に救出されたフリージャーナリストにしても同じことが言える。メジャーなマスコミが足を踏み入れないようなところに入り、危険を冒して情報を収集してくれるフリージャーナリストがいなければ、世界のイラク戦争に対する認識は、もっとゆがんだものになっていたかもしれない。
 彼らは人として価値あることをやっていたのだと思う。
 そして彼らが助かったのも、日本政府に救出されたというよりも、彼ら自身の考え方や行動が犯人側に理解されていたからだった。

 その点、今回の齋藤さんはどうだろう?
 別に齋藤さん救出の努力をすべきではないなどと言うつもりはないが、彼の場合は純粋な民間人ではない。軍そのものではないにしても、軍隊がおこなってもいいような、イラク駐留軍の活動の一端を担う企業の人間だ。そういう人が敵軍に拘束された場合、救出の責任ははたして日本が負うべきなのだろうか?
 齋藤さんは若い頃からずっとフランスの外人部隊にいたプロの軍人だ。こういう人の納税がどうなっているのかぼくはまるで知らないが、少なくとも人生の基盤は日本にはないように見える。
 今は外人部隊を除隊しているのだから、もう軍人ではないのだが、軍隊経験をいかして軍事サービス会社で責任ある職を得、リスクと引き換えにかなりの高給を得ているわけで、こういう人はそれなりに自分の危機管理は自分でやるべきだし、万が一の場合の責任も自分にあるという覚悟はちゃんとできているんじゃないかと思う。勤めているイギリス系警備会社との契約がどうなっているのかわからないので何とも言えないのだが……。

 くどいようだが、ぼくは「齋藤さんの救出活動をする必要はない」などと言うつもりはない。
 しかしボランティアやフリージャーナリストが拘束されたときにあれだけ「自己責任」と騒いだマスコミや一般の人たちが、齋藤さんの危機管理責任についてどう考えているのか知りたいのだ。

 それは各人質個人の問題ではない。
 半世紀以上にわたって米軍に国土を占領されていながら、国際安全保障についてほとんど何も考えてこなかった日本人がこれから直面するだろう様々な問題に通じているのだ。
 

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