イージーライターのつぶやき

ちょっとマニアックな職業ライター兼アマチュア小説家が、作品と日常生活のつぶやきを紹介します。

スペイン紀行2001

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6月12日

マドリッドから帰る途中、パリに寄った。
ぼくは海外旅行のついでによくパリに寄る。
モロッコやドイツ旅行のときもパリに寄り、けっこう長く滞在した。
その分を本来の目的にあてればもっと余裕のある旅行ができそうなものだが、
それでもぼくはパリに来る。
別に何かすることがある訳じゃない。
ただ街をうろつくだけだ。
それだけでなぜかほっとする。
前世はパリジャンだったんじゃないかという気さえする。

6月11日 マドリッド(スペイン最終日)

悲惨な宮殿

 満腹の腹を抱えてすぐにホテルに帰るのも苦痛なので、しばらく散歩を続けた。
 月曜日はどこの美術館も博物館も休みか、2時頃までで閉めてしまうから、しかたなく近くの王宮に行った。ガイドブックには「豪華さにうっとり」などと書いてあるが、最近造ったような巨大な墓みたいな灰白色の建物で、ベルサイユ宮殿の装飾をごっそりそぎ落としたそっけなさが、この国の趣味の悪さを物語っている。内装はイタリアの宮殿を不器用にまねしただけの成金趣味で、こんなところには半日だって暮らしたくない。

 フィレンツェの宮殿は、ルネッサンス時代のものも、バロック様式のものも、こてこての成金趣味が気持ちいいくらいに突き抜けていて、ここまで徹底するとしつこさも一種の美に変わるのだが、この王宮はどこを見ても寒々しさしか感じない。やはり贅沢や自己主張が身についていない国なのだろう。

 ガイドブックによると、かつては名画や財宝に埋もれたもっとすごい宮殿だったらしいのだが、18世紀に宝物もろとも火事で焼けてしまったとのこと。どうりで造りたての感じがするわけだ。それでも二百数十年たっているのだが、どこかお墓のような印象を受けるのは、この国の輝かしい時代、ローマ、サラセンの統治時代や国土回復後の黄金時代のパワーをまったく感じさせないからだろう。

 こんな宮殿を公開して恥ずかしくないのかと思うのだが、たぶん国王夫妻にしてみれば、こんなところに住む気にはなれないから、いっそ公開した方が維持費の足しになるということなのだろう。入場料は観光名所にしては破格に高い1000ペセタだ。これまで払った入場料は最高でも800(あの小宇宙のようなセビリアの大聖堂)だから、悲惨な宮殿に1000はちょっとひどすぎる。

 ただ王室の名誉のために一言弁護しておくと、国王ファン・カルロス1世はフランコの死後憲法を制定し、民主化に進んで道を開いた功労者であり、いつぞや時代錯誤のフランコ派が国会を占拠してクーデターを企てたときも、彼らを一喝して議場から叩き出した勇気の人でもある。
 フランコと戦うほどの傑物ではなかったのだろうが、それでも現代の国王としては、カンボジアのシアヌーク殿下(一度即位していながら、父親に王位を譲って退位し、選挙に立候補して大統領になった)と並ぶ人物かもしれない。

6月11日 マドリッド

ヨーロッパの夏

 腹を空かしながらレストランをさがして街を歩いた。
 気温は日陰で25度、日向で30度。
 40度を超える暑さになれてしまった体には、妙にさわやかだ。日陰では肌寒さすら感じる。長袖のシャツにジーパンがちょうどいいヨーロッパの夏。一昨日までの酷暑のスペインは、アフリカや中東とつながっているこの国の歴史を体感するにはちょうどよかったが、旅の終わりになって、なぜかこの国は自分もヨーロッパの一員であることを僕に思い出させようとしているように見える。

 いくらも歩かないうちにバレンシア料理の店を見つけたので入ってみた。これまで二度パエリアを食べたが、アンダルシア地方の観光客相手の店だったから、ろくなものじゃなかった。それは東北の郷土料理を九州の観光地で食べるようなものだ。今回はバレンシアに行かないので、パエリアを食べたいというのが所詮無理なのだが、首都の郷土料理店ならバレンシア出身者がやってるかもしれないし、バレンシア出身者の客も満足させなければいけないからそれなりのものを出すだろうと思ったのだ。

 結果はまあまあ合格。
 アンダルシアで食べた学食メニューみたいなのや、米が生煮えのにくらべれば、金を払う値打ちはある。しかし、エビや魚の鮮度がいまいちだし、サフランやトマト、タマネギ、ニンニクのうまみがきいていない。魚介類は、パエリアの前に出てきたイカの炒め物がぷりぷりしてうまかっただけに、どうしてパエリアに使っているエビと魚がふにゃふにゃなのか理解に苦しむ。米もあまり質がいいとはいえない。米に関しては中まで煮えていてしかもぷりぷりしている米を好む日本人と、かすかに芯がないと承知しないスペイン人の味覚の違いもあるからしかたないのだが。

 今回の旅行で食べた中で、うまかったのはまずイカや魚の揚げ物だ。店にもよるのだろうが、海に近いアンダルシアだけでなく、内陸のメリダで食べたイカの揚げ物もすばらしかった。ちゃんとしたレストランもそれなりにいいものを出すが、タベルナ、セルベッセリア、カフェテリアと呼ばれる飲み屋兼軽食屋のもそれなりにうまかった。

 この飲み屋のメニューは揚げ物だけでなく(揚げ物がない店もあった)、魚介類のマリネ、ポテトサラダ、ジャガイモその他の野菜炒めなど、何を食べてもそれほど当たりはずれがないのには感心した。これはどの国、どこの地方でも言えることだが、質が落ちるのは観光地のまっただ中で観光客だけを相手に商売している店だけで、地元の人が行くような店は、どこもはずれがない。

 郷土料理で感心したのはペルドリス(ヤマウズラ)料理。トレドの名物だというが、メリダやセビリアのレストランのメニューでも見かけたから、バレンシアのパエリアが全国どこでも食べられるのに似ているのかもしれない。
 僕はトレドで2回食べただけだが、一度は半身をたぶんソテーしてからオーブンで焼いたもので、ニンニクとタマネギをやや焦げるまで炒めたソースがちょっと甘みとこくのある醤油味に似ていて美味だった。二度目はオーソドックスな煮込みで、これはあっさりしたスープに鳥のうまみが出ていてまったく別のおいしさだった。

 アンダルシアではクリームを加えた濃厚なガスパッチョが気に入った。これは生ハムやゆで卵やパプリカのみじん切りを入れて食べる。普通のガスパッチョも店それぞれに特色があったし、胃が疲れているときに野菜を補給するためにも、ほとんど毎日昼食か夕食のどちらかに食べていた。

 アンダルシアの名物は牛の煮込みで、これはフランスの赤ワイン煮やポトフなど、色々なおいしさを知っているだけに、ちょっと田舎臭いだけのシチューという印象だが、アンダルシアの酷暑の中で食べると、それはそれでいかにもこの土地の恵みを食べているという感じがした。

6月11日 コルドバ〜マドリッド

(2度目のマドリッドでは写真をたくさん撮ったはずなのですが、ファシスト政権の呪いかデータがなくなってしまいました。それで今日はまた写真なしです。同じくスペイン旅行記を連載している kohki1205 さんのブログ「落書き日記」に、新幹線AVEやマドリッドの写真がたくさんありますので、よかったらそちらを見てください。リンクはぼくのお気に入りリストの一番上にあります)

旅の中の日常

 またもや空から雲は消え、暑い1日が始まろうとしている。11時41分のAVEに乗り、マドリッドに向かいながら日記を書いている。静かで揺れないAVEだから、キーボードがたたきやすい。テーブルも大きい。この点は日本の新幹線よりはるかに上だ。通路の上には飛行機みたいにモニターが並んでいて、映画などをやっている。

 朝、Ironmanlive.comをのぞいてみたら、アイアンマン・アジアのリザルツが出ていた。昨日から速報をチェックして、仲間のレース展開を分析したり、情報を日本のトライアスロン仲間にメールを送ったりしている。
 ランナーズ編集部から来週の取材日程について問い合わせがあり、スケジュールが重ならないように、別件の仕事のブッキングをしている代理店にメールで問い合わせ。昨日は「トライアスロン・ジャパン」誌から原稿のデータを消してしまったので送り直してくれとのメールがあり、データを送った。ハードディスクに過去一年間の仕事の原稿を入れたままなのだ。もちろん日本の仕事場のMOにバックアップはとってあるが。

 取材ノートや資料などはさすがに持って来れないが、このiBookさえあればある程度日本にいるのと変わらない作業ができる。インターネットの威力を痛感する。このスペイン便りだって、リアルタイムで日本の友人たちに送り、そのリアクションを受け取ることができたからこそ、ここまで勤勉に書きつづけられたのだ。これまでも海外に出るたびに、長い手紙を書いてきたが、今回みたいに毎日膨大な文章を書き送ったことはなかった。しかも原稿をこちらに保存し、手直しもできるわけで、日記の体裁はとっているけど、実際にはある程度エッセーのつもりで書いている。もっと日本と日本語を忘れて旅に集中した方が実りは大きいという気がしないでもないが……。


既視感のマドリッド

 1時半マドリッド到着。11日前にも泊まったホテル「レヘンテ」にチェックイン。古くてそっけないが、値段が安くてしかもセイフティーボックス、エアコン、バス、電話、テレビなど必要にして十分な設備がそろっているホテル。パリで定宿にしている「ルイジアーヌ」にどこか似ている。

 海外旅行ではその国の首都に入り、各地を旅行してまた首都に戻ってくるケースが多いが、僕はよほど気にくわないホテルでないかぎり、最初に泊まったホテルにもう一度泊まることにしている。その国各地を回ったあと、自分がどれだけ変わったかが、同じホテルに泊まり、一度歩き回った街をもう一度歩き、同じ店で水などを買ってみることで実感できるからだ。最初にその国に着いたときの戸惑いは、たった10日程度の旅で懐かしさに変わっている。僕はその変化を楽しむのが好きだ。それはその国で自分が何を得たかのテストでもある。

 もうひとつ、僕が同じホテルに泊まる理由は、設備などの勝手がわかっていて使いやすいからだ。
 たとえば電話。特に今回のようにインターネットを多用する場合、ホテルによって外線が0発信だったり、9発信だったり、ダイヤル回線だったり、プッシュホン回線だったりして、新しいホテルに着くたびにモデムや接続ソフトの設定を変えなければならない。

 外線の接続法は説明が書いてあるか、なくてもフロントに問い合わせればすぐにわかるが、ダイヤル/プッシュホンは電話機の見た目はどれも一応プッシュホンなので、試してみないとわからない。同じプッシュホンでも0をダイヤルしてから外線への切り換えが機敏な交換機とのろい交換機があって、普通は「0,」にアクセスポイントの番号でいいのだが、鈍い交換機では「0,,」にしないと、凱旋につながらないうちにアクセスポイントの番号の自動入力が始まってしまう。
 こういうことも今回はひとつひとつ試行錯誤して学んだのだった。

 海外接続初体験の僕は、そもそも国によって電話のモジュラージャックの形状が違うというのも甘く考えていて、スペインがどんな形状なのかも調べずに出発日を迎えてしまい、どうせコネクターは成田の売店に売ってるだろうとたかをくくって出かけたら、成田の電気店ではなぜかスペインだけがなく、店のおやじにきいたら「スペインだけ特殊だからないんです」と言われた。

 特殊ならなおさら置いておくべきだと思うのだが、そんなことを言ってみても、おやじは方をすくめるだけだ。売り場にはフランスやらイタリアやらのコネクターが並んでいて、どれも機動戦士ガンダムのパーツみたいに奇抜なかたちをしている。

 後進国スペイン用のコネクターは一体どんな変なかたちをしてるんだろうなどと想像してみても、なんの役にも立たないので、とりあえず成田の第二ターミナルにある電気店の番号を調べて電話してみた。第二ターミナルの方が大きいから、品揃えもしっかりしてるかもしれないと思ったのだ。
 
 ところが応対に出たおねえちゃんの返事は意外にも「スペインのモジュラージャックはアメリカや日本と同じですよ」だった。さっきのおやじが無知なだけだったのだ。さいわいうかつな僕でも家にいくつも転がっている電話のコードだけは持ってきている。たぶんイギリス、フランス、イタリア、ドイツが、アメリカに負けまいとプライドをかけて勝手な通信規格を導入したのに対して、西ヨーロッパ一の後進国スペインはすなおにアメリカに追随したのだろう。

 それにしても、成田の電気店にはコネクターだけでなく、「海外接続ハンドブック」みたいなのや、電話回線のテスターなどいろんな器具が並んでいて、海外接続の難しさを予告していた。それならそういう本や器具を買えばいいのに、合計1万いくらもするし、荷物になるのであっさりあきらめて、成り行きに任せようと決めたのだった。

 マドリッドでも事態は前途多難で、まずモデムやPPP(接続ソフト)の設定で四苦八苦し、あらゆる可能性を試してみたが、つながらない。そこで日本にいたときにダウンロードしておいたプロバイダの「海外ローミング案内」のページを開いて読み直してみると、なんと「海外ローミングサービスには申込が必要」とあるじゃないか! それならまず最初にそう書いてくれればいいのに、終わりの方にたった1行だけ書いてある。最初の方に「このローミングサービスが使用できるお客様は……」などの長い説明よると、僕が加入しているカテゴリーが入っているらしいので、何もしなくても接続できると早合点していたのだ。

 そこでまず国際電話の回線を通じて東京のアクセスポイントにつなぎ、「海外ローミングサービス」の申込をした。ところが、今度は「クレジットカードの期限が切れています」という理由で申込を拒絶された。そんな馬鹿なと思ったが、番号をチェックしてみるとそれは二年前に期限切れになったときのカードの番号だった。

 加入したときは、悪名高いプロバイダ「ベッコアメ」なので、すぐに解約しようと思い、支払方法はクレジットカードではなく現金振り込みを選択したのだ。僕がインターネットを始めた1995年にはまだろくなプロバイダがなく、独立系で激安のプロバイダとしてはほとんどここしかない状態だった。以前は接続が切れたり、話し中が多かったり、トラブルが絶えなかったのだが、加入者が増えて資金が豊富になるたびに設備を充実させるので、ここ数年はとくに不満もなく、おかげで解約するタイミングを逸していたのだ。

 まあ、そんなことはともかく、新しいカードの番号を入力しようと財布を取り出したら、ついさっきフロントのセーフティーボックスに入れてきてしまったことに気づき、一度接続を切って下におり、カードを取ってきてまた国際回線で一からオンラインの申込をやり直し、無事に申込を終えて、初めてマドリッドのアクセスポイントに接続できたのだった。旅ではひとつひとつが戦いだ。
 そんな悪戦苦闘も今では懐かしく思える。

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アンダルシアの犬(つづき)

 僕はほかにも解放運動がやがて自らを抑圧装置にしてしまった様々な例を知っている。
 たとえば初期のキリスト教。
 それは個人の罪の意識を通じて恍惚にいたる解放装置だった。だからこそ集団としての自意識しか知らない多神教のローマ社会で、個人の自意識にめざめた人々をとらえたのだった。
 しかし、紀元3世紀(だったっけ?)、それまでおびただしい殉教者を出しながら、ついにローマの国教と認められ、権力の座についたとたんにシステムは逆転する。個人の罪を問いながら、教会自体は無謬の絶対権力として、抑圧装置の役割を果たし始める。教会は新大陸にもアジアにも征服者に同行し、その植民地化に大きな役割を果たす。

 もっと新しい例もある。60年代のサンフランシスコに生まれたフラワーチルドレンたち。まもなく世界中に広がったヒッピームーブメントの源流ともいえる運動だが、彼らは矛盾に満ちた資本主義社会を拒絶し、人間としての自由な生き方をめざした。そこには資本主義対社会主義・共産主義という構図を超えた新しい可能性がありそうにも見えた。もちろん大人たちはマリワナや麻薬に逃避する子供の遊びとしか見なかったのだが。

 そのヒッピーたちがインドのヨガや瞑想など、異文化に興味を持ち始めたのも、自己の解放の試みのひとつだった。しかし、中には魔術や悪魔崇拝に傾斜していくグループもあった。人間は自由なんだから、何をしてもいいじゃないかというわけだが、そうした一派の中からやがて、このスペイン日記の初めの方でも触れたチャーリー・マンソンのファミリーが生まれたのだった。超能力を持つと自称するマンソンは女たちの人格を支配し、様々な犯罪を犯させる。犯罪はエスカレートし、最後には「ローズマリーの赤ちゃん」などの映画で有名な監督ロマン・ポランスキーの奥さんシャロン・テートの虐殺にいたった。

 超常的なものを求めるカルトが、人間の自我を解放するのと、逆に人間を支配し、傷つけ、あるいは抹殺する方向に向かうのとは、実は同じメカニズムの表裏にすぎない。人間には生きようとする衝動と、死のうとする衝動が共存すると唱えたのはフロイトだが、今ではあまりに粗雑に見える彼の精神分析学には、たしかに深い真実が隠れている。死への欲動タナトスのメカニズムを知らずに、安易に人間の解放をめざす者は必ず自ら破滅するか、他者を破滅させる。人は誰でも自爆装置をかかえて生きているのだ。

 それでもなお人はただ生産し、消費を楽しみながらその日その日を暮らすだけでは満足しない。資本主義経済が与えてくれるもの以外に、もっと美しいもの、価値あるものが存在することを知っているからだ。

 僕はよくソクラテスが本というものを評価しなかったという話を思い出す。本は何度読んでも同じことが書いているだけで発展性がないじゃないかというのだ。ソクラテスは他人との対話の中に、人間らしい営みの可能性を見いだした。鋭い論理で他人を論破することに執念を燃やしていたようなイメージがあるが、本当は自分とちがう存在である他者との意見の食い違いの中にこそ、生きた真実がかいま見えることを知っていただけのことなのではないかと思う。

 多くの人間は他人と意見が食い違うことを恐れ、同じ意見の仲間だけで群れをなそうとする。意見がぶつかるとパニックになり、相手をうらんだりする。そんなとき、人は自分の勝手な幻想のカプセルの中に閉じこもっているのだ。ソクラテスはそんなカプセルなど実は存在せず、人間は自由な対話の中にこそ自分も知らない創造の可能性があることを知っていた。カプセルから出ることを恐れたアテネの人々は、やがてソクラテスを処刑する。理解者たちから逃げろと勧められたソクラテスは逃亡を断固として拒絶する。彼はアテネのために兵士として戦った市民であり、アテネ市民たちとのコミュニケーションに背を向けて生きることなど思いもよらなかったのだ。

 ソクラテスはカントやヘーゲルのように難解な哲学書を書いた哲学者ではない。彼はただただまともな自由人であり、アテネというコミュニティーの健全なメンバーだった。自由であることは昔も今も難しい。しかし、命と引き替えにする値打ちは十分あるものなのだ。
 今回のスペイン旅行に持ってきたオクタビオ・パスの「孤独の迷宮」の第一章に、次のような言葉が引用されている。(訳があまりにまずいので、勝手に表現を変えた)


 他者は存在しないというのは理性的信念、人間理性の不治の信仰である。そこでは、すべてが絶対的で、必然的に一および同一でなければならぬかのように、アイデンティティ即リアリティである。しかし、他者は排除されず、存続し、持続する。理性では歯がたたない堅い骨である。アベル・マルティンは、理性的信念と同じくらい人間的な、詩的信念によって、他者、「存在の本質的な異質性」、いうなれば、一者がわずらっている不治の他者性を信じたのである。
                              
                                 アントニオ・マチュード


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