イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

ドク書日記

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偏った趣味によるブックレビュー
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「夜明け前のセレスティーノ」 レイナルド・レアナス著 安藤哲行訳 国書刊行会刊

キューバの作家アレナスが二十歳で書いた処女作。
仕事に追われながら読んだ。
「事実」とか「現実」なんていう概念にはおかまいなく、
語り手である少年の「世界」が炸裂する。

祖父や祖母や母親は彼を憎んで殺そうとするし、
彼の世界の中で彼は何度も殺される。
彼も彼らを殺そうとし、彼の世界の中で何度も彼らを殺す。

自由であろうとする魂が、閉塞感に満ちた社会の中で、
肉親たちとの愛憎にまみれながら、反逆的になることを強要されていく。

キューバの貧しさと抑圧的な社会がなかったら、
こういう反逆作家は生まれなかっただろうが、
アレナス自身も自分は別に「社会主義国の反体制作家」ではないと繰り返し言っている。
人間を押しつぶす環境は時代遅れの社会主義国家だけでなく、
アメリカ合衆帝国にもあるし、日本にもある。

アレナスがアメリカに生まれていたら、やはり反逆的な作品を書いただろう。
現に彼はアメリカに亡命してからアメリカの現実に失望している。
エイズで早死にしなかったら、キューバ時代に構想した五部作を完成させ、
次にアメリカにおける抑圧と反逆を書いただろう。

ぼくが惹きつけられるのは、アレナスの自由に躍動する重層的な言葉だ。
それは社会主義国家の抑圧的なシステムとの葛藤から生まれたものだが、
「自由主義社会」を標榜する「西側」諸国の作家たちが、
自由の概念に幻惑されて見失っているものを、
アレナスは作品の核心に据えている。

彼は「文学は死んだ」「小説は死んだ」と偉そうに言う、
文学業界人たちの怠慢を暴き出す。
死んだのは業界人たちと彼らの「文学」であって、
人間の言葉ではない。

仕事に追われながら、電車の中でこの作品を読み続けているうちに、
ぼくは自分の幻覚世界を、抑圧された自由を発見した。
そこに唯一の突破口があることも。

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「ニューヨーク革命計画」 アラン・ロブ=グリエ著 平岡篤頼訳 新潮社刊

今日もまたヌーヴォー・ロマンの紹介。
ロブ=グリエには「消しゴム」とか「快楽の館」「嫉妬」といった名作があるのだが、
ぼくが学生時代に最初に読んだのがこの「ニューヨーク革命計画」で、
ヌーヴォー・ロマンというよりバロウズの「裸のランチ」に近い印象だった。

ヌーヴォー・ロマンはそれぞれの作風を持つ様々な作家の集合体だが、
しいて共通点を挙げると、
言葉の名指す力と、人間が閉じこめられている時間と空間の力、
社会を規定する数学的力などの執拗な確認ということになるだろうか。

ロブ=グリエもおおむねその範疇に入る。
しかし、この「ニューヨーク革命計画」では、
そのゲームの諸規則から脱出し、さらに自由な記述へ向かおうとする意図が見える。

物語はない。
様々な場面が脈絡なしに連なっていく。
いや、それなりに脈絡はあるのだが、
物語の脈絡も、時間や空間の統一もそこにはない。
人物の定義さえどんどん変化していく。

現代人が心の奥底で密かに体験する世界があるだけ。

あとがきによると、ロブ=グリエは1970年のインタビューで次のように語っている。

「小説を書くということは、孤独な作業ではあっても無償ではなく、世界の他の事象から切り離されているわけでもない。それぞれの社会、それぞれの時代は異なった小説形態の開花を見たのであり、それが特定の秩序、つまりそれぞれの社会や時代に固有の世界観や、その世界のなかで生きる生き方を定義してきた。ところが奇怪なことに、今日公認されている唯一の物語言語とは、十九世紀前半のフランス文学の偉大さをなした物語言語である。すなわち連続的で単一線型的で客観的で、年代記的順序を唯一の組織原理とし、真実という価値によって保証された物語言語である」

こんな発言を読むと、1970年代がいかに古風な時代だったかがわかる。
まだ「前衛」作家たちが古典的、十九世紀的な秩序と戦っていたのだ。

彼らは少数派のまま少数の読者の尊敬を勝ち得ただけで、
古い秩序に敗北していった。
その秩序を崩壊させたのは「前衛」作家たちではなく、
大衆消費経済であり、インターネットであり、
その中で子供のようにものをほしがり、働くのをいやがる人間たちだった。

ヌーヴォー・ロマンの作家たちが知性で戦った秩序は、
秩序の担い手たちの変節によって崩れたのだ。
崩れた社会から新しい文学も芸術もまだ生まれていない。

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「心変わり」 ミシェル・ビュトール著 清水徹訳 河出書房刊

今日もヌーヴォー・ロマンから一冊。
ミシェル・ビュトールはストーリーの背後に、
複雑な数学的法則を張り巡らし、
ありきたりの出来事に奇妙な緊張感や奥行きを作り出す。

「心変わり」はパリからローマに向かう長距離列車の中で、
主人公がこのふたつの都で起きた出来事を回想する話だ。
ローマには恋人がいて、パリには妻がいる。
妻と別れ、恋人と暮らそうという決意を彼女に告げにいこうとしている。
パリでの妻との生活、恋人と過ごしたローマでの日々が、
回想の中で克明に語られる。

ビュトールの特徴は偏執狂的なほどの空間へのこだわりだ。
そのときどこにいて、どこを通ってどこへ移動したかが執拗に語られる。
場所や行動自体にそれほどの意味はない。
重要なのは登場人物が常に空間のどこかに位置づけられていることだ。

ビュトールは電話帳や商品カタログを「完璧な文学」と称して愛読したという。
数学的法則に対する偏愛。
隠れた規則に対する偏執。
たぶん50〜60年代に構造主義が流行ったことと無関係ではないだろう。

隠れた法則の発見はミシェル・レリスやレーモン・ルーセル以来、
フランス文学の密かなテーマだったのだが、
この時代になってようやく小説として様々な成果を生み出した。
その代表がビュトールということになる。

当時からヌーヴォー・ロマンは「ゲームで遊んでいるだけ」と批判された。
モダニズムが行き詰まり、ポストモダンの時代に入ると、次第に忘れられていった。

どんな古典文学も一度はこうして忘れられる。
肝心なのは流行が去り、一元的な見方による評価が終わった後、
別の角度からの鑑賞に堪えるものなのかどうかだ。
いろいろな読み方ができるほど、その作品は豊かであると言える。

ミシェル・ビュトールの噂は、日本ではその後あまり聞かれない。
シモンは細々と90歳まで作品を発表しつづけたし、
マルグリット・デュラスは古くさいスタイルの「ラマン」でベストセラー作家として復活したが、
ヌーヴォー・ロマンらしい作品はすたれてしまったと言っていいだろう。

しかしポストモダンの時代は、
人間を規定している非人間的な法則から人間たちが目をそらしてしまった時代でもある。
我々が目をそらしてしまったものをもう一度見つめるためには、
ヌーヴォー・ロマンとは違うアプローチが必要なのだろうが、
とりあえずヌーヴォー・ロマンで過去のアプローチを勉強してみるのも無駄ではない気がする。

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「プラネタリウム」 ナタリー・サロート著 菅野昭正訳 新潮社刊

最近クロード・シモンを読んだせいか、
学生時代に読んだヌーヴォー・ロマンの小説が気になって、
本棚の奥から何冊かひっぱりだしてきた。

ナタリー・サロートはプルーストやジョイス、フォークナーといった
20世紀前半の作家たちが開発した手法のうちから
意識の流れといわれるものを引き継ぎ、掘り下げた作家といわれている。

たしかに全編がある女性の心の動きから出てくる言葉だけで成り立っていて、
読んでいてなんとなく息苦しいのだが、
次第に心理とか心とか意識とか言われるものの奥で、
それらを動かしている衝動やその原理みたいなものが見えてくる。

日本の純文学で女性たちがよく今でもやっている手法に通じるものがあるが、
どことなく突き抜けたものを感じさせるのは、
やはり人間がいじけてないというか、
自分であることに対する責任感があるというか、
生きることに関して社会的な覚悟があるからだろう。

ひきこもりの文学おたくサークルと化している日本の文学を何百冊読むより、
こういう昔の作品を一冊読む方がはるかに楽しいし、
自分も元気になれるような気がする。

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「路面電車」 クロード・シモン著 平岡篤頼訳 白水社刊

最近クロード・シモンが91歳で亡くなったと聞いて急に読みたくなった。
本屋に2001年発表という現時点での最新作「路面電車」があった。

クロード・シモンはいわゆる《ヌーヴォー・ロマン》の作家のひとりだ。
第二次大戦後、特に1950年代末から脚光を浴びるようになったフランスの前衛小説。
プルーストのぐだぐだ語りを「意識の流れ」という方法に先鋭化させたナタリー・サロートや、
「消しゴム」という小説が安部公房の「燃え尽きた地図」に似ていると言われたアラン・ロブ=グリエ、
数学的な法則を執拗に物語りに持ち込んだミシェル・ビュトール、
空間と時間をキリコの絵のように描いたマルグリット・デュラス……

もちろんこんなキャッチフレーズみたいなものでとらえきれるものではないが、
1970年代前半、学生だったぼくはその斬新さに惹かれて彼らの作品を熱心に読んだ。

なぜクロード・シモンを読まなかったのか覚えていない。
ほかにも読まなかった《ヌーヴォー・ロマン》の作家はいるから、
そのうちの1人だったというだけなのだろうが、
とにかくぼくはこれまで読んだことがなかった。

壮年期の代表作「フランドルへの道」をさがしてみたが、見つからなかった。
クロード・シモンはノーベル賞作家だが、あまり読まれていないらしい。
「路面電車」のバカ長い訳者のあとがきによると、
晩年の彼の印税は1年で50万円程度だったという。

スペイン国境近くのぶどう園・ワイン醸造所を母親から相続したので、
わりと裕福だったらしいが、本は売れなかった。
読みにくいからだ。

ひとつひとつの言葉が意味の十字路になっているように書かれた、
詩のように濃密な小説。
何通りもの人物・場所・出来事の流れが次々と入れ替わり立ち替わり現れては消える、
夢そのもののような小説。

「路面電車」はそれでもけっこう頻繁に分の区切りがあり、読みやすい方らしい。
老いたシモンが病院に担ぎ込まれ、
夢うつつの意識の中で、少年時代に乗った路面電車の記憶からスタートして、
次々と様々時点の自分や家族や土地などを回想していく。

夢うつつだから回想は自在に時空を飛ぶのだが、
言葉は極めて厳密に選ばれ、紡がれている。
すべてがありきたりのものでありながら、
現れる瞬間瞬間に生きること、生きてきたことの奥底に隠れているものとつながる。

ちょっと日本の純文学にもありそうな作品ではあるが、
それでもこの大胆さ、執拗さ、奔放さ、厳密さはフランス作家ならではのものだと感じさせる。

近代化のために天皇を担ぎ出し、戦争だろうと侵略だろうとすべて天皇に責任を負わせ、
社会から、世界の核心から逃避しながら、
ちゃっかり生きている日本人には表現できないものがあるのだ。


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