妊娠大作戦

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出産までの過程
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出産

2004年6月

いよいよ出産の日がやってきた。
普通分娩の場合、その日はいつ来るかいつ来るかと、はらはらしながら男は仕事に行くのが一般的だと思うが、帝王切開で、手術日・時間が決まっていたので、休みを申請し、前日には「明日子供が生まれるので休みま〜す!」といって出産日に備えた。

私だけではなく、母、義母、親戚のおばさま達もぞくぞくと集結してきた。

この子育てのベテラン達は、双子が生まれたら、我先に抱っこしようとたくらんでいる強者達だ!

私は病院で食事やら休憩場所やらの案内をしつつ、妻を除けば父親の私が一番で、この強者達が私より先に抱っこすることはなんとしても阻止せねばならない。
と出産直前に真剣に考えていた。

幸い手術室脇の控え室は私しか入ってはいけない場所であった。
これなら安心と思ったら、そんな規則など強者達には知ったこっちゃない。
予定のオペの時間に別の緊急オペが入ってしまい、30分待たされたせいもあり、強者達はがまんできなくなり、術室脇の控え室に何度も入ってきそうな勢いであった。
私はその都度休憩室に戻した。

無事な出産を祈る暇もあまり無く、そんなやりとりをしていたら、産声が聞こえ、一人出てきた。
そしてもう一人出てきた。

やっぱり男の双子だ!

早速、分娩室で身体を洗ったり、体重・身長を図ったりしている。
二人とも約2800gで元気に生まれた。

私はこれが自分の子供か、実感が全く湧かないな〜。
と思いながら写真をばしゃばしゃ撮った。

写真ばかり撮っていてもなんなので、じっくり見たが、しわくちゃで、そんなにかわいいものでもない。

とにかく、2子は抱っこしたが、1子は保育器にすぐに入ったので、その日は抱っこできなかった。

強者達は2子を抱っこしまくって、満足気であった。

妻は手術後、すぐに眠りに入った。

出産直前

2004年6月
6月になると妻のお腹があきらかに他の人とは違うほど大きくなり、睡眠もままならない状態になってきた。
同部屋の仲良しになった切迫早産で入院の方々も、もういつ生まれても良いとのことで、みんな退院してしまった。
また同部屋の人がみんな良い人(気が合う)とも限らないし、体調は苦しくなってきたので、二人部屋に移った。
二人部屋のもう一つのベットは緊急帝王切開の人などが入れ代わりに来るためのベットなので、一人のことが多く個室のようであった。
私はどうどうと妻のベットの横で、スーパーで買った弁当が食べられるようになった。

出産二日前には二つの名前も決定し、出産日(帝王切開の手術日)を待つばかりとなった。

妊婦5人

2004年5月下旬

来月にも出産するので、デジタルカメラと沸騰後、60度になるポットを購入した。
ポットはミルク用である。

デジカメを購入し、とりあえず、でかい妻のお腹を撮ったり、庭の花を撮ったりしたが、いまいち楽しくない。
良く見渡せば、病室にお腹大きな方が5人もいる(妻が一番でかい)。
全員並んでもらって撮影した。
妊婦5人並んで写真を撮る機会などめったにあるものではない。
病院からの帰宅途中で大きめの写真用紙を購入し、翌日モデルさん達に配った。

ちょっとしたことがイベントになる元気な入院患者さんたちはとても喜んでいたが、実は私が一番楽しんでいた。

帝王切開へ

2004年5月下旬
妻の入院中、私は妻と同部屋の元気な妊婦さん達の話題のためにスーパーで夕食用の弁当を買い、せっせと病院に通った。
ただ、弁当は見られると食事制限されている皆様を刺激するので、来訪者用の部屋で食べた。

普通に病院に行くだけではつまらないので、自転車を使って、地図を片手に住宅街をすり抜け、家から病院までの最短ルートを開拓したりして楽しんだ。

そんな中、医師より出産方法の相談を受けた。
帝王切開が楽だし安全とのことである。
ただし、自然分娩にこだわる人も多いので、判断は私達夫婦にゆだねられた。

妻は全くこだわりのない人間なので、迷わず帝王切開を選択した。

帝王切開だと出産に立ち会うことが出来ない。
出産立会いは自分の妻以外はありえない。
双子なので、今後子供を産む可能性は低く、自分は一生出産に立ち会えないのか。
と少し残念に思ったが、安全な帝王切開に賛成した。
(別途作るという手もある)

帝王切開でお願いすると、手術日の相談を受けた。
双子なので少し早めの37週での出産がいいとのことで
「う〜ん、私が出勤する日だと、この日ですけどいいですか?」
違う先生でも良ければ他の日も選択可能と言われたが、不妊治療からずっと同じ先生であったので、
「おいおい最後まで面倒見ろよ!」
ということで、6月某日に出産日が決まった。

私は事前に有休休暇を申請した。

入院

2004年5月
とうとう妻が入院した。双子なので、3月から入院するかも知れないと言われてきたので、遅い入院だったと思う。
入院の理由は「切迫早産」のようなものらしい。

「沐浴」という言葉も両親学級で始めて聞いたが、「切迫早産」聞きなれない言葉だ。
なんか早産してしまったような言葉だが違った。

入院した部屋は6人部屋で切迫早産の5人1室であった。
「切迫早産」の部屋のためか、みんなとても元気だ。

普通、入院している部屋はカーテンでしきられているイメージがあるが、皆元気なせいか、カーテンなど誰もせず、べちゃくちゃしゃべっている。

ただ行動が制限されているため、食事の文句が主な話題であった。
私がお見舞いに行くと、5人にとって大変なイベントらしく皆ワクワクして迎えてくれた。

妻の入院は妻には悪いが私はとても楽しみで、1人暮らしなにをして楽しむか毎日考えワクワクしていた。
一人でおいしい飲み屋に行って、若い派遣の女の子でも誘って、飲みに行って。などと考えていた。

しかし、仕事が早く終わった日はお見舞い。あとは残業なので結局、出産まで何もしなかった。

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