イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

ドク書日記

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ロートレアモン全集

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ロートレアモン全集 渡辺広士訳 思潮社刊

ロートレアモン全集といっても300ページほどの
1冊の本でしかない。

内容は「マルドロールの歌」という小説/散文詩と、
「ポエジー」という未完の詩集のみ。

ロートレアモンの本名はイジドール・デュカス。
たしか南米、モンテビデオかどこかの出身だ。
ランボーとほぼ同時代に作品を書き、
二十歳くらいで死んでしまった。
自殺だったのか、病死あるいは事故死だったのか、
どこかで読んだ記憶があるが、忘れてしまった。

作品以外に残っている伝記的資料が、
6通の手紙と出生・死亡証明書しかなく、
その生涯はほとんど謎に包まれている。

この「全集」のあとがきには、
そんなものはどうでもいいと書いてある。
要するにデュカスは作品以外なにも残すまいとしたのであり、
作品だけから彼を知るのが正しいのだと。

ロートレアモンは、
まだ宗教的倫理の影響を色濃く残していた、
19世紀的な世界観の呪縛からフランス人を解き放った、
何人かの先駆者のひとりだ。

シュールレアリストの詩人たちは、
彼を神のように、あるいは悪魔のようにあがめ、
その名前を口にすることすら恐れたという。

ロートレアモンというファッションブランドがあったが、
もちろんこのロートレアモンからとったのだろう。
日本のブランドだろうか?
シュールレアリスト的デリカシーを欠いた、
鈍感で幼稚な言語感覚がそこに透けて見える。

ソングライン

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「ソングライン」ブルース・チャトウィン著 芹沢真理子訳 めるくまーる刊

「ソングライン」とは、オーストラリアの先住民アボリジニの、
歌で語り継がれた土地の由来、土地の目印・境界線のことだ。
文字を持たない彼らは、
各部族の土地を歌に詠み込んで伝承した。

地図や権利書など文書に慣れた人々には、
ちょっとあやうい方法のように思えるかもしれないが、
紙が燃えたり奪われたりするのに対して、
歌は人がいるかぎり確実に受け継がれ、
社会共通のコンセンサスとして生き残る。

日本の古代の歴史伝承も、
元々はこうした口承歌謡による記録だった。

しかし白人たちはアボリジニの社会秩序を認めず、
理解しようともせず、
勝手に自分たちの線を土地に引き、
所有権を主張し、
やがて国家というシステムを作って、
先住民たちの権利を踏みつぶしてしまった。

ここにもひとつの文明が、
異なる文明の仕組みを理解せずに抹殺してしまう悲劇がある。

ブルース・チャトウィンは1940年生まれ。
「パタゴニア」という辺境のルポルタージュ作品でデビューし、
「ウィダの総督」などやはり辺境を舞台にした小説もある。
異文化の独自の世界や、近代以前の世界を掘り起こし、
紹介する作家として注目されたが、
1989年、49歳で亡くなった。

世界中の様々な民族や独自の文明が、
グローバリゼーションとか、近代化とか、
かつての植民地支配が残したひずみとか、
色々なものに押しつぶされようとしている今、
こういう作家はひとりでも多く必要なのだが。

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「ベナンダンティ/16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼」
                     カルロ・ギンズブルグ著 竹山博英訳 せりか書房刊

16世紀から17世紀にかけて、
北イタリアの田舎でおこなわれた異端審問裁判の記録。

その村では農民たちの選ばれた者たちが年に四回、
眠っているあいだに魂だけ肉体から抜け出し、
ベナンダンティとして空を飛び、
野原に出ていき、悪魔と戦う風習があった。

ベナンダンティは生まれつきの存在ではない。
先輩のベナンダンティからあるとき急に指名され、
ベナンダンティの仲間入りをするのだ。

ベナンダンティたちが悪魔との戦いに勝つと、
豊作がやってくると村では信じられていた。

つまりキリスト教以前の古代から続いている宗教的な農耕儀礼なのだ。
原始社会では、共同体の人々が風習にもとづき、
幻想を共有することがよくある。

ベナンダンティたちが同じ夜に同じ夢を見ていたのは不思議だが、
ありえないことではないという気もする。

しかし、カトリック教会の異端審問官たちはこれを見過ごしにできなかった。
ベナンダンティは悪魔と戦う善神なのだが、
教会にとっては悪魔・魔女ということになる。

執拗な裁判が2世紀にまたがって行われる。
それでも農民たちはベナンダンティがどうして魔女なのか、
なかなか理解できない。
どんなに裁判で脅されても、
寝ているあいだにベナンダンティに変身して野原で戦ってしまう。

異端審問裁判所も、最初のうちはなかなか彼らを有罪にできない。
カトリック教会が定める魔女の規定におさまらないからだ。
ベナンダンティが、教会が定めているように、
羊のお化けに変身したり、箒にまたがったり、
野原で神を侮辱する言葉を唱えながら、
乱交パーティーをやったりしないからだ。

そりゃそうだろう。
ベナンダンティはキリスト教の魔女ではなく、
古代農耕儀礼の神なのだ。

しかし、やがて彼らに変化が起きる。
問裁判所が規定する魔女の様式をまね始めるのだ。
最後には、カトリック教会の注文通りの、
魔女の行動をとるようになる。

執拗な弾圧の成果だ。
それは洗脳でもあった。
農民たちはまじめなキリスト教徒だったから、
やがて自分たちの無意識の領域にあった農耕神を、
闇の領域に移管し、
魔女として保存するようになる。

そして、それでもなお無意識のうちにベナンダンティになってしまう連中は、
異端審問裁判所によって処刑された。

これを見てもわかるように、
悪魔とか過激派といった弾圧の対象は、
権力の恐怖心、警戒心が作り出す幻想なのだ。
現実世界の弾圧を通じて、幻想はやがて実体を持つようになる。

社会主義者・共産主義者も、
理想を掲げて生まれながら、
やがて権力の弾圧と挑発に乗り、
過激派として社会から孤立し、死滅していった。

あるいは経済封鎖に耐えかねて、
閉鎖的な国家をつくり、
それはやがて国民を弾圧する全体主義国家になり、
自壊していった。

今はイスラム教徒、イスラム教国も、
その危機にさらされている。

この本は北イタリアのごく限られた時代と地域の資料を分析した、
ミクロな歴史書だが、
そこから読み取れる社会的・歴史的教訓は、
とても大きなものに通じている。

詩人と女たち

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「詩人と女たち」チャールズ・ブコウスキー著 中川五郎訳 河出書房新社刊 上下2巻

ブコウスキーは1920年ドイツに生まれ、
3歳でアメリカに渡り、以後主に西海岸で暮らした。
世代的にはバロウズやケルアック、ギンズバーグといった
いわゆるビートニクに近いのだが、
ビート世代の作家には分類されていない。

作風が違うというのもあるが、
そもそも40歳までは一切作品を発表していない。
放浪と肉体労働と酒と喧嘩に明け暮れる生活をしていたのだという。

ただ、作品は書いていたらしい。
1960年に詩集が出版され、それから続々と小説が発表された。

ビートニクが本質的に知的で、
現代社会に対する若者の違和感を主要モチーフとしたのに対して、
ブコウスキーは徹底的に肉体派だ。
幻想や概念みたいなものが入り込む余地はまったくない。

文学的なものには一切頼らず、
ひたすら個人として怒り、飲んだくれ、女と性交する。
獣のようにとも言えるが、
現代社会で人間らしく生きていくために獲得したスタイルだったとも言える。

つまりビートニク同様けっこう破滅型なのだが、
その生きる姿勢は一貫して健全だ。
その人生に対するスタンスが、
ビートニクもヒッピーも消え去った70年代の若者たちに受けた。
もちろんカルト的な受け方だったが……。

20年代の失われた世代の後に現れたヘンリー・ミラーと、
受け方は似ているかもしれない。

80年代のバブル的享楽と知性の流行が去ったあと、
ブコウスキーの作品は日本に続々と紹介され、
カルト的な人気を博している。

ブコウスキーを読むと、
80年代に読まれたレイモンド・カーヴァーや
その弟子のジェイ・マキナニーみたいに
静かで繊細な虚無性が子供じみたものに思えてくる。

文学なんかに逃げ込んでないで、
まず一般人として生きてみろよということかもしれない。

耳が痛い一言だ。
文学をいろんなものに置き換えれば、
ブコウスキーは案外いろんな人の病に効く薬になるかもしれない。

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「眼球譚」 ジョルジュ・バタイユ著 生田耕作訳 河出文庫

フランスの20世紀を代表する思想家・小説家・評論家ジョルジュ・バタイユが、
オーシュ卿の偽名で出版したエログロ小説。

10代の少年と少女が変態性愛にのめり込み、
仲間の少女を発狂させてしまい、
南仏の家を飛び出してスペインに逃げる。

主人公の変態少女はそこでますます変態ぶりをエスカレートさせ、
闘牛を観戦中に牛の睾丸を持ってこさせ、
客席でその睾丸を性器に入れたり出したりして、
観客たちをパニックに陥れる。

セヴィリアの教会では堅物の若い神父を誘惑し、
教会の中で性交したあげくに神父を殺してしまい、
その眼球をくりぬいて、
牛の睾丸同様性器に入れたり出したりする。

それでも彼らは警察に捕まることもなく、
変態友達のエドモンド卿の助けを借り、
豪華ヨットで地中海に逃げていく。

こう書くと読む値打ちのないただのエロ小説みたいだが、
ただ性欲をかきたてるための小説とはまるでちがう。
それは人間を抑圧する社会の意識構造から、
読者が自らを解放していくゲームなのだ。

ぼくは去年の6月、2週間のイタリア旅行にこの本を持っていき、
1ページも読まないまま最終日を迎えてしまい、
ミラノの空港ロビーで読み始めたのだが、
飛行機の中で読み終わるまで、
かつてない解放感にひたることができた。

人間は獣であり、倫理や常識で縛り付けなければならないと考える人にとって、
これは邪悪で汚らわしい本かもしれない。
しかし、そんなことを意識しなくても、
常に過剰に自分を抑圧してしまうタイプの人間にとって、
これはとても健康的なプログラムなのだ。

とかく自分を抑圧する必要があるタイプの人間は、
変態とは自分を抑えられない人間のことだと思っている。
しかし、実際の変態とは、常識の外まで見えてしまう人間、
そのため無意識に過剰に自分を抑圧してしまい、
常識のゲームの中では息を詰まらせてしまう人間のことなのだ。


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