6月10日 コルドバ2日目続き
アンダルシアの犬
ユダヤ人街を抜け、コルドバの街を歩く。案の定、空にはたくさんの綿菓子型の雲が浮かび、ときどき日差しを遮ってくれる。スペインで初めての涼しさ。
日曜日なので観光エリアの土産物屋やレストラン以外はほとんど休みだ。「ドンキホーテ」に出てくるという宿屋があるポトロ広場に出た。なんの変哲もない建物に、「セルバンテスうんぬん」という能書きをタイルに書いて壁にはめ込んである。建物の中庭に面してコルドバ美術館があった。いわゆるコルドバ派の絵を集めているというのだが、たいした特色もない宗教画を見てもなんのコメントもできない。やはり自分は少年時代に見た名画でなければ知性も感性もはたらかない素人なのだなと実感した。
さらに街をうろついていると、いたるところに小さな広場があり、オレンジの木が茂っていたり、小さな噴水があったり、ベンチが置いてあったり、それぞれ特色を出している。広場によっては近所の家族が集まって椅子にすわり、ビールを飲みながら喋っていたりする。ちょっとお洒落して、町を散歩している家族もある。
スペインに来て初めて犬を見た。町のあちこちで犬を散歩させる人を見かけるのは日曜日だからだろうか? アンダルシアの犬はおとなしい。しつけがきびしいのか、鎖をはずしている人が多いのだが、決して主人から離れないし、通りかかった他人にまとわりついたり吠えたりもしない。ファシスト政権に対しておとなしかったスペイン人のように、人間に対しておとなしいアンダルシアの犬。
かなり前に見た若い頃のサルバドール・ダリとルイス・ブニュエルの共作「アンダルシアの犬」は犬が出てこない短編映画だ。その代わりに蟻や、陰毛の生えた手のひらや、かみそりで切られる眼球などが出てくる。20世紀初頭の、無邪気なシュールレアリスム。
そういえばダリはピカソとちがってフランコ政権に背を向けず、スペインに暮らしたのではなかったか? 有名人だから特別扱いだったのかもしれないが、ニューヨークやパリにも住みながら、たしかフランス国境近くの町に広大な屋敷を構えていたはずだ。ファシストと仲良しのシュールレアリスト。
フランスのシュールレアリスト、特に詩人たちにはリベラルな人が多いが、不健康なアントナン・アルトーの作品などを読むと、この流派の人たちが内面の解放をめざしながら、無意識の領域に潜む魔物を解き放ってしまったことがわかる。
20世紀の初めに、パリやベルリンでダダイズムが生まれたとき、既存の価値観の破壊、既存のルールからの解放はたしかに現実世界とつながりを持っていた。人々は互いにコミュニケーションを保ちながら、現実を変えようという健全な意識を共有することができた。
ところが、ダダイズムの派生物として生まれたシュールレアリスムは、内面に向かうあまり、他者とのコミュニケーションを失い、人間を解放するどころか、深層心理というパンドラの箱を開け、人間のダークサイドに潜む抑圧的なシステムを解き放ったのだった。シュールレアリストは内面から出てきたものとして、幻想上の悪魔や神々をあがめた。それは一見目新しい芸術的な世界にも見えたが、実は人間の深層心理に潜むゆがみや傷の表現にすぎない。
|