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「重力の虹」トマス・ピンチョン著 越川芳明・植野達郎・佐伯泰樹・幡山秀明訳 国書刊行会刊
ピンチョンほど有名でしかも一般に知られていない作家は少ない。
一般の人は名前さえ知らないが、
文学マニア、特に自分で小説を書いている人はまずまちがいなく知っているし、
読んで影響を受けた人も少なくないだろう。
ジェイムズ・ジョイスやマルセル・プルースト同様、業務用の作家なのだ。
物語的には第二次大戦末期にV2ロケットを開発するドイツ側と、ミサイルの秘密をさぐる連合国側の人々の戦いの話だ。
国と国の戦い、科学技術や歴史、その中で翻弄される人間たち。
ドラマチックな話のはずなのだが、ピンチョンが描きたいのはそうした物語的世界ではない。
国家や企業、資本、経済、組織、技術など、
近代・現代の人間を取り巻き、人間を支配するシステムと、
そのシステムが人間にもたらすものを執拗に描こうとする。
それは文学が長く目をそむけてきたテーマだ。
19世紀から宗教に代わって人間の神殿として、
倫理・哲学を含む広大な精神世界のすべてを包括してきた文学だが、
そこにあるのはあくまで人間の側から見た世界だった。
その一方で科学技術と経済は人間の都合とは無関係に世界を動かしてきた。
世界大戦によって人間は自分たちの無力さを痛感したが、
それでも文学によって描かれる戦争も国家も企業も、
人間の都合で眺めたシステムでしかなかった。
もちろん人間の都合から離れて世界を眺める努力はなされてきたが、
それはゲームみたいな前衛文学を生み出しただけだった。
ピンチョンはあえて壮大な物語の中で、
外から人間を支配するシステムを描いた。
もちろん誰もが絶賛するほどうまくいったわけではないし、
あまりにも退屈だという批判もあった。
しかし、国家や企業、資本、科学技術の感触にこれほど肉迫した作家はほかにいない。
ピンチョンはマサチューセッツ工科大学で航空工学を学んだ技術者であり、
朝鮮戦争ではジェット戦闘機に乗ったパイロットであり、
ボーイング社で飛行機の開発にたずさわったエンジニアだった。
処女長編「V」と次の長編「重力の虹」で高い評価を受け、
世界的に有名になったが、
その後も5〜10年に1作のペースで作品を発表する寡作な作家で、
しかも写真はごく若い頃遠くから撮影された不鮮明なモノクロ写真があるだけで、
文学界ですら誰も顔を知らない。
一時、ピンチョンは「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のサリンジャーだという説が流布したほど、
その素顔は謎に満ちている。
ぼくは1970年に発表された「重力の虹」Gravity's Rainbow の噂を74年に新聞で知ったが、待てど暮らせど翻訳が出ないので、76年アメリカに出かけた友達にペーパーバックを買ってきてもらった。
しかし原文はとても難解でなかなか読み進められず、結局1980年、勤めを辞めてフリーのライターになったとき、仕事がほとんどなかった時期に、1年かけて少しずつ読んだのだった。
高校生程度の英語力しかないため、その印象はかなり漠然としたものだったが、
90年代になってやっと翻訳が出て、もう一度じっくり読み直してみたら、
原文を読んだときよりもっとぼんやりした印象しか受け取れなかった。
たぶんそれは文章の難しさというより、ピンチョンが描こうとしたことの難しさによるのだろう。
翻訳がいかに困難な作業だったかは、訳者が4人もいることを見ればわかる。
それでも「重力の虹」は読むに値する小説だ。
読み続けるときに感じるもどかしさは、ぼくらが現実世界と向き合って生きるときに感じるもどかしさに似ている。
小説は娯楽読み物でなければならないというのがぼくの基本的な考え方だが、
生きることの難しさを追体験させてくれる小説も、
娯楽として「あり」だと思う。
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