
6月9日 コルドバ2
メスキータ
橋を引き返して大聖堂を見物。「大聖堂」「カテドラル」と書くと、いかにも西洋的だが、建物自体は完全にイスラムのモスクだ。それも中東の丸屋根モスクではなく、モロッコで見たのと同じ、四角い建物にピラミッド型の瓦屋根。国土回復後にサラセン人が築いた巨大なモスクの内部を改装してカトリックの大聖堂にしてしまったらしい。だからスペイン語でモスクを指す「メスキータ」という俗称で今でも呼ばれている。
マドリッドからトレド、メリダ、セビージャと移動してくるにつれて、町はだんだんイスラム色が強くなり、このコルドバの旧市街は僕の目から見ればほぼ完全にイスラム風の町だ。それだけイスラム教徒の支配が長かった町であり、一時は北アフリカから南ヨーロッパにまたがるサラセン帝国ウマイヤ朝の中心都市として栄え、人口は百万人を超えたという。ルネッサンス以前はサラセンの方がヨーロッパより先進国だったから、ヨーロッパ、北アフリカを含めたエリアの中心地がここにあったと言ってもいい。ギリシャの文献もここに集まり、アリストテレスの著作はここからヨーロッパに広まったという。
それよりさらに前、ローマ時代にはネロの家庭教師だった哲学者セネカがこのコルドバから出ている。半世紀のちに皇帝を輩出するこのスペインは、すでにこの頃から文化においても本国ローマに負けない地域になっていたようだ。
大聖堂=メスキータの門をくぐると、まずオレンジの木が並ぶ広大な中庭。セビージャの大聖堂にも同じような中庭があったが、それでもまわりの建物がかなり西欧的だったから、大聖堂としてそれほど不自然ではなかったが、このメスキータは建物全体がモスクそのものだ。中にはいるとそこは何百本もの柱と、赤白のアーチが果てしなくつづく広大な暗がりで、かつてはそこで膨大な数のイスラム教徒がメッカに向かって祈ったのだろう。周囲の壁に沿って歩いていくと、何十もの小礼拝室や宝物室が並んでいて、ここがカトリックの世界であることを思い出させる。
広大な空間の中央には大きな祭壇。しかし、天井の高さがないため、セビージャの大聖堂のような迫力はない。あくまでイスラムの空間にリフォームを施しただけのささやかなカトリック世界。
国土回復後、家臣にだまされて、このモスクのカトリック的改修を許可した国王も、このありさまを見て「せっかくの貴重な建築物にろくでもないものをとってつけやがって」と怒ったらしい。不寛容で独善的なカトリック教徒の中では、寛大で正常な感覚の持ち主だったようだ。このメスキータを見ていると、どこか救われた気がするのは、心の狭いキリスト教徒にもささやかながら異文化を受け入れる柔軟さがあったらしいことがうかがえるからだ。
ウマイヤ朝時代、このコルドバにはイスラム教徒とキリスト教徒、そしてユダヤ教徒が共存しながら、都市の繁栄を謳歌していた。キリスト教徒は国土回復後、異教徒との共存を拒み、この町から追い出してしまったのだが、それでも美しいもの、優れた文化までは抹殺せず、その保存に努めたのだった。しかし異教徒が去った町は衰退し、一地方都市に落ちぶれ、現在でも人口は30万にすぎない。異質なものを拒む民族は発展しない。異質なものとの融合によってしか、新しい文化は生まれない。このコルドバはそうした歴史的真実のタイムカプセルなのだ。
|