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クロード・モネ「ヴェトゥイユへの道」
ぼくは長いことモネをはじめとする淡い色
彩の点描技法の画家たちをあまり好きになれないでいた。
彼らはこの世の目に見えるものが、すべて様々な光の集合体であることを発見したというが、だからといってパステルカラーの点々をこれ見よがしに見せなくてもいいじゃないかという気がしたのだ。
そもそもこの世はパステルカラーばかりでできていないし……。
その意見が少しずつ変わってきたのは、
たぶんぼく自身の感覚が変化したからだろう。
ぼくが社会的・文化的に物心ついたのは1960年代、
サイケデリックカラーの時代だった。
極彩色の時代。
しかもそこには危うい闇が同居していた。
自由を求めて無意識の領域まで開放し、
心の奥底に潜む闇を解き放ってしまった時代。
若者たちが愛と自由と平和を求めながら、
理不尽な殺戮や自殺、早死に行き着いた時代。
物憂い70年代から明るく軽薄な80年代を過ぎても、
ぼくの感性は鬱状態にあった。
たぶんまだ自分をいためつけることで何か創造的なことができると信じていたのだろう。
行き着いた先は疲労、衰弱だった。
そこから自分を癒やし、蘇生させるために、ぼくは「出楽園」という小説を書いた。
それは60年代を描いた作品でありながら、
言葉遣いにはどこかしら弱さ、優しさを許容するパステルカーの気配が漂っている。
ぼくはその頃から少しずつ自分と他人の弱さを許容するようになったのだ。
久しぶりにパリに行き、オランジュリー美術館でモネの晩年の大作、
「睡蓮」シリーズを見たのもその頃だった。
モネは死の直前に完成させたその連作で、具象と抽象の境界を自在に行き来する、色の交響曲を描いた。
若い頃のパステルカラーの点々をこれ見よがしに見せる画風から、
長い努力の積み重ねと人生の悲しみを経てたどり着いた終着点だった。
この「睡蓮」を出発点として、ぼくはモネの作品を見直し、壮年期や若い頃の作品にも美を感じるようになった。
この「ヴェトゥイユへの道」は離れてみるとけっこう自然を感じさせるが、近くで見るとやはり例の淡い水色やピンクの点々が踊っている。
それはいつか見た田舎の朝の景色と気配をぼくの中に蘇らせる。
それは絵画におけるプルーストの紅茶に浸したマドレーヌなのだ。
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