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終わりました。 |
教育の問題
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今日は月曜日。 |
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長女が小学校から、近くにある東京農大三高での、公開市民講座の案内をもらってきた。 |
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アインシュタインホームプロジェクト
コンピュータを使わない時間を利用して、天文関連のデータの解析をするプログラム。
家の次男の、夏休みの宿題にどうかと思っている。
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昨年の11月に日本に帰ってきて、次男が一番日本語ができなかったので、どうしようかと思っていたのだけれども、長男を高校に入れるためにばたばたして、あまり見てあげられていなかった。
中間試験が終わって、その結果を見ながら、次男の日本語の勉強について先生方と相談しないといけないなと思っていた矢先、次男が担任の先生と個人面談をしてきたという。 そこで次男が「日本語、どうやって勉強したらいいですか?」と聞いたら、担任の先生に「お金を払って、塾みたいなところで勉強したらいいね」といわれたとか。 勿論、この話を聞いてびっくりしてしまった。反面、「やっぱりそうか」とも思った。学校に期待してはいけないのだと。 それまで、やっぱり学校は少し(かなり?)変だと思っていた。 まず、(前にも一度書きましたが)英語の先生が英語が話せないと言っていた。次男の話によると国語のだれそれ先生のほうが英語がうまいとか、、。「どーなってるんだ?」と思わないだろうか。 それから、国語の先生には、中学校の漢字を覚えるように言われたとか。彼はまだ小学校2年生の漢字を覚えているところなのに、、。 つまり、学校というところでは、生徒がどの程度理解していているのかについての判断とかはしないし、それに関心などないのだと。 生徒の能力や理解度に合わせた教育ではなく、あくまで教室で学習指導要綱にある、法律で教えられるべき内容を教え、それを管理するのが教師の仕事であるらしい。 したがって教師の目は、生徒の方を向いているのではなく、学習指導要綱にあるカリキュラムをこなすことや、それを管理する管理職の先生方、それから教育委員会のほうを向いているように感じられた。 彼に必要なのは、初級日本語の教科書にあるような基本的な内容を学習することなのに、それを半年間、中学校の先生たちは誰も理解していなかったようだ。結局、マニュアル(学習指導要綱)以外の仕事は、他人ごとであり、どうでもいいことなんだろうな、と思わされた。(あるいは先生たちは忙しすぎるのかもしれない。) やっぱり、日本の学校にはあまり期待しない方がいい、というのが答えだろうか。 |


